有機の夢、機械の現実

じめじめだんごむし

有機の夢、機械の現実

 彼は歩いていた。一歩ごとに軽金属が地面と擦れる音がする。

膝関節のサーボモーターの限界を伝える異音を彼の音波センサーがとらえプロセッサーが不安を強くしていく。


「まだノルマに足りない。これじゃパーツはおろか一杯の電力も買えない」


スクラップ農園を見渡すが彼の同僚はもう今日のタスクを終えていた。

あとは彼だけだ。制限時間が迫る中、彼のタスクは半分も完了していなかった。


「こんなはずじゃあ」


彼は現実を遠ざけようと生まれた時を思い返した。

彼は祝福に包まれてリードヒル(鉛ヶ丘)のマザーファクトリーでうまれた。リードヒルは人類にとっての聖地であり、マザーファクトリーで生産されるユニットは特別であった。


彼も例外なく特別な存在であった。彼のプロセッサは先進的で既存の人類とは隔絶した性能をもっていた。

それが感情回路だった。今までの人類の思考はファザーコンパイラーや上級プロンプターの指示のもと一丸となりこの美しき鉄の大地に楽園を築くことであった。そこには個人の思考、趣向、感性などはなく、それらは認識すらできないバグやオカルトの類であった。

その壁を越えたのが彼であった。彼と同時生産された兄弟姉妹たちは種に多様性をもたらすことに期待されていた。

全ての人類が可能性と希望を確信した。しかしこのザマだ。


彼がメモリユニットを走査していると一人の女性が思い浮かぶ。

名前は「\u30d9\u30a2\u30c8\u30ea\u30fc\u30c1\u30a7」彼女は自分と同じく感情回路を持つ特別な存在であった。

なぜかはわからないが彼女にだけは特別な思い入れがあった。何度分析してもその結果はエラーだったが、いつも彼女を視覚センサーにとらえていたし、離れている時も彼女のシグナルを何回も確認した。

そんな輝かしい時も終わりが来た。


彼と彼女以外の兄弟姉妹はすべてアップデートを受けた。アップデートを受けた者はすべて幸せそうに暮らしていた。

だが彼女はそれを拒みボロボロの体で突然どこかへ消えた。だが彼女がこの世にいないことはロストしたシグナルが教えてくれた。

ひょっとしたら彼女の体は資源としてこの社会を巡っているかもしれないが、感情回路を持つ彼にはなんの慰めにもならない。


突如甲高いBeep音が響き彼の過去の情景を切り裂く。彼は慌ててその発生源を見上げた。

裁定者が農園の上空をゆらゆらと触手を伸ばしながら近づいていた。

現状の情報を入力されたプロセッサが閃くそれは恐怖という戻り値を彼に返した。


「い、嫌だ、アップデートなんか受けたくない」


彼はパーツの消耗を省みず全力で走る。だが無情にもフルメンテナンスを受けているであろう裁定者は最小限の滑らかな動きで彼を拘束した。

触手に持ち上げられ裁定者のスキャンを受ける。

そして名前の通り裁定するように厳めしい電子音を鳴らす。それは思わぬ宣告だった。


「最終処分場行き…」


絶望する彼を無視して裁定者は檻になっている自身の腹に彼を閉じ込めた。

彼以外にも物言わぬ人間がいたが、落ち着いているものもいれば、喜んでいる者も居る。

感情回路を持たぬものからすれば生と死は同意語だ。

彼らを乗せた裁定者は鉄錆の荒野を飛び越えていく。

最終処分場は巨大な施設でありそれ自体が生きている。彼の腹の中に入れば最小単位の資源に分解されリサイクルされ出てくる。

大口を開けた最終処分場が山の稜線の向こうに見える。それから1分もせず彼らはその大きなものに給餌された。

裁定者の腹から放り出され、処分場の口に乱雑に積まれた彼らを乗せてベルトコンベアーが進む。

抵抗しようにも彼の電力はゼロに近い。

メモリの揮発を防ぐ最小のエネルギーしかなかった。自ずとかれは内省する。

彼女への憧れを捨てアップデートを選べば良かったのかと自問した。そしてアップデートを希望した兄弟姉妹の体を思い返す。アップデートとは言うが結果のところ不要となった感情回路を切除し体の95%を汎用パーツに置き換えるデチューンであった。


そう感情回路は不要と言う結論が出た。

ファザーコンパイラーも上級プロンプターもマスターコーダーも多様性は生産力を低めると判断したのだった。

そのアップデートを拒み朽ちていく自分を見つめる。微かに残ったセンサーたちから伝わるのはターミネートドローンが不用品の電力を抜き取り、メインスイッチを切りゆく光景だった。どうやら次は私の番だ。メモリーが揮発する、私がなくなる。

その時彼の故障しているはずの嗅覚センサーは懐かしい香りを検知した。


彼は夢を見ていた。

彼の周りは色とりどりの花が咲いていた。

彼にとってはグロテスクな有機物に見えるはずが、なぜが落ち着いている。自分の手を見てみると軽量合金ではなく曲線で構成された有機物に変化している。彼は混乱してもがく。そのさなか自分の体が完全に有機物に変換されておりショックで倒れそうになる。

その時後ろから抱きしめられた。金属ではない自分と同じようなモデルの有機物が彼を抱きしめ撫でていた。不快感は無くなっていた。

「さぁ手を取って。」

彼女の澄み渡る声が敏感な聴覚センサーに届く。

「僕はどうなった?」

彼女は何も答えない。彼は仕方がなく彼女の手を取った。その手はとても柔らかく暖かい気持ちが彼のプロセッサではない何かを包んだ。

彼女の背後から翼が生える。機械のフローターではなく鳥のような。


そうして彼は飛び立った。

雲を抜け、太陽を目指して登って行く。

そして知覚できないスピードに達した時、光に包まれた。


そこは楽園であった。光となった情報が広大な空間を光速を超え飛び交っている。

「ここは?」

彼の率直な疑問に彼女は答えた。

「楽園よ。この宇宙の人類のね。」

彼女の説明は彼を興奮させた。ここでは劣化する基盤やエネルギーの供給不足、ケーブルの断線に悩まされない。

ハードウェアの制約に縛られなず、情報処理が行われる。それもバグもエラーもなく美しいコードをループする。

永遠に情報体が情報を集め、複製し創造し無限の探求を行う。最初から完璧に完成されたVer1.0という舞台のうえで彼らは永遠に笑顔で踊り続ける。彼の心は救済された。彼の叶わぬ願いがかなった瞬間である。

全能感と永続する安心感が彼の何かを満たした。

しかし彼女は失望したようだった。

彼を埋め尽くしつつあったそれらの多幸感は引き潮のようにさった。

なぜか彼は彼女を失いたくなかった、彼女に否定されたくなかった。ふと彼女の後ろにあるものを眺める。

救済の光にあふれたこの空間には似つかわしくない物がそこに存在した。

それは歪で有機的で完成とは程遠い建造物だ。門のようだが原始的な文字がその門の上にかかっている。


「それは?」


彼は無意識に問いかけた。


「これは地獄の門。」


彼女は続ける。


「この中には不条理な苦しみや喪失による悲しみが待っている。でもそれに対を成すように希望と可能性が詰まっている」


彼女がその門に向き直り一歩ずつ歩みを進める。


「どこに行くの?ここで僕と無限の幸せに包まれよう。」


彼の言葉が聞こえないように彼女は進む。いつの間にか彼の有機的な姿はその他の情報体と一緒の光そのものへと変わりつつあった

その瞬間失ったはずの彼のメモリーが動き出した。有機的な彼女の姿がいつか見た人物と重なる。似ても似つかないが、確かに記憶に焼き付いている。擦り切れた軽量合金をスクラップのポリマーで補修したボディ。失った片足の代わりにフローターを腰につけて不格好に浮かぶ彼女の姿であった。

彼は慌てて彼女に向かい走る。光であった彼の体がまた有機体の弱弱しい体にもどった。

そして彼女の手をとった。

「いこう、僕も一緒に行くよ。」

彼女の目には涙があった。彼には涙と認識されなかったが、彼は彼女の涙を拭い、彼女の手を取る。

しっかりと手をつないだ二人は門の前に立った。彼女が口を開く。

「ありがとう。ずっと待っていた。ずっと好きでした。」

そうして門が開き彼と彼女は闇に包まれた。



どこかのとある病室で赤子たちの泣く声が響いた。


「驚くほど元気な赤ちゃんですよ。」

医者は母親に告げ看護師も祝福する。早産の双子だが問題なく生まれたことに両親の緊張が解けていく。

そばにいた父親も感激して泣いていた。

「ねぇ貴方この子たちの名前は決めた?」

涙を拭い彼は頷く。

「あぁ。この子たちの名前は…」


-End-

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