第3話

 ・・・・・ダスト。



 それは、塀の中から閉め出された世界。


 生まれてから十五年間、私はこの貧相な場所で育った。洗礼されたシティとは違い、常に悪臭の立ち込める汚い場所。それでも私達にとってここは、たった一つしかない居場所だった。


 私はもとより、このダストで暮す者全てが、ランク外と呼ばれる貧民だ。誰もが生きていく為に、必死になって足掻いている。


 エリアには、遥か昔からランク制度と言うものが存在していた。


 Aランクは、すべてのランクの上に立つ上流階級。Bランクは、仕事や住居などに一部規制のある中流階級。Cランクは、何事にも多くの規制がある下流階級。そしてランク外と呼ばれる、塀の中では一切存在を認めれらないもの達。


 私達ランク外には市民権はなく、塀の中の人々からは人間とさえ思われていない状態だ。塀の外には汚いゴミ捨て場が広がり、そのはるか向こうに隣のエリアの壁が聳え立っているだけだった。


 私達は、そうした廃棄物の山に埋もれて暮している。


 塀の中から警察が来ては、ダストにスラムを作る連中を追い散らすのだが、行き場のない私達が従う訳もなく、脱兎のごとく逃げ出してはまた違う場所にスラムを作ると言う状態。


 イタチごっこの様に、その繰り返しだ。刃向かえば殺されるかドーム送りになるので、とにかく逃げるしかない。


 警察なんてあてにならない。彼らも塀の中の人間である限り、私達を人間扱いなどしやしないのだから。


 この十五年間、私は生きる為にがんばってきた。


 流行り病で両親を失った後は、ダストを転々としながら、ゴミを漁ったりほかの奴等から盗んだりして暮していた。そして七つの時、このスラムのボスであるギイチに拾われたのだ。


 ギイチは、私にさまざまな事を教えてくれた。どうすれば警官から逃げ切る事が出来るか、どうすれば上手く人を騙せるか、どうすれば騙されずに済むか。


 盗み方、ごまかし方、喧嘩の仕方なども教わった。


 それから私は彼の元で、さまざまな悪事に手を染めていったのだ。


  そんな暮らしをして、八年にもなる。もう、親どころか、兄弟や姉妹の顔さえ思い出せなかった。


 「よう、何があったんだい?」


 私は、人だまりの出来ている場所に来て、近くに立っていた男の腕を引いた。


 こいつの顔は、何度も見た覚えがある。このスラムでは、私の知らない顔は一人たりとも存在してはいなかった。


 「よう、アサヒ。シロウとマコトが、女の取り合いをしてやがるんだ。それがまた、すげぇんだ。違うエリアの壁に向かっていた、民間人を輸送してるクラフトを、あの二人が襲ったんだってよ。乗ってたのが女で、そいつを連れて帰ってきたはいいが、二人は所有権をめぐって争ってるって訳よ」


 男に一瞥を送って、私は少し声を落とした。


 「ほかにも乗ってたんだろ、そいつらはどうなったんだ?」

 「さあな。女だけ連れて帰ってきた」


  男の言葉に、私は小さく舌打ちした。


 ・・・・・馬鹿め、すぐに警察の手入れが入るぞ。そうなりゃ、関係ない連中までまとめてドーム行きだ。ドームに連れて行かれた奴で、もどって来た者は一人もいやしない。


 ドームは、二度と帰れない、地獄のような場所だと言う噂だ。

 そんな所にぶち込まれちゃ、たまったもんじゃない。


  急いでボスに伝えないと………。


 それにしても、壁の中の人間をダストに連れてくるなんて。自分達がやったって、証拠を残すようなもんじゃないか。


 大体、塀を越えれる奴はAクラスでも特別だ。そんなのを連れて来るなんて、どうかしている。やばいどころの話しじゃないだろ。


 普通は、輸送クラフトを襲った場合でも、どこの奴がやったか分からない様に、細心の注意を払うものだ。壁を越える民間人を乗せたクラフトとなると、要人しか考えられないのに、この二人の馬鹿共は、そんな事も忘れてしまったらしい。


 私は、答えた男に礼を言い、更に奥へと人込みの中を割って入った。


 必要とあらば、二人の処分も考えなくてはなるまい。そんな思いもあったが、もう一つ、男達が我を忘れて争うような女の顔を、どうしても拝んでみたいと言う気持ちもあった。


 乱暴に人込みを掻き分けながら、さっきの男の言葉を思い出す。


 民間人を輸送していたクラフトか………。


 貨物用以外のクラフトが、壁を越えて行く事は滅多にない。

 それだけ、特別と言う事だ。


 それを知っているから、みんな手を出す事は少ない。要人が関わると、警察の目の色が違う事を、経験で知っているからだ。


 ・・・・・全く、厄介事を持ち込みやがって。


 「やれ、やれ!」

 「ぶっ殺せ!」

 「二人が共倒れしたら、俺がその女をもらってやるぜ!」

 「畜生、あいつ等があの女とやるのか?終わったら、俺も一発やりてぇな」


 むっとするような熱気と、男達の荒々しい歓声が耳に突き刺さる。畜生のように欲求を丸出しにしている男達に舌打ちし、私はようやく一番前を陣取っている男の脇に潜り込んだ。


 「てめぇ、押すなよ」


 男は、むっと顔を顰めてこちらを見た。そして、眉をぴょんとあげる。

 「ようアサヒ、まさかあんたも見物じゃないだろうな?」


 長身のひょろっとした男が、驚いた顔で言った。そいつはマサキという名前で、私より二つほど年上だった。


 彼は普段から、喧嘩は男のみが好む娯楽だと信じて疑っていない。だから、喧嘩好きな女が世にいるなどとは、想像もしていない様だった。


 「 悪い?………それで、品物はどれだい?」

 「あれだよ、あれ。あんた、あんなに何もかも色が薄い人間を見たことがあるか?」

 マサキが、うっとりとした顔で正面を指差す。


 争う二人の男達の後ろ、積み上げたスクラップ置き場の脇にその人物はいた。


 後ろ手に縛られ、太い化学繊維の紐で壊れたクラフトの扉に括りつけられている。口を薄汚い布でふさがれてはいたが、それでも彼女が普通とは違うことがひと目で見て取れた。


  柔らかにカールして背中に流れる、ハニーブラウンの髪。私達とはあきらかに違う、純白の肌。彫りの深い顔立ちと、色素の抜けたグレーの瞳。


 顔付きはどことなく私達と似ている感じもあったが、はやり全然違っていた。サクヤエリアでは、決して存在しないタイプの人間だった。


 男供が見惚れるのも分かる。確かにその娘は、側において飾って、ずっと眺めていたいほどに美しかったのだ。


 私が呆然として見ているのに気付いたのか、突然娘はふっと顔を上げた。不思議な色の瞳をこちらに向け、じっと私を見詰める。そしてあろうことか、笑ったのだ。この状況で、私を見て………。


 私にはそれが、ランク外を嘲笑うランク上の人間そのものに見えた。


 かっと頭に血が上り、全身を熱くする。気が付くと私は、男達を掻き分けその娘の前につかつかと歩み寄っていた。


 喧嘩していた男達も、野次や喝采を飛ばしていた男達も、一瞬呆気に取られて私を見つめる。


 しかし、そんな事はどうでも良かった。何故この娘が笑ったのかを問いただす為に、口を塞いでいた布を乱暴に剥がす。


 娘のピンク色の唇は、尚も笑みを浮かべていた。彼女には一片の恐怖などなく、ただ面白い余興を眺める客かなにかのような様子で、周囲の動きを落ち着いて監察する余裕さえ伺えた。


 「あんた、誰だい?」

 「ソフィーよ」


 言葉が通じないかと思ったが、私の質問に、娘は流暢なサクヤエリア言葉で返した。視線は真っ直ぐ私を捕らえ、全く逸らすことがない。


 多分歳は、私と同じか少し上くらい。それなのに、信じられないくらい堂々としていた。


 私達ダストの人間は、いつもびくびくして暮している。偉そうに出来るのも、明らかに自分の方の立場が上だと分かっている時だけだ。


 今彼女は、孤立無援で私達と向かい合っている。なのに何故、脅えていないのだろう?


 何気なく、娘の服に目を落とす。つやつやした生地の真っ白なブラウス、見るからに高そうな紺色のブレザー。すらりとした足の見える、動きにくそうなタイトのミニスカート。


 靴は、最高級の人工革だった。私達には、逆立ちしたって履けない代物だ。


 その後、自分のぼろぼろの服を見つめて、情けない気持ちが込み上げてきた。


 何故、こいつと私はこうも違うのだろう?

 ただ、生まれてきた場所が違うと言うだけの事なのに………。


 その時私は、この理不尽さに腹が立ち、目の前に座っている少女に対して激しい憎しみを覚えた。それはそのまま、今の社会に対する憎しみでも会った。


 相手が同じ年頃の少女だったから、余計に嫉妬の感情が膨れたのかもしれない。


 「てめぇ、何笑ってんだよ」


 それでも私は、自分の思いを顔に出さず、酷くぶっきらぼうな調子で尋ねた。


 こちらが弱みを見せれば、それでお終いだ。泣くのは私の方ではない。自分の運命を呪うのは、彼女の方でなければいけなかった。


 そうでなければ、あまりにも惨め過ぎるではないか。


 塀の中の人間は、みんなくそ野郎共だ。私達は、そのくそ野郎共を地べたに這いずり回らせ、泣き叫ばせて命乞いさせる事が望みなのだ。


 必要なら脅してやろうと、ズボンのポケットに忍ばせてあったナイフを取り出す。自分で作ったからいまいち切れ味は悪いが、それでも傷付けるくらいは出来る。私はこれで、何度も危ない場面を切り抜けてきたのだ。


 「面白いからよ」


 ソフィーと名乗った少女は、全く動じる様子も無く言って、また笑った。

 それが、余計に気に障る。


 ・・・・・そうやって、余裕を見せておけば言い。ランク下の人間を、人とも思わないお前達なのだから。


 だが、ここは塀の中ではない。誰もお前の保護はしないし、誰もお前に跪いたりもしない。


 私はそれを思い知らせてやる為、平手で思い切り娘の頬を打った。小気味いい音が響き、少女の頬にくっきりと赤い手形が焼き付く。


 その場が、シーンと水を打ったように静まり返った。


 もしここがシティの中なら、ランク上の人間に手を挙げただけで、私は監獄ヘと放り込まれていただろう。


 しかし、ここではギイチが法律であり、彼の判断で全てが決まる。だから、彼のお気に入りである私には、誰も指一本触れようとはしないのだ。


 私がギイチの本当の娘ではないと言う事は、みんな知っている。噂で、あれは情婦なんだと囁かれている事も当然耳にしていた。


 噂であって真実ではないのだが、それでも私は構わなかった。私は、自分の身の安全が保障され、ここで他の人よりも強い立場でいられる事が出来るのなら、それで良かったのだ。必要とあらば、躊躇う事無くこの身を売っていただろう。



 生きる為ならば………。



 私は文句を言いたそうな男達を目で威嚇し、取り出したナイフを娘の細い首筋へと足あてた。


 「いい気になるな、このブタ野郎。今度ふざけやがったら、その奇麗な肌に一生消えない傷を付けてやる」


 娘の顔から、すっと笑みが消えた。それから、妙に真面目腐った表情になって、さっと視線を逸らす。


  私はそれが、服従の顔に見えた。少し得意な気持ちになり、口元をにやりと歪める。


  しかし次の瞬間、それは勘違いだった事に気付いた。白い娘は、これっぽちも私を恐れてはいなかったのだ。



 「つまらない脅し文句ね」


  娘の口から出た言葉に、思わず目を見開く。ぴくぴくと頬が痙攣し、こめかみの血管が脈打った。


 「このっ、糞あま!」


  激怒した為か、手に思いのほか力が入る。ぼろナイフで押さえつけていた彼女の首筋から、つーっと真っ赤な血が一筋流れ落ちた。



 その時だった、シュッと間の抜けたような音が響いたのは………。それは続け様に起こり、その後、どどどっと地響きのように地面がゆれた。


 あちこちから、叫び声や呻き声が聞こえてくる。男達は、ぱっと蜘蛛の子を散らすように四方へと走り出した。



 ・・・・・手入れか?



 ぎょっとして、ナイフを娘の首から放す。騒ぎから取り残された状態で、私は呆然と周囲を見回した。


 危険信号が、鈍く頭の中で響き渡る。


 何人かの男達が続けざまに倒れるのを見て、私ははっと我に返った。


 迷う暇はない。安全な場所へ逃げる為、私は娘に背を向けて走り出した。


 瞬間、足に激痛が走る。私は何がなんだか分からないまま、その場に倒れて転がり回った。



 痛い!痛い!痛い!



 その単語だけが、頭の中で繰り返される。目眩で気が遠くなった。朦朧としたまま、つかまれ、殴られ、地面を引き摺り回される。


 気が付くと、うつ伏せにされて腕を捻り上げられていた。


 ナイフは何処だ?


 霞む視界の中、ただそれだけを探して視線を泳がす。


 視界の先に見えたものは、同じように取り押さえられている仲間の姿と、真っ赤に広がる血だまりだけであった。


 いくつもの手が、ぎゅうぎゅうと乱暴に押さえつけてくる。髪をつかまれ、引っ張られ、何度も顔を地面に打ちつけられた。


 制服姿の警官達が、差別用語を並び立てて罵る。


 体の痛みとは違う痛みで、思わず顔を歪めた。胸の奥から、言いようの無い思いが込み上げてくる。



 悔しかった。でもそれは、どうにもならない悔しさだった。



 訳の分からない出来事に抵抗して、とにかく私は暴れ回った。熱い液体が太股辺りから流れ出ていたが、それが何かさえも気付いてはいなかったのだ。


 が、やがて硬いもので頭を殴られ、くらりと意識が揺らぐ。



 「殺さないでね。それに、クラフト襲撃犯以外は、刑務所に入れる必要もないわ。──そうね、ドームにでも来てもらおうかしら。これだけの人数ですもの、欠員が充分補充出来ると思うわ」



 薄くなっていく視界と共に聞こえてきたのは、あの娘のそんな言葉だった。



 ………これが、私とソフィーが最初にであった時の顛末だ。



 ソフィーの父親は、ドームの研究者だった。ドームの研究者は、各エリアから選ばれた優秀な人材だ。彼らは一生エリアに戻って生活できない代わりに、ランクAが許される以上の自由を手にしていた。


 特に、優秀な地質学者である彼女の父親は、特別な待遇を受けていた。地質学者は、エリアの中で一番重要な学者だと認識されているのだ。一年間の期限付きではあったが、一般人の出入りを許さないエリアの壁を越え、各エリアでの地質調査をする権利を与えられていたのだ。


 ソフィーは、勉強の為にその父親について助手を務めていたらしい。


 間もなく調査の期限が終わる事から、父親より一足先にドームへ帰る途中だった彼女にその事件が起こったのだ。



 ・・・・そう、彼女とそこで出会った事が、全ての始まりだった。



 私がその日市場に行かなければ、きっと出遭う事はなかっただろうし、捕まってドームに連れて行かれる事も無かっただろう。


 私を含め捕まったものは、死体以外全てドームに送られた。こうしてドーム送りになったものたちは、やがて訪れる運命の日を予想さえしていなかった。

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賭け しょうりん @shyorin

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