4分10秒小説『私の中の獣が透明な絶叫で満月を震わせた夜』

 サークルの飲み会、部長が例の件を始める。「次カラオケいこーぜ」と叫びながら、延々と飲み屋の表で騒ぎ、居座り続ける大学生の一団――虫唾が走る。2年生、一際背が小さい女子、丸縁眼鏡の奥で牙を研ぐ殺意――この一団に属していることが嫌で堪らない。


 部長が上半身裸になる。女子がキャーと目を背ける――振りをして指の隙間から筋骨隆々の体を眺めている。殺意が増す。

「誰か女子、俺の腹殴ってみろよ。全然効かないから」

 毎度毎度飲み会の度に必ずこの件に行き着く。

「えいっ」

 1年生の山本さんが部長の腹にパンチをいれた。

「いったーい」

 殴った拳を抑え、呻いている。

「どうだ!この鍛え抜かれた腹筋!よし!次は誰だ」

 思わず挙手しそうになったが辛うじて抑える。後一人くらい殴った後、タイミング的にはそれがベストだ。虎視眈々、三番手を狙う。

「すっごーい!部長の腹筋かっちかちですね」

「ははは!かっちかりなのは腹筋だけじゃないぞぉ」

「やだぁもー」

「次!誰か挑戦する人!どう?田中さん!ほら、俺の腹筋、殴ってみてよ」

「えー、やですよ。手首怪我しちゃいます」

「そういわずに」

「そうですか、じゃあ」

 こみあげてくる笑いを押し殺す。まさか向こうから誘ってくるとは――。

「じゃあ、いきまーす」

「よし!こいっ」

「せいっ」

「うっ」

 蹲る部長。心配そうに皆が駆け寄る。

「た、田中さん。脛を蹴っちゃだめだよ。そんな爪先の尖った靴で……ふー、ふー、でも、大丈夫!ほらっ」

 立ち上がる部長。ふふ。流石にこれで倒せるとは思っていない。

「ごめんなさい!もう一回いいですか?」

「え?あ……お、おうっ!いいぞ、よしっこいっ」

「せいっ」

「痛った!」

 再び蹲る部長。心配そうに皆が取り囲む。

「た、田中さん。脛はダメだって」

「ごめんさない。”もう一回いい”って仰るので、いいのかなと思って」

「いや、お腹にして、腹筋なら絶対にどんなパンチでも耐えることができるから」

「分かりました。じゃあ仕切り直してもう一度」

「え?あ、お、おう!脛は駄目だよ!絶対に!」

「はい。じゃあ行きまーす」


 両脛を破壊されて踏ん張りが利かないのが手に取るように分かる。ここまでは計算通り。呼吸を整える。息吹――空手の呼吸法、「逆腹式呼吸」ともいわれるこの独特の呼吸法が、限界を超えた力を引き出す。一瞬、ほんの一瞬でいい。限界を超えるのだ。

 拳を固める。通常の握り方ではない。中高一本拳――空手道における禁忌、”最凶の拳”ともいわれるこの握り方、通常の握りとは違い、中指だけを前に付きだす。人差し指と薬指で押し出す感じで。そうすることで、中指の第二関節のみがヒットポイントなる。通常の拳が面であるのに対して、点で対象を撃ち抜くことが出来る。いや、”撃つ”というより”刺す”という感覚が近い。

 水月――人体の急所の一つ、いわゆる鳩尾(みぞおち)だ。いくら腹筋を鍛えようとも、急所であるこの部分を鍛えることはできない。狙うはこの一点のみ。


「こほぉこほぉー、こほぉー」

「ちょっと、田中さん目がまじなんだけど――」

「こほぉー、こほぉー、すいません。誰が部長の体押さえといてもらえませんか……こほぉ」

「ちょ!なに?その千葉真一みたいな呼吸?!」

「息吹」

「え?」

「息吹、中高一本拳、水月!行きます!覚悟してください!」

「え?ちょっと待って」

「るぉらーーーー」


 ぱすん


 サイレンサーを付けた拳銃から弾丸が発射されたような乾いた音、声にならない呻きを発して、スローモーションで倒れてゆく部長。明るすぎる繁華街の上で、ぎゅわんと輪郭を鮮明にする満月。撃ち抜いた拳、肩まで伝わってきたインパクトの衝撃。ずれた眼鏡。笑う――きっと邪悪な笑顔。ふふ、あー、人体を殴るのがこんなにも清々しいなんて……やばい。今の一撃、殺したんじゃないかって不安になるほどの感触!

「た、田中さん……空手か何かやってるの?」

「いえほんのちょっと、YouTubeで調べただけです。でも凄いですね部長、今のを食らってもう喋れるなんて!私感動しちゃいました」

「あ、ありがと……」

 見渡す。全員ドン引きしている。あー、堪らないこの空気感。

 

 私の中の獣が透明な絶叫で満月を震わせた夜。


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