第8話 まんじゅうふかし

さちさんの掛け声で

私以外の全員が出かける支度を始めている。

慌てて先生の元へ行くと


「何やってんだ。出るぞ」


「は、はい!」


訳もわからず向かった先は

八甲田山を上がった森の中だった。

車を降りると典子さんからタオルを渡される。


「行ぐべ!行ぐべ!この時間だばいでら!」


駐車場には

『まんじゅうふかし』

と書かれた看板があった。


「あぁ!そういうことか〜!お饅頭まんじゅうふかしてるんですね!」


そう言うと

皆さんが一斉に笑った。


「アハハハ!」


さちさんだけが

ポカンとする私に優しく教えてくださる。


「こごは、饅頭でねぐで、人間をふかすのさ」


「人間をふかす!?」


すると先生が隣でボソッと呟く。


「バカ…」


さちさんが「ゆさ」とおっしゃったのは

「温泉に行く」という意味だったらしい。


先生の解説によると

寒冷地の東北はその寒さから会話が省略され、

短いやり取りでコミュニケーションが

成立するのだという。


例えば道端で知り合いと出くわした時、

「どさ?」(どこに行くの?)

「ゆさ」(温泉に行くのさ)

「んだ」「そうなんだ)

といった具合になるのだそう。


皆さんについて行くと

森の中に湯気がたつ東屋あずまやがあった。


ここはどうやら温泉が湧いている

公園のような場所で、

木製の長いベンチが湯けむりの上に

2台設置されている。


典子さんが身をもって

この温泉の楽しみ方を教えてくださる。


「こごは、温泉の蒸気で足腰さ温めるつっで、この木箱(ベンチ)さ腰掛げでじっとすんの」


「へぇ。てことは、服を脱がないで入る温泉って事ですね!」


「アハハ!そう!脱いじゃまいね!(脱いじゃダメ)」


そこで先生までからかってくる。


「脱いだら通報だ!」


「脱ぎませんよぉ!」


さっそく腰掛けると

体の芯からじんわりと温まってゆく。


夏なのに山からは冷たい風が吹き

少しだけ肌寒かった。


山背やませと呼ばれるその風が

真夏の暑さをいっとき忘れさせ

温泉の温もりが心地よい。


こんな場所が東京にもあったら

患者さん達も喜ぶだろうな…


外出が叶わない患者さん達の顔を思い浮かべた。


近くには秘湯と呼ばれる

酸ヶ湯すかゆ温泉があり、

まだ明るいけれど

せっかくだからと温泉に浸かる事になった。


300年の歴史があるという湯治場で

温泉療養で自炊しながら

長期滞在している方々もいらっしゃるという。


私が生まれ育った九州にも

こういった湯治場がいくつもあった。


湯治は日本でも古くから行われていた

民間療法の一つで、

医療が発達した現在でも

様々な理由で化学治療ではなく

温泉療養で病を治すことを諦めない人達がいる。


もしくは農閑期に体を休めにやってくる

農業従事者もいる。


いずれにしても

長期滞在される方々の為に自炊部が設けられ、

利用客は鍋や食材を持参し

長期滞留できるよう完備されている。


その効能と豊富な湯量

施設の整備などが認められ、

国内保養温泉地第一号に選ばれた温泉だ。


増築を繰り返した独特の佇まいが

長い歴史を感じさせ、

こういった場に慣れていない私は

ただ先生のあとについて行く。


館内は硫黄の香りが立ち込めている。


すると先生が突然振り返ってきて

ボソボソと何かを確認してくる。


「お前…わかってるよな?」


「へ?何をです?」


「ここ、混浴だぞ」


「こ、混浴!?」


そう。

湯治場の多くは混浴なのだ。


入り口に貼られたポスターでも

ここの名物であるヒバ仙人風呂という

広いお風呂に大勢の老若男女が浸かっていた。


動揺を隠しきれずにいると

典子さん達に気づかれてしまう。


「ん?なしたの?」(どうしたの?)


「あ〜!わがっだ!混浴さ抵抗あるんだべ?」


「若ぇおなご(女性)にはむずかすべなぁ。すたっきゃ(そしたら)女風呂さ行ぐべが?」


「すみません…」


どうやら男女別のお風呂もあるらしく

気を遣っていただき、

そちらに向かう事にした。


てっきり先生と修さんも

男性専用風呂に行くのかと思ったら


「わんど(俺達)は混浴さ行くべ!」


「はい」


「……!?」


え…

先生が他の女性達と混浴…

い、嫌だ…


離れて行く先生を目で追いかけながら、

私は慌ててさちさんと典子さんにこう言った。


「すみません!やっぱり混浴行きます!」


恥ずかしいなんて言っていられない。

郷に入れば郷に従えだ。


そう自分に言い聞かせる。


「アハハ!わんど(私達)は、かまねけど、ほんに大丈夫?」


「いんだ。無理すっでねよ?」


「大丈夫です!それより、早く行きましょう!」


先生を追いかけたい気持ちが先走る。

けれど、さちさんに引き止められた。


「わがっだ。したっきゃ仙人風呂さ洗い場がねはんで(ないから)先に女風呂さ行がねば」


仙人風呂には洗い場はなく

石鹸やシャンプーの使用は出来ない。


だから髪や体を洗う場合は

先に男女別の内湯である

『玉の湯』に入らなくてはならない。


それを聞き、若干ほっとしながら

2人に連れられそこに向かった。


けれど、体を洗いながらわれにかえる。


先生に裸を見られてしまう。

その事への抵抗が拭えず

急に足がすくんでしまう。


どうしよ…


すると典子さんが

こう言ってくださった。


「大丈夫!混浴つっでも、湯浴着ゆあみぎつーもんがあっがら、なしても無理だば、わー(私)もそれ着る!だはんで緊張すねで?」

(大丈夫。どうしても無理なら、私も湯浴着きるから、そんなに緊張しないで?)


「は、はい…」


言われた通り

売店で湯浴み着というワンピースのような物を買い

覚悟を決めて、いざ初混浴。


「よしっ!!」

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