第14話

「辞める人の感じは、なんとなくわかる」

「そう……だね」

 今まで、何人もの辞めていく姿を見てきた。プロになれる人間は少ない。若くても、突然その日が訪れることがある。規定とは、また別に。

 色が、薄れる。

 プロになるのは、濃い人間だ。何か、特別な色がある。けれども、普通の人になっていく場合がある。見ていて、それは感じる。

 奨励会時代の僕には、それがなかったのだと思う。成績だけを見たらいつ辞めてもおかしくなかったけれど、誰も辞めるとは思っていなかったようなのだ。

「目標ってさ、達成したら大変だよね。次の目標がいるから」

「意外にまじめなこと言う人だった」

「よく言われる。まあ、おちゃらけてるから空手させられたんだけどね。冬染君は?」

「……一人になれるから、将棋始めた」

「一人じゃできないじゃん」

「家の中で一人になりたかった。母親の罵る声も、父親の悲鳴も聞こえないように。一人で勉強してた」

「……」

「居間に行きたくなかった。それを何と呼ぶかは知らなかったけど、見たいものじゃなかった。運動はできないし、字も下手だし、勉強も楽しくなかった。将棋だけは違ったんだ」

「気軽に聞いていいことじゃなかったね」

「いや、今は気軽に聞かれても大丈夫。だから、もうそんなに深刻じゃないかな。もう、将棋をする理由はあんまりなくなったからかな」

「負けたら悔しくない? 私はむっちゃ悔しい」

「そうだね。だから、負けたまま終わりたくはない。けど、戦わなくなったらもう負けなくていいよ」

「あんまり勝ててないんだ」

「まったく勝ててないんだ」

「せんせー、本当に強いんですか?」

 若田さんが、子供の口調で言った。

「先生は強いよ。アマチュアよりは」



「まあ、そんなに落ち込むなよ」

 用事があって将棋会館に来たら、鳥屋原先生につかまった。蕎麦屋に連れてこられた。

「落ち込んでません」

「それはそれで問題だろう」

 鳥屋原竜五段。師匠の兄弟子の弟子、従弟みたいな関係の人だ。昔から顔見知りであり、稽古をつけてもらうこともあった。

「先生も落ち込んだんですか」

「俺は以外と連敗は少ないんだ」

「効率よく七割負けていると」

「はっはっは。なかなかすごいだろう」

「そうですね」

 実際、すごいのかもしれない。なんと言っても、僕は0割だ。

「今度本出すんだ。書く時間がたっぷりあってな。お前も書くか?」

「時間がありません」

「そうなのか?」

「死ぬほど勉強しないと、勝てないと思って」

「そうか。ま、そうかもな」

 蕎麦はおいしかった。家で出てきた蕎麦はまずかったのだと、また一つ知ることができた。


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