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 ロンドが走る。ヴォルクが剣を抜く。しかし、到底間に合うまい。今まさにラウルの小刀がティティの喉を引き裂かんとした瞬間、ティティの体が跳ねた。

 後ろ手に縛られた手を、体を捻るようにして振りまわす。馬乗りになっていたラウルの体が揺らいだ瞬間、体重を乗せて蹴り飛ばした。小刀が音を立てて床に落ちる。

「兄さん!」

「はい!」

 ロンドは今度こそ駆け寄り、小刀を部屋の隅に蹴り込んだ。そのままラウルの細腕を押さえ、後ろ手に捻る。その喉にヴォルクが剣を突き付け、動きを封じた。

 老人は観念したのだろう、荒い息を吐きながらも静かな微笑みを湛えていた。

「ライオネル、すまなかった」

 後ろ手に捻る手を緩めることなく、ロンドは言葉を声に乗せた。

「謝ってすむことではない。それでも謝らせてほしい。起こってしまったことを覆すことはできないが、あなたの奥様やお子様のこと、あなた自身のことは僕が必ず恩に報いるようにしたいと思っている」

「……ロンド様。あなた様は立派な王になられましょう。アラン様を超えられるような、立派な王に」

「立派な王になりたいとは思わない。兄を超えようとも思ったこともない。ただできることをやるんだ。目を開いて、怖がらずにひとつずつ」

 ヴォルクが剣を引き、小屋から持ち出した縄でラウルを縛り上げる。

「船へ行きましょう。一度帰城し、詳細はそれからでよろしいですか?」

「はい」

「ロンド様」

 ラウルは、しわがれた声で言葉を落とした。

「この老人の最期の善行です。小屋の奥に、硝子でできた小瓶がある。その中に入っている丸薬を上手にお使いなさい。あなた様ならそれが何か分かるはず」

 丘を降りていく二人を見て、ロンドは息を吐いた。改めてティティに向き直ると、ラウルの小刀を手に取った。

 後ろ手に結ばれていた縄を切る。ティティは跳ね上がるように起きると、そのまま座り込んだ。黒々とした瞳にはまだ動揺の色が残っている。

 気まずい空気が二人を包み込んでいた。

「その」

 口を開いたのはロンドである。

「すみませんでした」

「何を謝る……?」

「巻き込んでしまったことを。この通り、お詫びします」

 そう言って頭を下げたロンドに、ティティは息を吐き、苦笑した。

「本当だ。お前たちのせいで、ミツチの民はとんでもない目にあった」

「面目次第もありません」

「でも」

 そういうと、ティティはえいやと立ち上がる。

「来てくれたことは、正直嬉しかった」

「そうなのですか?」

「お前、本当に鈍い。でも私はお前のそういうところが」

 そこまで言うと、ティティは口を閉ざした。小屋の入り口から風がそよそよと吹き込み、少女の黒髪を巻き上げていく。

「髪が……」

 ロンドはティティの髪に手を伸ばす。黒髪の一部が、不自然に切られていた。鳥紙の中に入っていた髪の束を思い出して、ロンドの顔が苦痛に歪む。

「あなたが無事でよかった」

 そのまま自然と唇に髪をそっと当てる。

「ロンド?」

 ティティはくすぐったそうに微笑んだ。

「口説いてる?」

「はい、口説いています」

「本当に臆面もなく、そういうことを言う」

 ティティはくるりと振り返ると、泣き笑いのような表情でロンドの首に抱き着いた。

「正直分からない。私はきっとお前にアランを重ねていた。今も重ねているかもしれない。また不誠実なことをしてしまうかもしれないし、言ってしまうかもしれない」

「そうですね」

 ロンドも苦笑し、ティティの体を抱き留める。

「大丈夫です。僕は気が長いので」

「嘘だ」

「はい、嘘です」

「それは本当だ」

 ティティの黒い瞳の中にロンドの瞳が映り込む。その瞳がふと揺らいだ。

 星を抱いた夜空の瞳だ。

 そのきらめきを、ロンドは素直に美しいと思った。

「ティティ」

「……うん」

「僕は、あなたが……」

「――だから」

 小屋の入り口で、大きくため息を吐いたものがいる。

「そういうのは、後でお願いします」

「ヴォルク! ライオネルは」

「船ですよ。さ、やること沢山あるんですから、行きますよ!」

 ぷんすこ怒りながら丘を降りるヴォルクの背を見て、ロンドは吹き出した。ティティも同様に苦笑する。


 鳥の鳴き声と潮騒の音。風が吹き、滑るように船は浜を後にする。

 抜けるような青空。島の民の喧騒と、それを鎮めるティティの声。遠くで聞こえる竜神ベラの鳴き声に、ロンドは手を前に組み、丁寧に拝した。


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