第2話 金魚のフン

この俺にこんなとんでもない事を言ってくる奴は、

恐らくこの世でコイツだけだ。


ついこの前まで注射器すらまともに使えなかった看護師の

白石菜穂子しらいしなおこという新人が、なぜか俺の担当のようになり、

金魚のふんの如く付き纏ってくる。


そして今、オペを3件終えたばかりの俺に

追い討ちをかけるような発言をぶつけてきた。


「夏休みに私が何をすべきか。先生に決めていただきたいんです」


「はぁ!?そんなもん自分で考えろ!」


「考えても答えが出ないからご相談してるんですよ!」


「だからって俺に聞くな。まったく…。百歩譲って仕事の相談ならまだしも、くだらな過ぎて話にならない」


「仕事の悩みなら聞いてくださるんですか?」


「内容による」


「でしたら山ほどあるので聞いてください!」


「まず要点しぼってから出直して来い」


「はい!では業務後にお時間ください!」


「却下!なんで業務時間外までお前の面倒見なくちゃならないんだ」


「だって要点しぼって出直して来いっておっしゃいましたよね?なので帰宅したらお伺いします!」


「……!?」


奴は俺の返事も待たずに出て行った。

こんな日に限って早めに終わり、

仕方なく帰宅すると厄介な味方をつけて待ち構えていた。


「おかえり〜!」


姉貴の風子ふうこだ。

姉貴も白石も同じマンションに住んでおり、

いつからか仲良くなり、

同じ酒飲みという共通点からしょっちゅう宅飲みしているらしい。


「先生おかえりなさい!私の方が早かったですね!」


「もういんのかよ…」


「え?待って。てことはあんた達…待ち合わせてたってこと!?ごめんごめん!気が利かなくて!」


「そういうんじゃねーよ!コイツが勝手に…」


「そっか!これが待ち合わせか〜!」


「これは待ち伏せだ!」


「似たようなもんじゃん!」


「全然違う!!」


自分達の部屋で飲めばいいものを

俺の部屋が1番広いからと時々こうして勝手に使われている。

姉貴も俺もいまだ独身で、

祖父母が形見で残したこのマンションに暮らしている。


助かっているのは職場が徒歩圏内であるということなのだが、

俺がほとんど在宅しないのをいいことに、

姉貴が家事をする名目で出入りするようになったのが運の尽きだ。


奴らを無視しながら俺は普段通り過ごす。

言いたいことは山ほどあるし、

追い出しても構わないのだが、

昔から世話になりっきりの姉貴にはどうにも頭が上がらない。

だからこんな時は放置することにしている。


酒飲みにリビングを占領され、

家主の俺はダイニングテーブルでノートパソコンを開き、

最近アメリカで発表された論文をチェックし始めた。

だが嫌でもの雑音が耳に入ってくる。



「で?どうすんの?夏休み」


「それなんですけど、4日も休みになるなんて思ってもなくて。1日とか2日なら掃除や買い物でつぶせるんですけど…。風子さんならこういう時どうしますか?」


「私?そうねぇ。やっぱり旅行かなぁ。温泉行ったり美術館行ったり?」


「う〜ん…。夏休みに1人旅って結構ハードル高いですよ。ただでさえ1人で旅行なんてした事ないので」


「だったら誰かと行けばいいじゃん!」


「誰かとって言われましても。同期とは休みがかぶりませんし、こっちにいる子達は皆んな帰省するので」


「そっか。一緒に行ってあげたいけど、私も友達とハワイ行っちゃうからな〜」


聞いてるだけでイライラする。

一向に出口のない無駄なやり取りに、

気づけば口を出していた。


「だったらひたすら勉強してろ!こういう時に努力すれば少しは同期連中に追いつくんじゃないか?」


すると姉貴が即座に言い返してくる。


「それはダメ!そんな事してたら休暇になんないでしょうが!休暇ってのは心と体を休めてリフレッシュする為のものでしょ?勉強なんてしてたら働いてるのと一緒じゃん!」


「それは散々、主任や大石先生からも言われました…」


「おっ!蔵之助くらのすけわかってるねぇ!どっかの誰かさんとは大違い!」


姉貴の言う蔵之助くらのすけとは、

直属の上司である大石先生のことだ。


2人は昔から知り合いらしく、

仲間内ではそんなあだ名をつけられているらしい。


本人も忠臣蔵が好きで割と気に入っていて、

その事を何かにつけてネタにしているから、

患者さんの中にもそう呼ぶ人までいる。

ちなみに大石先生の本名は浩二こうじだ。


「それは自分達も気兼ねなく休むための口実だ!」


「菜穂子!もうさ、あんなひねくれ者は放っとこ?それよりもうちらは菜穂子の夏休み計画を一晩かけてじっくり練らなきゃ!」


「は、はい…」


「一晩って…。俺は付き合わないからな!」


「わかってるわよ、うるさいな!」


「……。」


姉貴はガイドブックを何冊も持ってきて、

うんちくを語りながら白石に見せている。

だが白石はどこか上の空で聞いている。


「思いきってさぁ、台湾とか韓国なんてどう?意外とすぐ行けちゃうよ?」


「う〜ん。パスポート取らなきゃですし…」


「じゃあさ、国内にしよう!どんな事に興味ある?例えば自然豊かな所とかぁ、温泉にこだわりたいとかさぁ。それとも近場に泊まって贅沢しちゃう?」


「贅沢なんてとんでもないです!でも…しいて言うなら…」


「何々?なんかある?」


「先生の思い出の場所とか…行ってみたいなって」


「へ?大樹たいき(手塚)の思い出の場所?」


「……!?」


俺は飲んでいた珈琲を吹き出した。

何を言いだすのかと思えば…。

白石は顔を赤らめながらそんな事を言い、

咳き込んだ俺の元へ飛んでくる。


「せんせ…!大丈夫ですか?」


“ お前のせいだ”

そう言ってやりたいところだが

むせて言葉が出てこない。


「アハハ!大樹、めっちゃ動揺してんじゃん!」


「はぁ?してねーよ!」


「そりゃあそうよね?こんな可愛い子に、めちゃくちゃ可愛いこと言われて、さすがのあんたも照れちゃうよねー」


「そんなわけないだろ!迷惑だ!」


「そうだなぁ。大樹の思い出の場所ねぇ…」


姉貴は俺を無視し、腕を組みながら考え込む。

そして何かひらめいたらしく人差し指を一本立てて


「あっ!思い出した!」


「え、どこですか!?」


「うん!いいとこあった!私達がまだ子供の頃、夏になるとよく親に連れられて、泊まりがけで親戚の家に行ってたの」


「私もそういう経験あります!」


「でしょ?普段は遠くてなかなか行けないし、冬は雪がすごくて、夏休みじゃないと行けない街だったの。としが近い近所の子達とスイカ割りしたり、海や山にも遊びに行ったりして、楽しかったなぁ。皆んな元気かなぁ…」


「へぇ!風子さんや先生にもそんな思い出があるんですね!」


「そりゃあるよ。そんでさ、皆んなでお祭りに行って、そこで大樹が迷子になっちゃったりしてね!」


「えぇ!?手塚先生が?」


姉貴がいらぬ話までし始め、

黙っていられなくなる。


「迷子じゃない!1人で帰ろうとしただけだ!」


「何言ってんのよ。私がアンタを見つけた時、姉ちゃんの顔見て泣いたくせに!」


「話を盛るな!」


「フフフ!先生、可愛い」


「は?可愛いってなんだよ…」


「けどすっごく楽しかったな。皆んなで『ラッセーラー』って言いながら、ねぶたのパレードに参加してね。また行きたいなぁ」


姉貴が懐かしそうに語っているのは、

子供の頃に行った青森ねぶた祭りの事だ。


普段は静かな田舎町が、

1年に1度、活気と熱狂の渦に沸く。


暗闇の中に突如出現する巨大な立体灯籠。

囃子はやしの音と踊り子達の賑わい。

子供の頃に見た光景が、一瞬にして甦った。


するとそこまで大人しく話を聞いていた白石が

突然立ち上がり、こう宣言した。


「私、青森行ってきます!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る