第1話 夏季休暇

都内にある総合病院の内科。

私はここで看護師をしている。

まだまだ新人の域を出ない2年目の看護師だ。


夜勤明けに日勤の方々に引き継ぎをし、

全員が揃ったこのタイミングで主任が声を張った。


「すいませんけど例年通り、夏休みはずらして取るようにお願いしますね!」


「わかってま〜す!そのかわり、ここからここまでお休みくださ〜い!」


「ちょっとぉ!ずるいじゃない!全員が希望出してから主任が調整するのよ?フライングしないで!」


「はぁ?希望出しただけでしょ?」


「やめや!オバハン同士で喧嘩すな!で、俺は彼女とキャンプ行くんやけどぉ…」


夏が近づくと

毎年夏休みを巡ってこんな風になるらしい。


私はと言うと全く予定もなく、

看護師としての経験も浅いし飛行機代も高いしで

夏の帰省はとうに諦めていた。


それでも本当は帰りたい。

帰って故郷の家族とワイワイ過ごしたい。


でも、日頃ご迷惑ばかりかけ、

未だ半人前以下の私が図々しい事など言えない。


だからこんな時こそ

皆さんの希望がちょっとでも通るようにしてもらいたい。


だってどんなにここでふざけていても

激務をこなしながら人命最優先で

懸命に働く医師や先輩看護師の姿を間近で見てきたのだから。


すると主任が私に声をかけてきた。


「あら?白石さんは希望ないの?」


「はい。私は大丈夫です」


「おいコラ白石!こういうんは遠慮はなしや!上も下も関係ない!」


「あら海津ちゃん。どうしたのよ。珍しくいいこと言うじゃない」


「けど海津の言う通りだよね。皆んなで協力しながら休みを取る。そんでまた休み明けに皆んなで頑張ればいいの!だから新人さん達も休み取りなさい!」


先輩方がそう言ってくださるも

私は「大丈夫です」とやんわり断った。

けれど同期の坂口さんが


「白石さんが休み取らないと私も取りずらいよ」


と小声で言ってくるから、

休まなくてはいけない空気になってしまった。

返事に困っていると主任が畳みかけてくる。


「そしたらまずは希望を出す人の休みを調整して、それから白石さんの休みを決めるってどう?有休だって使わないとなくなっちゃうしね!」


「そうなんですか!?有給って使用期限あるんですね」


「そうよ?だから使える時に使わないと損だぞ!」


姉御肌の石山さんにそう言われ

無知な自分が恥ずかしく思えた。

そして関西弁の男性看護師・海津さんが顔を曇らせながら言う。


「そういや希望ださん人間がもう1人おるな。たまには休んでくれたら俺らも助かるんやけどなぁ…」


「同感!休まないから気持ちにゆとりがなくて、すぐイライラしちゃうのよ!」


「そうそう!そんでうちらに当たり散らかしてさぁ。ほんっと嫌な奴!」


「あれじゃさ〜、いくら顔が良くて腕のいい医者でも独身貫いちゃうわけだわ」


「ほんまそれや!」


先輩方がおっしゃっているのは、

十中八九、手塚先生のことだ。

ストイックゆえに、自分にも周りにも厳しいことで知られているドクターだ。


もう1人の先輩看護師の中井さんが

その話の流れで私にこんなことを聞いてきた。


「もしかして、手塚先生が休まないから白石さんも休めないとか思ってる?」


「そ、そんな…!そういうわけじゃありません!」


私は手塚先生とペアになることが多く

医師として尊敬するだけでなく好意を抱いてしまった。

そのことはここの皆さんにバレてしまっている。


いくらそうじゃないと否定しても

先輩方の好奇心に歯止めはきかず、

しょっちゅう酒の肴にされ冷やかされている。


結局、この時は有耶無耶になった話も

数日後、主任が調整をしてくださり、

私も夏季休暇をいただける事になった。


「お盆には早いけど、8月上旬のこのあたりはどうかしら?」


「ありがとうございます。そしたらそこでお願いします」


主任と私のやり取りを聞いていた内科部長の大石先生が

この時こんな言葉をかけてくださった。


「休める時は休む。これはどんな人にも与えられた権利だ。せっかくだから羽を伸ばしてきなよ」


「羽を伸ばす…」


「そう。いったん羽を休めたら、また大きく飛び立てるよ?」


「でもこんなにお休みがあると何をしたらよいのか…。これといって趣味もなくて」


「なんでもいいんだ。仕事だけじゃなく、人生を謳歌しなきゃ!」


人生を謳歌するなんて考えたこともなかった。

けれどせっかくいただいたお休みだし、

何をしようか本気で考え始めた。


7月下旬になり、看護師達が順番で休みを取り出した頃、

恐る恐る手塚先生に質問を投げた。


「あのぉ。先生はお休み、取らないんですか?」


「は…?」


業務に関係のない話を振ると

毎度こんな感じだ。


「あっ、プライベートな事は答えられませんよね?すいません…」


いつも冷たくて厳しい手塚先生。

だけど患者さんに対しては誠意を尽くした診療や治療をする。

その姿に私は尊敬だけではない感情を抱いている。

けれどそれは一方通行の思いだ。


また冷たく返されるだろうと予想しかまえていると

ごく普通の返答が返ってきた。


「取る」


「…!?」


たったそれだけの返事に私は驚いた。

だっていつもなら

「お前には関係ない」とか「仕事中に無駄話するな」と

一蹴されるだけだから、

会話のキャッチボールが成り立ったことに舞い上がってしまう。


「と、と、と、取られるんですか。お休み…」


「取って悪いか?」


「いえ、そうじゃないです!」


「だったら何だよ」


「夏休み、先生は何をされるのかなって」


「そんなこと、お前に言うかよ」


「そうですけど。先生も海外とかで豪遊するのかな〜なんて(笑)」


「しねーよ、バカ!そういうお前はどうなんだ。実家に帰るのか?」


「いえ、帰りません!」


「休み取ったんだろ?」


「そうなんですよ。取る事になっちゃって…」


「何だよそれ。自分で希望出したんじゃないのか?」


「出したというか、出さざるおえなくなったと言いますか…」


先生は仕事の手を止めて振り返ってくる。


「で?」


「だからその…思いもしなかった休暇に、何をしたらいいかわからなくて。その時期って飛行機代もお高いですし、家族にはもう帰らないと伝えていたので帰るに帰れませんし…」


「ふ〜ん」


先生は興味なさげにまた背を向けた。

だけど私は、思いきってその背中に向かい

とんでもないことを言ってしまう。


「先生が決めていただけませんか?」


「は?…何を…」


「ですから夏休みに私が何をすべきか。先生に決めていただきたいんです」


「はぁ!?」

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