第18話人の秘密と歴史
「なぁ、アナの件は何事もなく終わったけど……。飯屋の店主はどうするんだろう。今回の作戦が上手くいかなかったんだから、同じことを繰り返すのかな?」
すでにアナとエアテールと別れて、ユッカはアリテと二人になっていた。
アリテは、まだユッカの背中の上にいる。
大人のユッカはそれなりの重みがあるが、鍛えているユッカが背負えないほどではない。それよりも、二日酔いの友を放っては置けなかった。それに、色々とアリテに対して思ったこともあるのだ。
「それも、エアテールさんに託します。他人の説得に関しては、エアテールさんが適任ですから」
年の甲というべきなのだろうか。エアテールは他人の説得が上手いし、人望がある。アリテが真実を突き付けたり、ユッカが何かを言うよりもずっと上手く事態を収拾してくれるだろう。
今回のことでは、被害者も怪我人も出ていないのだ。飯屋の旦那を説得し、女将の浮気の疑いを晴らせれば全てが上手くいくのである。
「……あまり、ユッカは考えすぎないでいいですよ。上手くやるのは大人の仕事です」
たしかにそうだ。
今回は、ユッカには出来ることがない。他人の想いを紐解いて説得するのは、きっと大人たちの仕事だ。だとしたら、ユッカに背負われている二日酔いのアリテも十分に大人の役割を果たしたことになる。
「アリテは、奥さんの浮気をしてないって言っていたよな。確証がないのに、どうして言いきれたんだ?」
飯屋の女神が浮気をしているという証拠はないが、していないという証拠もないのである。だが、アリテの考えでは彼女は白だと言う。
「これは、あくまで経験則なのですが……」
アリテは、言葉を切った。
ユッカは、自分の背中の上でアリテが笑っているような気がした。ユッカは、アリテには嫉妬深い恋人がいると聞いたことを思い出す。アリテは、その人のことを思い出しているのだろうか。
アリテとエアテールに比べれば、ユッカは若輩者だ。エアテールが元冒険者であるように、アナが演劇の勉強していた時期があるように、ユッカの人生には歴史がない。
アリテは、ユッカと逆だ。
様々な歴史をもって、口を閉ざしている。
「女将さんに旦那さんとの馴れ初めを聞いたことがあるんです。誰もが笑った外国への憧れを真剣な顔をして聞いてくれたのが、今の旦那さんらしいです。その時の顔が、あまりにも幸せそうだったで……。この人は、まだ旦那さんに恋をしているのだと思いました」
自分の旦那との思い出を大切にしている女将が、裏切りなどしているはずがない。アリテは、そのように考えていた。
同時に今回のことがすべて明らかになったら、女将が傷つくかもしれないと思ったのだ。旦那が自分の浮気を疑って、それを懲らしめるために殺人まで厭わない計画を立てた。衝撃的で、恐ろしいとすら感じる事実だ。
飯屋の女将は、アリテによれば旦那にまだ恋をしているらしい。その恋を壊さないようにしたいから、アリテは全ての事実を飯屋では絶対に話さなかったのである。そして、旦那の説得を信頼がおけるエアテールに任せたのだ。
「修理というのは、新たな部品を足すということでもあるのです。元もままではいられない。だからこそ、修繕後の事ことも考えなければなりません。複雑な事情が絡まっているのならば、第三者が簡単に修理できると思ってはいけない」
アリテは、飯屋と旦那と女将の仲のことを言っているらしい。難しい話だが、それについてユッカは考えてみる。
修理されたものは、元と全く同じではいられない。新たな解釈と想いが、そこに生まれてしまうのだ。
だからこそ、修理できるアリテは慎重に人々と思い出を見極めている。修繕してもいいものなのか。それともしない方がいいものなのか。修繕の方法は適切なものなのか。
それが分かるぐらいに——アリテは敏いのだ。
「辛くないのか?」
ユッカは、思わず聞いてしまった。
アリテが息を飲んだ気配がしたが、ユッカは言葉を止めなかった。
「アリテのことだから飯屋の旦那が女将の浮気を疑っていたのは、だいぶ前から気がついていたんだろ。でも、夫婦のことだから黙っていた。この間のルーレン様のカメオやドレスときといい……他人の秘密に気がつくって辛いだろ。黙っていないといけないことも多いんだから」
アリテは、ぎゅっとユッカの背中にしがみつく。アリテの方が年上なのに、今だけは辛い気持ちを隠さずにユッカに縋り付いているようだ。
ユッカが初めて感じるアリテの弱さは、背中の温もりを通してのものだった。
「……辛いです。人には、暴いてはいけない秘密と想いがある。それに、気がつくのは辛いです。なにより、私は……」
言い淀むアリテの声が、無力に震えていた。その様は年上としては無様で、友人としては同情できるものであった。
「気がついたからこそ、恋人を殺した人を許してしまった」
ユッカは、思わず足を止めた。
殺された恋人は、ギメルリングをアリテに教えた人なのだろうか。
「私は、そこから逃げたんです。私にとって剣を打つことは、その思い出に向き合うことでもある。だから、私は剣を打てない。打ちたくないんです」
ごめんなさい、と言われているように思えた。
ユッカは、少し申し訳なくなった。そして、もしも自分が酒が飲めるような大人だったらと夢想した。夢想のなかの自分は強くて頼りになって、アリテの全てを救えるような気がする。
「もしも、俺が大人だったら……。アリテの歴史や思い出と向き合えたかな。こんな辛い告白をさせなかったかな」
アリテのように全てを悟って、彼を傷つけないように出来たであろうか。
そんなふうにユッカが自分の無力を悔やんでいれば、アリテは「あなたが子供でよかった」と小さく呟いた。
「ユッカが、そんな人だったら……。私は、あなたを近づけさせない。それぐらいには、私はズルい大人ですよ。助けられたら、失った傷がふさがってしまう。私は自分の傷を修復されたくはないのです」
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