女の人生は美麗な踊りで

第19話祭りの準備と地獄の練習


 町の誰もが楽しみにしていた季節がやってきた。祭りの季節は人々を浮き立たせ、同時に準備で忙しくさせる。それは大人の子供も変わりがない不文律であったが、祭りで重要な役割を持つ人間はより一層の忙しさを味わっていた。


「あー、かわいそうに」


 ユッカの力ない同情の声が、アリテを苛立たせる。


 アリテは、竜祭の舞踏の練習に駆り出されていた。練習は厳しく日々疲れ切るまで続いているらしいが、それはアリテの不機嫌の理由ではない。今は休憩時間中で、ユッカが差し入れまで持ってきたと言うのにアリテの機嫌は一向に直る様子はなかった。


 ひらひらの衣装を身にまといながらも、アリテは胡座をかいて座ってぶすっとしている。刃を潰してある演劇用の剣をおざなりにぶんぶんと振り回す姿は、親に怒られた子供のようにも思われた。つまりは、分かりやすく拗ねているのである。


「竜際で役者に選ばれたのは同情するけど……。もうちょっと機嫌を直せよ」


 アリテは、ユッカの言葉を聞いてくれなかった。相変わらず不機嫌そうに、ぶすっとしている。


 数日後に控えている竜際は、町で一番大きな祭りである。


 少女が竜を倒したという町の伝説の物語を踊りにして、町内外の人々に披露する祭りだ。伝統的なものではなくて、十数年前から始まった村興しの一環である。目処は竜役の早着替えで、毎年変わる踊りと衣装は舞台の目玉の一つになっている。


 ちなみに、専任の役者はいない。小さな町だから、そもそも年中開いているような劇場がないのだ。


 そのため、舞台に立つ人間は町内会の人間の持ち回りだ。今年の竜を退治する少女役は、アリテだった。


 伝統的な祭りならば子供が役者を努めたりするが、町興しとして外からの客を招くのを目的としているので大人が役者をする。役者には町内会から金一封が出るとはいえ、忙しい大人たちとしては割り当てられたくない役割である。


 例年ならば、竜を倒す少女の役は若い女性が務めるはずだった。だが、今年に限って言えば例外的にアリテが選ばれてしまったのである。アリテの不機嫌の理由はそれだ。


 なお、アリテが選ばれた理由は簡単である。


 女性たちが結託して、アリテを推薦したのである。理由は『美形の女装が見たかったから』の一つだった。今回のアリテは、完全なる被害者である。


「女性って、たまに男の女装を見たがりますよね。気持が分かりません……」


 アリテは、げんなりしている。


 祭りも近いので、アリテは去年の衣装を着て練習をしていた。遠くからでも目立つように、濃い桃色の衣装だ。


 袖や裾が長いせいで、長身のアリテが着ても寸足らずにならずに済んでいる。今年の本番で着る衣装は、未だに製作中であった。


「というか……衣装を作るのに私も参加しているんですよ。私だけ役割が多くないですかー。もう、嫌になるんですけどー」


 アリテは語尾をのばして、だらしない喋り方をする。珍しい光景だ。よっぽど役者をやるのが嫌らしい。


 アリテの言うとおり、彼は多忙を極めていた。


 何故ならば、役者の他にも早着替えの竜を衣装製作と自分の衣装作りまで手伝うことになっている。裁縫の上手い人間が主となって役者の衣装を制作しているが、修理が本職のアリテには誰も敵わない。そのため、仕上げは彼が担っていたのだ。


 手先が器用なアリテは、去年も裏方として大人気だった。様々な物を作ったり、修理をしりして、同じく裏方だった女性陣のハートをしっかり掴んだ。


 結果は、今年の女装だった。


 なので、誰も羨ましく思っていない。


 むしろ、町中の男たちが同情している。


「でも、ほら……似合っていると言えなくもないぞ」


 美しい顔立ちのアリテだが、細いながらも体格は男性だ。ひらひらと布が舞うような衣装を着ることは出来たが(それでも、アリテ本人の手で多少の調整にされたらしい)男性らしい骨格が際立つ。


 それでも、ユッカや他の男が着るよりはマシだろう。ユッカはアリテよりは身長は低いが、筋肉と肩幅がある。女物の衣装なんて着たら、目にも当てられないはずだ。


 それに、舞踏用の衣装を着たアリテは美しかったのだ。アリテを推薦した町の女性たちが、そろって黄色い悲鳴を上げるほどには。今だって祭の準備をする女性が、ちらちらとアリテを見ている


「嬉しくないですよ。第一、私は運動神経がさほど良くないんです。踊りなんて教えている方もストレスだと思いますよ」


 アリテは、踊りの教師役である中年男を見た。パン屋のムッシュルは、劇の振り付けを毎年考えて指導している。


 今はでっぷりと太っていて面影はないが、ムッシュルは若い頃は王都で鳴らした美形の役者だった。といっても大きな役には恵まれずに田舎に戻ってきたわけだが、プロの舞台を知っているという理由で指導役という重要な役割を担っている。


 彼は、アリテがひらひらの衣装を着る最終的な理由ともなった人物だ。


 アリテが少女の役をやることになった第二の理由は、ムッシュルのことを探るためなのだ。エアテールに頼まれたことなのだが、ムッシュルは妻に暴力を振るっている可能性があるのだという。


 ムッシュルの妻は、何度も医者にかかって打撲によって出来た怪我を治療している。あまりにもその数が多いので心配した医者が、このことをエアテールに相談したらしい。エアテールは妻と話をしたが、彼女は夫からの暴力を否定している。


 しかし、ムッシュルが怪しいことには変わりがない。だから、祭の準備期間中だけでもムッシュルを監視して欲しいとエアテールに頼まれたのである。そのせいで、アリテはムッシュルと一番長く接触する少女の役を引き受けざるをえなくなったわけだ。


 前回のアナの騒動で、アリテはエアテールに信頼されてしまったらしい。アリテならばムッシュルの妻への暴行の証拠を掴んでくれるはずだ、とエアテールは確信していた。そして、ユッカは役者を嫌がるアリテの説得をエアテールに頼まれた。


 冒険者ギルドの所長であるエアテールの頼みを断れなかったユッカは、アリテを必死に説得した。三日続けての説得の末に、ようやくアリテはムッシュルを監視するために少女役をすることを了承してくれたのだ。

 

「一生に一度のお願いは、消費したけどな……」


 ユッカは、ボソリと呟いた。


 未だに「一生に一回のお願い」と言いながら、アリテに土下座した記憶はユッカの中で新しい。なさけなくて、思い出すだけでユッカは泣きたくなる。


「それにしても、ムッシュルは簡単に尻尾を掴ませようとしますかね。今までは発覚しなかったというのに」


 アリテは、ユッカに耳打ちする。


 妻の通院がなければ、ムッシュルの暴行の手掛かりすら掴めなかったのだ。わずかな祭の練習期間だけで、ムッシュルの本性を見破れるとは思えないとアリテは考えているらしい。


「今頃になって通院するなんて……」


 アリテの意味ありげな呟きに、ユッカは目を輝かせた。そして、アリテの方に向かって身を乗り出す。


「もしかして、もう何かが分かったのか?」


 観察眼が鋭いアリテならば、すでに気がついたことがあるかもしれない。ユッカはワクワクしている表情であったが、それが途端に歪んだ。アリテに、思いっきり鼻をつままれたからである。


「そんなに単純な話ではありませんよ。普通ならば家庭の事情なんて見えません」


 アリテは、まだ何もつかんでいないようだ。


「というか、衣装の進捗状況がよくないんです。早着替えの仕掛けは面倒だし。踊りは覚えきれないし……」


 祭りのことに関して、アリテは色々とキャパオーバーしているようだ。これでは、ムッシュルのことを探ることは難しいかもしれない。


「……俺もムッシュルのことを色々と探ってみる?」


 普段のムッシュルは、ごく普通の男である。普通に笑うし、店にやってきた客とも普通に喋る。それに、ムッシュルは若い頃は女性人気があった。俳優崩れというだけあって、彼の顔立ちは整っていたのだ。今は太っているが。


 アリテを見ていれば、顔の良さで得をするのは明白……。いや、けっしていつも得をするわけではないだろう。今のアリテは、げっそりしている。


「ムッシュルさんより、奥さんの方をお願いします。どうせ……冒険者たちは当日の警備まで暇でしょう」


 遠回しに嫌味を言われたが、そのとおりだから仕方がない。


「えっと……ルカって祭りの何の準備の仕事をしていたっけ?」


 ルカというのは、ムッシュルに暴力を受けている疑いがある妻の名前である。ムッシュルとは反対にほっそりとした長身の美人で、昔は美男美女夫婦として町でもてはやされたらしい。


 ユッカが尋ねれば、アリテは「出店です」と答えた。


「今は、串焼きの串を木の枝を削って作っていると思いますよ。羊肉の串焼きは名物ですから」


 町の側に群生するハーブで臭みを消した羊肉は、町が名物として売り出している代物だ。塩味が効いていて美味しいが、実際のところマージというお祖母さんが作るパイ各種の方が売れている。長年の勘でサクサクに焼き上がる生地と本人しか知らない隠し味が、そこら辺のパイとの違いだ。


 ユッカもマージお祖母さんのブルーベリーパイを食べたら、他のパイを食べることが出来なくなってしまった。それぐらいに美味しいのだ。


「単純な作業ならば手伝えるし、ルカのところに行ってくるか。そろそろ休憩も終わるだろ」


 しばらくアリテと取り留めのないことを話していれば、ムッシュルがこちらに近付いてくるのがユッカには見えた。休憩時間は終わりかと思って去ろうとすれば、何故かアリテに袖を掴まれる。


「ちょっと練習に付き合いませんか?」


 おまえも地獄に付き合え。


 アリテの表情からは、そのような言葉が読み取れた。


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