第21話パン屋の夫の過去
「領主の家族の役割として、祭りの準備の進捗具合を確認にしにきたの。つまりは、お兄様のお手伝いよ」
そう言いながら、ソーセージの腸詰め作業を手伝っていたのはステリアだった。母のドレスをアリテの店に持ち込んだことのあるご令嬢は、ソーセージ制作において一番楽しい作業を子供から横取りしてご機嫌である。
「形悪いなぁ……」
出来上がったのはソーセージを見ながら、ユッカはそう呟く。熟練の主婦たちと比べてステリアのソーセージには空気が多く入って隙間が多い。ソーセージとしては不格好だ。
「このソーセージは、『貴族の(作った)ソーセージ』として毎年人気なのよ」
客は間違いなく『貴族の(御用達)ソーセージ』として購入していることだろう。
「それより、冒険者がなんのようなの、材料なら足りているわよ」
肉類の提供と言う名の狩は、冒険者の仕事だ。少し前にユッカも駆り出されて、狩りに出た。猪や鹿といった肉をたんまりと採取して戻り、町の人々には大変喜ばれたものだ。
「ちょっと探している人がいるです。ルカっていうパン屋の奥さんなんだけど……。居場所を知りませんか?」
串焼きの串を作る作業は、ユッカがアリテの所に行っている間に終わってしまっていた。ルカは別の場所の手伝いに行ったのだと思うのだが、居場所が分からずにユッカは途方に暮れていたのだ。
そのために、ユッカはソーセージ作りを見学にしにきたのであった。ソーセージを味見をさせてもらえないかという邪心がなかったと言えば嘘になるが。
「新作のパンの試食会をやるって言っていたから、店の方かも。新作のパンをお祭りで売るらしいわよ」
なるほど、とユッカは頷いた。
祭りでは、毎年パンも売っている。ムッシュルは舞台の方にかかりきりになるので、ルカが一人でパンを焼くのは毎年恒例のことであった。美味しくてボリュームがあるので、祭りではルカのパンは若者に人気だ。
ソーセージは味見できなかったが、昼も近いのでパンも魅力的である。ユッカは、パン屋に行くことにした。
決して、パンの味見が目的ではない。ユッカは、音がなりそうな自分の腹を押さえた。
「じゃぁ、パン屋の方に行ってくるか」
そうユッカが呟けば、遠くからルーレンがやってくるのが見えた。ルーレンは、最近になって正式に領主の跡を継いだ。つまり、今の当主は彼なのだ。
新しい領主であるルーレンの姿に、さすがに全員が立ち上がろうとしたが「仕事をしていてくれ」と彼は制した。ソーセージ作りの邪魔をするつもりは、ルーレンにはないらしい。
「領主様もソーセージを作るんだ……」
呆然としているユッカに、周囲は笑い出した。
そのなかで、ユッカだけが首を傾げている。
「私は、予算が的確に使われているかのチェックをしているだけだ。本当は子供のときのように手伝いたいが、さすがに当主がやるわけにはいかないからな……」
ルーレンは、ソーセージの腸詰め作業を羨ましそうに見ていた。本当にやりたいのだろうが、威厳などの問題があるのだろう。領主兄妹の親しみやすさは、ステリアが担っているらしい。そう考えれば、たしかに当主までもがソーセージ作りに参加するわけにはいかないのかもしれない。
「そういえば、今回の踊りはアリテがやるときいていたぞ。男の舞手は例がないが、アリテだったら器用に務めるのだろう。今年は、父が療養で旅立つ前の最後の祭りだから是非とも盛り上げてくれ」
領主のルーレンところにまで、アリテが少女の役を務める噂が聞こえているらしい。先ほど予算うんぬんと言っていたので、アリテが少女の役をやることは最初から町人を通してるルーレンに報告されていたのかもしれない。
「かなりキレイなのでしょうね。本番後には、間近で化粧した顔とか見せてもらわないと。安心して。絶世の美女になっても父の療養を手伝えだなんて言わないから」
兄以上にステリアはワクワクしていた。多くの村の女性と同じく、ステリアもアリテの女装を楽しみにしているらしい。
領主の一族は美形は好きだが、美形の邪魔はしたくはないという人種である。本人の弁を借りるなら、あるがままを愛でたいのだと言う。ルーレンとステリアは、カメオとドレスの一件ですっかりアリテを気に入っていたらしい。
町に馴染んでいるアリテを召し抱えるような気はないが、それとこれとは別で女装は楽しみたいらしい。領主の一族らしい変な思考回路である。
もしも領主の一族が好色であったら、町は大変なことになっていたかもしれない。そうかんがえると、領主の一族が変人揃いであったのは幸いだったのかもしれない。
「そういえば……」
使用人や女中は顔立ちで給金が変わると聞いたことがあったが、ルーレンたちの館でも同じようなことがおきているのだろうか。だとしたら、アリテはどれだけの額を稼げるのだろうか。
「あっ、家事スキルがないからダメか」
貴族での館の仕事は、大体が家事である。領主一族の家を整えて、食事を作る。アリテは家事ができないわけではないが、そこまで好きではないようなので使用人はそもそも向かないのだ。
「そう言えば、冒険者ギルド所長のエアテールから聞いたが……」
ルーレンは、作業中の女性陣をちらりと見た。
ソーセージを作っている彼女たちは、アリテの女装で盛り上がっている。ルーレンの話は、誰も聞いていない。そのことにルーレンは安堵しながら、念のために声を落としてユッカに語り掛けた。
「ムッシュルのことを調べていると聞いている。彼は王都から帰ってきた時に、多額の借金を抱えていたはず。父の代にムッシュルの両親が相談にきたようで、借金については二つあった店の窯を一つ売り払って解決したようだが……」
パン屋にとっては、窯は命だ。
その窯を売り払ったということは借金が多額のかつ、よくない筋からだったという可能性がある。金を借りると言う行為は、それだけで結構なリスクを伴うのである。
借金は銀行からのものが一番安全だが、それはかなり難しい。銀行からも借金は、あくまで融資であるからだ。個人で受けるには店を経営していることや店を経営できるだけの腕前があることを証明しなければならない。
役者であったムッシュルでは、銀行から融資を受けることは無理だったであろう。ましてや売れない役者だったならば、悪い筋から金を借りても返せなかったはずだ。利子の額がかなり嵩んでいた可能性だってあった。
「初耳だ……」
驚くユッカに、ルーレンは苦笑する。
それは当然だと言いたげな顔であった。
「王都から戻ってきた息子が借金だけ持ってきたというのは、外聞が悪いからな。小さな町では、なおさら噂は早く伝わってしまう。そこを含めて、父に相談であったと思う。父は、町の外部から窯を買い取ってくれる人間を呼んだようだからな」
町人の生活を守る前領主は、かなり慎重にムッシュルの借金を返せるように手配していたらしい。おかげで、町にはムッシュルの醜聞の噂は広まらなかった。
「ムッシュルの店のパンは美味しいから、館で使うこともあった。そういう縁があったからこそ、父は借金の相談を真摯に受け止めたのだろう」
商売に対して、ムッシュルの態度はやや投げやりと言っても良いだろう。接客こそ普通にこなすが、パンを焼くと言った作業は妻のルカがやっているようだ。普通ならば、親からパン屋を継いだムッシュルの仕事であるだろうに。
「思っていた以上に、ムッシュルって駄目男だよな」
人に厳しいというのは、時には美徳であることもある。しかし、それは相手のことを真に考えていたときだけだ。自分のやりたいことを優先したいがために人に厳しいのは、少し違うのではないかとユッカは思うのである。
ムッシュルが妻のルカを殴っていると聞いた時には、ユッカは信じてはいなかった。何故なら、ユッカにとってはムッシュルも大事な町の一員であったからである。演劇には厳しいという噂こそ聞いていたが、そこまで悪い人間ではないだろうと考えていた。
だが、今となってはムッシュルはルカを日常的に殴っているのではないかと疑ってしまう。それぐらいにはムッシュルの株は、ユッカになかでは大暴落している。
「ところで、アリテの女装姿に人気がでたら……絵姿を売る権利をもらえないか?ちゃんと町の名産物として売り出せるようにするから」
突然のルーレンの言葉に、ユッカは言葉を失った。
驚きと同時にユッカの脳裏に浮かんだのは、ものすごく嫌がるアリテの姿であった。それこそ、牙を向いて抵抗している。想像上のことだが、アリテだったら現実でも似たような反応を取るはずだ。
「少女役の役者が男性というだけで噂がもちきりなのに、アリテの美貌なら伝説になりえる可能性もあると思うんだ」
ルーレンは、ぐっと拳を握りしめて力説した。
ユッカは知らなかったが、少女役に男が選ばれたということは町の外でも噂になっているらしい。田舎だから娯楽に飢えているのは分かるのだが、噂の広まり方がなかなかに早くてユッカはアリテのことが可哀そうになった。
「役者は持ち回り制でやっているので、来年には舞手は頼めない。ならば、いっそのこと伝説回として記念品を作れば町のお土産になると思うんだ」
つまり、アリテのキャラクターグッツを作りたいということである。
ルーレンは、本気だった。
本気でアリテをモデルにして、一儲けしようと考えていたのだ。ルーレンのことだから町を富ませるための提案であろうが、アリテが大反対しそうなアイデアである。
町が潤うのはユッカとしても嬉しいが、それが友人がモデルになった記念品というのは複雑な気分だ。
「小さな絵を描いてもらって、絵としては安めに仕上げて……。絵には町のサインを入れて、公式ブランドを作って……。いや、どうせならば人形も作った方が」
うきうきしながらルーレンは、商品の案を次々と考えている。ルーレンは商売のアイデアを考えるのが好きらしい。
領主という仕事についていなかったら、商人になって一財産をきずいていたかもしれない。いや、町という大きな単位で商売ができる今の方が幸せなのか。貴族のソーセージのアイデアも彼のモノなのかもなのかもしれない。
そんなことをユッカは考えて、現実逃避をしていた。
「なんで……そんなことを俺に言うですか?」
ユッカは嫌な予感がした。
ルーレンは逃がすものかという迫力をこめて、ユッカの肩をがっしりと掴んだ。ユッカは悲鳴を上げそうになったが、寸前のところで飲み込む。気安いといっても相手は領主である。さすがに悲鳴を上げるのは無礼すぎるだろう。
「お……俺は、俺はアリテをお土産にする件には無関係ですよ」
ただの冒険者だし、とユッカは言うがルーレンはにこにこと笑っている。その笑顔が、とても怖かった。
「アリテはユッカには、甘いと有名だからな。もしものときは、一緒に説得をしてくれ。なにせ、アリテが少女役を引き受けた際にも活躍したと聞いているからな」
それは一生に一度のお願いと土下座のおかげだ。
「だ……ダメです。だって、一生に一度のお願いは、使い切ったんですから」
ユッカの言葉に、ルーレンは腹を抱えて笑い出した。その声にソーセージの中身をつめていた女性たちも驚いた。
「……笑って悪かった。そうか……『一生に一度のお願い』は、たしかに強力な武器だ。私も使ってみようか」
ルーレンはまだ笑いが収まらないらしく、ちょっと苦しそうだ。
「アリテは、本当にユッカに甘いようだ。私も妹の『一生に一度のお願い』を何度も聞いたよ。三回ぐらいまでなら何も言わずに聞いてくれるから、試してみろ」
ユッカは、ルーレンはとんでもない数の『一生に一度のお願い』を聞いているのではないかと呆れてしまった。領主の兄妹は仲が良いと思っていたが、単に兄が妹に甘いだけなのかもしれない。
「アリテは、そこまで甘くないと思います。女装だけでも嫌がっていたのに、それを商品化されるだなんて……」
もはや地獄ではないだろうか。
そもそも女装であっても、ムッシュルの件がなければ絶対に引き受けていなかったであろう。ユッカの『一生に一度のお願い』と土下座が決め手になったとは、どうにも思えないのだ。
だからこそ、ユッカは心の底からアリテに同情した。
唯一の救いは、領主のルーレンが無理意地をするような性格ではないということだろうか。本人の許可を取ろうとしているあたり、普通の領主よりも優しい人なのだ。やっていることは、アリテにとっては大迷惑であったが。
「まぁ、頼む」
ルーレンにはそう言われたが、ユッカには出来る事と出来ないことがあるのだ。というか、出来ないことの方が多い。ユッカは、大きなため息をついた。
「こういうことこそ、大人の仕事だろうが……」
いや、自分以外の人間がやってくれれば誰でもいい。
ユッカは、そんなことを想っていた。
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