短編

@kitunesame

久遠 良充

「保利、美晴」

「はい」

 はつらつとしたその声と、彼女の名前を聞いて、眠気が一気に覚める。

 三月二十三日、俺の通っている市立中学校では、卒業式が執り行われていた。卒業生入場に始まり、校長、来賓の挨拶を読み終え、今は卒業証書授与が行われている。一年一組の出席番号一番から順に名前を呼ばれ、壇上に上がり卒業証書を受け取る。

 正直、かなり退屈な時間だ。体育館の二階の窓から差す太陽光や、保護者たちの静かな雑音も相まって、先程までかなりの眠気に襲われていた。

 保利美晴。彼女は、そんな眠気を覚まさせてしまうほど、俺にとって印象強い人物だった。なぜなら俺は、彼女に一度告白をしたのである。



 一か月前、一軒家の並ぶ住宅街の、何のムードもないT字路で、俺は彼女に告白をした。

 帰り際に偶然鉢合わせ、「帰り道が同じだから」という理由で一緒に帰ることになった。彼女は普段から誰とでもコミュニケーションをとる性格で、その明るさから皆に好かれている、嫌う人の方が稀有であった。だから、俺と一緒に帰るというのも、友達のような感覚で誘ってくれていたのであろう。俺は、かなり舞い上がっていたが。

 彼女と歩く帰り道は、なかなかに楽しく過ごせていたと思う。普段、お互いに話す機会もあまりなかったため、話のネタはいくらでもあった。中学校生活で楽しかったこと、最悪だったこと、お互いの部活動のこと、進学先の高校のこと、自分の友人のこと、そんな話を、卒業式が近いからか、クスクスと笑いながら話し尽くした。話と話の間に、寂しさを含んだノスタルジーも感じながら。



 そして、T字路に到着する。俺はここを左に曲がるが、彼女の帰り道はそのまままっすぐ直進だという。つまり、ここでお別れというわけだ。

「じゃあ私こっちだから。またね。帰り気をつけて」

 そう言って、彼女は背中を見せて歩いていく。

 このままでいいのだろうか、という言葉が、まず胸に残る。卒業したら会えなくなるとか、彼女の連絡先知らないなとか、もう二人きりになることもないだろうなとか、そういった、自分を焦らせるための理由が、次々と脳内に巡った。その結果。

「待って!」

 呼び止めてしまった。彼女はすぐに振り返り、「何?」と聞いてくる。勢い任せに呼び止めたことを後悔しながらも、もうこうなってしまったら、やるしかない、と決意を固める。

「あ、あの......」

「全然聞こえなーい! なにー?」

 道路の道幅一つ分離れているせいか、多少声を張らないと、声が届かなかった。

「あの!」

 青春映画のような展開に、多少の高揚感と不安を覚える。

「俺、あなたのことが好きです! 全然話したことないから、こんなこと言われても困ると思うけど。ずっと前から好きでした!」

 ......。

 少々の沈黙が流れる。

「......それでー?」

 そう、彼女が言った。とても優しい人だ。俺がただただ、自分勝手に気持ちを吐き出しているのに、その続きを促すように、背中を押してくれた。このシーンのオチが自分に委ねられていることを悟って、返事を決めたうえで、この映画が完成するように、脚本を進めたのだ。次は、俺のセリフ。

「良かったら、俺と、付き合ってください!」

 全力で叫んだせいで、声が少し裏返ってしまった。恥ずかしくて目が開けられない。体が硬直していて動けない。もしかして今、変な顔をしているんじゃないか? 近隣住民に聞かれたんじゃないか? 彼女の返答はまだかなのか? 時間がものすごくゆっくり流れている気がする。

「ごめん」

 彼女の言葉を聞いて、ようやく目を開く。

「私、好きな人がいるの」

 そういって微笑む彼女が何を思っていたのか、俺に同情して、悲しい思いをさせないために微笑んでいるのか、真意はわからない。だが、そんな彼女はいつもより、夕暮れの日差しのおかげだろうか、何だかはっきりと見ることができて、目に映る、彼女以外の景色がぼやけていた気がする。

「でも、ありがとう! 好きって言ってもらえて、すっごく嬉しい!」

 彼女はどこまで優しいのだろうか。そんなことを言われたら、この告白を無かったことに出来ないじゃないか。

「......それじゃあ、またね!」

「あぁ......」

 空返事をする俺に構わず、彼女は帰路につく。先ほどよりも、少し足早に。

 「俺も帰ろう」と思っても、足が全く動かない。周りの環境音や自分の思考が飽和していて、夢の中にいるような浮遊感が残っていた。多分、落ち込んでいるのだろう。

 青春映画であれば、ここで俺は走って帰り、自分の部屋でむせび泣く、そういうシナリオが定番だ。やはりあれはフィクションだったか、と妙に納得してる反面、その方がきっと、楽だっただろうな、とも思った。



 「きっとこの感覚を今日はずっと引きずるだろうし、何も考えず、とにかく帰ろう。」と、思考をまとめて、自分を納得させるのに二分ほど掛かった。

 俯きながらとぼとぼと、明日から彼女とどう接すればいいのだろう、とか考えながらT字路を左に曲がる。すると前の方から、大きな物音とクラクションが聞こえた。何かと思い顔を上げた時には、暴走した車はすぐそこに迫っていた。

 避けることができず、そのまま車にぶつかり、突き当りの壁に打ち付けられる。反動のせいか、車が、密接していた体の部分をぐいとひと押しする。

 あぁ、もう死ぬんだな。意外と冷静に、ただそう思った。目が霞んでいてよく見えないが、腹のあたりが血だらけだ。もしかしたら、下半身だけずり落ちてるかもしれない。感覚がないので何もわからないが。腕に力を入れることもできず、這いつくばることもできなかった。おかげで、逃げていった、運転手の老人を追うこともできない。

 もっと親に優しくするんだったな、友達ともっと遊べばよかったな、アメリカぐらい行きたかったな、そんな後悔の数々ばかりが、脳裏に浮かんだ。これが走馬灯か。いや、走馬灯は過去を振り返るものだから、少し違うか。まぁ十五歳だしな。大した思い出もないのだから、走馬灯が流れないのも理解できる。ひとつ思い浮かべるとするならば、

「保、利......さ....ん......」

 あの映画のエピローグは、つくるべきだったろうな。



 あの日のことを思い出すのはこれで何回目かもわからないのに、なぜか今日は事細かく、鮮明に思い出せた。最後、だからだろうか。

 思ったよりも長く自分の世界に浸っていたようで、うちのクラスの卒業証書授与が終わりそうだった。

 彼女は、保利さんはもうすでに、他の生徒と同じように姿勢よく席に座っていた。俺が告白したすぐ後にあんな事故を起こしてしまったものだから、精神を病んでしまったのではないかと利己的な心配をしていた。だが見た限り、明るいふるまいでいつも通り。大丈夫そうで一安心した。

 さて、そろそろ俺の出番になる。名前を呼んで、席を立ちあがれば、俺も晴れてここを卒業だ。少し、いや、かなり寂しさを感じていたが、それでも時間からは逃れられない。最後に、あの時からずっと心残りだった彼女の姿を見れて、本当に良かった。後悔が一つ減っただけでも、今感じている悲しさは、薄らいでいった。

「米倉、恵未」

 あと一人。その次で俺は立ち上がる。姿勢を正し、その準備をした。

 前の人が卒業証書を受け取り、一礼をする。

 俺の出番が来た。

「以上、38名」


 俺は、自分の名前を声に出し、席から立ち上がった。

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