第31話かつての恋人①
アリテの恋人は、セリアスと言った。
誠実な青年で、元貴族だけあって礼儀作法がしっかりしていた。アリテも教わって少しだけ覚えたが、彼の優雅な挨拶には敵うことはなかった。
最初こそ、アリテの師匠に剣の手入れを頼みに来ていた。やがて、店の店主はアリテに代替わりして、セリアスはアリテの顧客になった。
「これかからもよろしくね」
セリアスは、代替わりして間もないアリテに握手を求めたことがあった。
本当に礼儀正しい人間だと思って手を握り返せば、セリアスは顔を赤くする。そのときは、面白い人間だったんだなと思っただけだった。
アリテは卓越した腕の持ち主だったが、自分が有名になるのはまっぴらごめんという考えの持ち主だった。そのため、数少ない顧客だけを相手にしながらひっそりと商売をしていたのである。そのため、アリテの名は全く知られていなかった。
そもそもアリテの師からして、顧客以外からの仕事はしないという人間だったのである。師匠は、昔は王にも剣を献上したことがあるらしい。しかし、その剣を軽々と下賜されたと聞いて、師匠はへそを曲げてしまったのである。
師匠は王家からの注文は一切断るようになって、自分が許した人間以外と交流を持つことを止めてしまった。そんな師匠に育てられたアリテは、鍛冶屋というのはそういう商売だと刷り込まれてしまっていたのである。間違いに気がついた時には、師匠の営業スタイルが板についていたので変えることも面倒になっていた。
それに、店にはアリテ以外の従業員がいないのだ。顧客だけを相手にするという営業方針でいなければ、アリテの方が潰れてしまうという事情があった。
しかし、卓越した腕前の鍛冶屋がいるという噂だけは王都に流れていた。その噂だけですら、アリテは疎んでいた。稀に、アリテの店を探し出して「剣を打ってくれ」と頼みに来る無鉄砲な人間がいたからである。
「アリテ、君の望みはなんだい?」
セリアスが、そんなことを訪ねてきたことがあった。
鍛冶師に聞くにしては、随分とおかしな質問であった。しばらくして、アリテはセリアスが自分個人と話がしたいのだと気がつく。つまりは、世間話がしたいのだと。
「望みですか……。小さな町に住みたいですかね。王都はごみごみして苦手です。いっそ店を売って、移り住んでしまいましょうか」
師匠から受け継いだのは、店だけではない。顧客も含めて、アリテは引き継いでいた。それを想うと簡単に引っ越しはできないが、望み何てものは夢のようなものだ。適当に答えても良いだろうと思った。
「いいね。田舎で可愛い奥さんと子供に囲まれて……」
セリアスは、どこか残念そうな声で言った。
「別に、一緒に住む人間は誰でもかまいません。仕事を邪魔しなくて、うるさくはない人間が理想です。子供だっていりません。弟子は取るかもしれませんが、弟子と子供は別物ですから」
師匠は、子供どころか結婚も煩わしいと言ってしなかった。そんな大人を間近で見ていたアリテは、そのような人生を自分も送るのかもしれないと思っていたのである。
田舎に引っ越したりしたりしても、弟子は取るが一緒に住まうような人間は探さないつもりでいた。
アリテがおざなりに言ったにもかかわらず、セリアスの目が輝いた。そして、アリテの両手を握ったのである。それは、突然のことだった。
なんてことのない話をしていただけなのに、セリアスの手は随分と汗ばんでいた。ぬるりとした感触が気持ち悪いなと考えていれば、セリアスから思いもよらないことを言われる。
「結婚してくれ!」
アリテは持っていたペンチで、セリアスの頭を殴った。
セリアスが昏倒しなかったのは、さすがである。S級冒険者は鍛え方が違うのだなとアリテは思った。それでも痛みに悶えていたので、かなり痛かったのであろう。
「殴るという事は……その気がないという事なんだね」
残念そうなセリアスを見て、アリテは自分の心を真剣に見直す。セリアスの言葉は冗談であったと思ったのだが、どうやら本気のプロポーズだったらしい。ならば、真剣に考えなければならないと思ったのだ。
「いや、殴ったのは条件反射です」
セリアスは、脱力した。
小さな声で「殴らないでよ……」と呟いている。仕方がないであろう。その手の冗談は大嫌いなのだ。そして、大嫌いなことは周囲に分かりやすく伝えなければならないとアリテは考えていた。
なお、これは師匠の教育の結果である。
好きな物は好き、嫌いなものは嫌い。
自分を持って、はっきりと相手に示せるような人間になれ。
そのように教わったアリテは、嫌なことがあれば他人には物を投げていいと思うようになってしまったのである。これも世間的にはいけないことだと分けっているが、なかなか直せない。もはや、癖になってしまっていた。
「ペンチを投げた件は謝りますが……なんでプロポーズなんてしたんですか」
アリテとセリアスの関係は、あくまで客と店主だ。
いきなりプロポーズされたら、アリテは困惑するしかない。
「アリテのことがずっと好きで、独り占めしたかった。でも、アリテの未来を奪いたくもなかった。アリテが将来の相手が誰でもいいというのならば、僕にしてくれ」
セリアスは、死にそうな顔をしていた。
告白一つで大げさなとも思ったが、セリアスにとっては重要なことだったらしい。
後から聞いたことだが、セリアスが告白した相手はアリテが初めてだったのだという。貴族の価値観を持っていたセリアスは、自分の恋愛感情を押し殺して過ごしていた。しかし、アリテを見つめていて我慢ができなくなったのだと語っていた。
アリテはしばらく考えて、とりあえず釘を投げた。
釘は、セリアスの額にぶつかる。
「いきなり、プロポーズなんて止めてください」
釘を投げる必要はなかっただろう。セリアスは内心で、そんなふうに思ったのかもしれない。
いきなりプロポーズをしたセリアスだったが、店に来るペースが変わる事はなかった。必要なときには来るし、必要がないときは来ない。
セリアスは自分にあきたのだろう、とアリテは考えていた。プロポーズまでしたのに薄情なものだと考えながら、アリテは一人で不機嫌になる。
普通に考えてみれば、釘を投げつけられたらフラれたと思うであろう。だが、アリテは『プロポーズをしたこと』に対して釘を投げたつもりでいた。
つまり、セリアス自身を否定したつもりは全くなかったのである。若いアリテは、面倒くさい思考の持ち主であった。
「どうして、いつものペースを崩さないんですか?あきたのですか?」
自分に会いに来る頻度が上がると思っていたのに、一向に会いにこないセリアスにアリテは膨れていた。あきたなら正直に言うべきだとセリアスを責立てる。
セリアスの方は、驚くしかない。
「だって……これ以上は嫌われたら嫌だろ。僕はフラれたし、少し距離を置きたかったぐらいなんだ。でも、君の腕が良すぎて店に来てしまう。君以上の鍛冶屋なんて知らないからね」
セリアスが何を言っているのか分からなかったので、アリテは首を傾げた。
その様子に、セリアスはようやくアリテと自分の考えが食い違っていることを悟った。そして、アリテというのは自分が思っているよりも面倒くさい人物だったのだと確信したのだ。
「私は、いきなりプロポーズをするなと言ったんです。プロポーズ以外のことについては、何も言っていませんよ。あなたのことは顧客としてしか見ていません。それに、あなたをふったとは思っていませんから」
アリテの言葉に、セリアスは苦笑いした。アリテの言葉は横暴だ。けれども、セリアスはアリテを口説きたいと思った。自分の来訪を待ってくれていたということだけで、セリアスは嬉しかったのである。
「アリテは……少し変わっているね。というより、恋愛の経験値が低い。僕のことを気持ち悪いと思わないなんて——……」
言いかけて、セリアスは首を横に振った。
「そうだった。君は平民で、普通の育ち方をしたんだよね。同性愛には、そんなに拒否感がない。君自体も人生のパートナーは誰でもいいと思っている人間だ」
セリアスは違うのだろうか。
アリテが尋ねる前に、セリアスは答えた。
「僕は、貴族として生まれた。貴族は同性愛を嫌うから……。僕は自分を否定されて育ったんだ。それで……家が好きになれなくて、飛び出してきたんだよ」
セリアスは、アリテが思っていたよりも複雑な人間らしい。彼と比べたら、自分の人生は割と単純なのだとアリテは思った。
「それで、なんなんですか?あなたを否定する価値観で、あなたは自分を否定し続けているのですか?多数の価値観があるというのに、育った価値観に縛られて」
セリアスは、悲しげに笑った。
「そうだよ……。僕は、自分が恥ずかしいんだ。いっそのこと消えてしまえたらと思うよ」
アリテは、セリアスに興味を持った。
なんて、可哀そうな男だろうとは思わなかった。
「消えてしまいたいくせに、人にプロポーズなんてしたんですか?」
なんと愚かなのだろうか。
そんなことをアリテは考えていた。
なのに、気がついたら絆されていたのだから人生は分からない。
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