第32話かつての恋人②





 ある日、セリアスは金の塊を持ってきた。


「アリテ、これで君の指輪を作って欲しんだ」


 セリアスは、そんなことを言い出した。セリアスが言うのに、家を飛び出る前にもらってしまった財産で買ったということだった。


 貴族の家というのは豪気だなとアリテは思ったが、家と縁を切る息子を心配した母親がこっそり彼に渡したものだったらしい。そんな大事な財産で、金なんて買ってどうするのか。


 アリテは、少し呆れた。


「自分の指輪を自分で作るのですか。……まぁ、作れますけど」


 無理な願いかもしれないけれども、とセリアスは言いにくそうに告げた。


「あのね。僕の地方に伝わる指輪を作って欲しいんだ。ギメルリングと言ってね……」


 面倒な注文にアリテは嫌な顔をしたが、恋人の頼みならしょうがないと思った。


 それに、セリアスにはいつも自信がなかった。冒険者として上り詰めたくせに、彼の価値観は自分をいつでも否定する。


 自分はアリテには相応しくない、とセリアスは思ってしまうのだ。いつかアリテがどこかに行ってしまうのだと恐れて、ギメルリングなんて面倒なものを作って欲しいなんて言ったのだ。


 それぐらいに、アリテを引き止めたいのだろう。


 そこが可愛いと思ってしまった自分が嫌になったので、アリテは机に頭を打ち付けた。痛かったが、目は覚めた。これで恋人を可愛いだなんて思う不埒な思考回路は消え去ったはずである。


「アリテ、どうしたんだ!アリテ!!」


 いきなりの恋人の奇行にセリアスは慌てたが、落ち着くようにアリテは言った。


「ご心配なく。これは、自分を落ち着けるための行為です」


 セリアスは心配そうだったが、告白よりも前にプロポーズをしたセリアスも変人具合では変わらないであろう。だからこそ、気が合うのではないかと——。


「アリテ!!」


 セリアスの前で、アリテは再び頭をテーブルに打ち付けた。


 




 セリアスが、フォルとテカというパーティー仲間を連れて来たのは付き合ってからしばらく経ってのことだった。二人ともセリアスと同じぐらいの年代で、セリアスはこれからはファルの剣も打って欲しいと頼む。


「それはいいですけど……」


 フォルとテカには、どのような立場でいればいいのかアリテは悩んだ。そして、セリアスの方をちらりと見る。


 セリアスはフォル達には気づかれないように勇気を振り絞るような顔をして——そんな顔をしたくせに嘘をついた。


「アリテは、僕の恋人の弟なんだ。恋人は病弱で寝たきりなんだけれども」


 アリテは情けないと思うのと同時に、セリアスに染みついた価値観は根深いのだと思った。彼は、常に自分で自分を責めていた。


「そうです。セリアスは、未来の義兄なのです」


 アリテは、セリアスと共に嘘を付くことにする。


 親に植え付けられた価値観で苦しむセリアスが、アリテには本当に可哀そうであったのだ。だから、セリアスの嘘に付き合った。


 嘘を確かなものだと思わせられるように、アリテは工夫を重ねた。食料は二人分買ったし、姉の体調の偽りの記録も作った。そうやって姉と言う嘘の人物を作っていく内に、アリテは不安になる事もあった。


 セリアスの価値観が、本当は正しいのではないのだろうか。


 自分たちの関係は間違っていて、セリアスの親たちが正しいのではないだろうか。


「私まで巻き込むな……」


 アリテは、時に顔も見たことがないセリアスの親に悪態をつく。それは、決まって一人っきりのときであった。こんな弱いところをセリアスには見せることは出来なかった。見せたら、彼を不安にしてしまいそうで怖かったのだ。


「私を巻き込まないで!自分たちの価値観に私たちを巻き込んで、不幸なんかにしないでください!!」


 自分たちは何も間違っていない。


 その証拠に、誰も罰など与えてはいないではないか。





 珍しいことに魔法使いのテカが、一人でアリテの店にやってきた。生活必需品が壊れたのだろうかと思ったが、テカは思いつめたような顔で言った。


「……セリアスの事が好きなの。あの……あなたのお姉さんの婚約者であることは知っています。でも、告白させてください」


 テカは、そう言って去って行った。


 アリテは、全身から力が抜けてしまった。


「そうですよね。起き上がれない病弱な女よりも、自分の方が魅力がある。そう思うのは自然なことで、テカがセリアスの事を好きになるのも自然なことで」


 アリテは、笑ってしまった。


 同じパーティーだからこそ、テカはセリアスと共にいる時間が長い。信頼関係も結ばれているはずだ。その信頼関係が恋に代わる事は、珍しいことでもなんでもなかった。


 もしも、セリアスとアリテが付き合っていることを知っていたら——テカは告白をするなど思いつかなかっただろう。


「私たちのせいですね……私たちの」


 セリアスは、テカの思いには答えないだろう。


 義理深いセリアスが自分を裏切るとは、アリテは考えていない。だからこそ、セリアスにフラれて傷つくテカが可哀そうだった。




 セリアスが死んだと聞いたとき、殺されたのだと思った。ダンジョンで死んだのでセリアスの死体は持ち帰られなかったが、アリテは間違いないと思った。


 自分が打った剣が折れたと言う話だが、モンスター相手に折れるような剣などは打っていない。折れるとしたら、攻撃されるとは予想していない魔法の力でだ。


 テカは、セリアスに告白をするつもりでいた。ならば、二人っ気になるチャンスを狙っていたはずである。



 セリアスを殺したのは、彼女だ。



 だが、アリテは彼女のことを断罪することが出来なかった。テカを断罪などしたら、セリアスが隠したかった最大の秘密も明らかにしなければならない。仲間にすら話すことが出来なかった秘密を。


 そして、これは罪に対する罰なのではないかとアリテも思うようになっていた。セリアスが植え付けられた価値観が、アリテにも移っていたのである。


 アリテは、テカを断罪できなかった。


 許すしかなかった。


 けれども、秘密と指輪だけは守ってみせると思った。


 アリテは、だからこそ王都を離れたのである。


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