第1章 第1節 雨垂れ石を穿たず

アーセイラ=リヴィ=ペルビア


もう名乗ることの出来ないこの名は高貴な意味を持つ。


かつて母国の危機を、初代の王と共に救った偉大なる騎士の末裔に与えらた名。

私が生まれたペルビア家はそんな歴史に残る騎士の名を継いだ由緒ある公爵家である。


父が王に使える宰相であったことから、私は生まれながらにして皇太子の婚約者となった。


公爵家の一人娘であり、皇太子の婚約者。生まれながらにして恵まれていたと自分でも思う。周りに妬まれていたことも知っている。


けれど、それらは私にとって大したことでは無い。


私は由緒ある公爵家の一人娘として、お慕いする皇太子クロウド様の婚約者として、恥じぬように自分を磨き続けた。


皇太子の隣にふさわしいと言われるように礼儀作法を徹底的に身につけ、


王の妻となった時に彼の人を支えられるように、あらゆる知識を蓄え、


いずれ子が生まれたなら、愛する我が子を守れるよう剣術を習い、


貧しい民が困った時に手を差し伸べられるように、裁縫と料理を覚えた。


貴族同士の交流のために、茶会だって1度も欠席したことなどない。


全てが完璧でなければならないと思ったから。

彼の人の隣にいる為ならば、努力を惜しまなかった。


それでも私は完璧にはなれなかった。

決定的ななにかが欠落していた。


それに気づいたのは運命のあの日。

皇太子クロウド様の成人を祝うパーティにて、私は全てを失った。


最初からおかしいとは思っていたのだ。


その日は私が正式にクロウド様の婚約者としてお披露目される予定でもあった。

けれど、準備が立て込んでいるからと、手紙だけを従者に預けて、彼は迎えに来てはくれなかったから。


父にエスコートされ、会場に着いた時、本来私が居るはずだった彼の隣には、ディアウィン嬢が微笑んでいた。


そしてクロウド様は私を見つけると共に、私に「現実」を突きつけたのである。


「アーセイラ=リヴィ=ペルビア。僕は君との婚約破棄をここに宣言する。今まで君がメティアナにしてきた数々の罪の所業、決して許されるものでは無い」


最初の数秒は何を言っているのか理解できなかった。私がディアウィン嬢にしてきた罪の所業?彼女とは学校でもほとんど話したことがないのに。そんな彼女に私が何をしたというの。


「なにか言ったらどうなんだ、アーセイラ」


「殿下、それは発言をお許しいただけるということで、お間違いはないでしょうか」


「あぁ、この場において君の発言を許可する」


「ありがとうございます。まず、私の数々の罪とはいかなるものでしょうか。私はそちらのディアウィン嬢とほとんど面識がなかったと記憶しておりますが」


「何を惚けているんだ!お前が姉様をいじめたこと忘れたとは言わせないぞ!!!」


ディアウィン嬢を庇うように口を挟んできた、令息。恐らく彼女の弟なのだろう。ディアウィン家は侯爵家といえど、王族のいる場所で許可もされていないのに発言するなんて……


「やめろ、アーセイラ」


「……?」


「その眼だよ。まるで悪魔のようだ。自分の地位に傲り、自分より家格の低い者に向けるその軽蔑的な眼。僕はそれが大嫌いなんだ。民を見下す者がどうして、王の妃になれると思うんだ」


誤解だ。私は家格で人を見下したことなんてない。先程だって、貴族でありながら礼儀作法もできないのかと思っていただけなのに、そのように思われていたというの。


「アーセイラ、身に覚えがないと言うなら良いだろう。直々に思い出させてあげよう。君はメティアナに対して、暴言を吐き、謂れのない悪評を流し、彼女が大切にしていた母親の形見を壊し、更には人さらいに彼女を攫うよう命令したというじゃないか」


クロウド様が私の罪を並べ立てた時に、漸く気づいた。私はディアウィン嬢に嵌められたのだと。

彼女が私と同じく、クロウド様をお慕いしているだということは風の噂で知っていた。だが、クロウド様は素敵な方だから、彼を好きな人がいてもおかしくは無いと気にも留めていなかった。


私は判断を見誤ったのだ。


彼が言っていることを私が行った覚えは無いが、思い当る節はある。


貴族であるのに婚約者でもない男性と親しげに話す様子を見て、「侯爵家の令嬢として自覚をした方が良い」と忠告をした。

それでも直らなかったので、親しい友人からの言葉の方が受け入れやすいかと思い、彼女の友人に注意するように促した。


廊下ですれ違うときに、壊れたペンダントを落としたから拾って渡したこともある。


そして彼女は数ヶ月前、人さらいに襲われたと聞いた。


これらを誇張或いは捏造し、周りに私から虐められたと訴えたのであろう。

実際に起こったことを私に結び付けてるだけあって、信憑性はある。


「失礼ながらどれも身に覚えのないことです。殿下」


なんて、弁解しても無駄なことは分かっている。彼の眼にはもう、私は映っていなかったから。


「ですが、彼女に誤解を生むような言動をしてしまった私にも非はあるのでしょう。ディアウィン嬢、この場をお借りして謝罪いたしますわ」


「謝罪で済むと思っているのか」


「いいえ、これは私の最大限の「誠意」です。アーセイラ=リヴィ=ペルビア、婚約破棄を謹んで受け入れます」


「なぜ、こんなことをした」


「私は貴族らしく礼儀作法を正しなさいと彼女に数度苦言を呈したまでです。形見を壊した、人攫いに命じたなどは事実無根。そこに理由などありません」


「あくまでも罪を認めないつもりか」


「していないことを認めることはできません」


「良いだろう、ならばお前を奴隷法違反として国外に追放する。ペルビア家の名は二度と名乗れぬと思え」


どんなに努力をしたところで、彼との信頼を築けていなかった時点で完璧ではなかったのだ。

この結末も己の未熟さが招いたものだと思えば、抵抗もできない。


「それでは私はここで失礼いたします。殿下、最後に一つだけよろしいでしょうか」


「許可しよう」


これがクロウド様との最後の挨拶になるのなら、凛とした姿でいたい。


「お慕いしております。これまでも。これからも」











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