小説なんか書いてても意味ないのに、

内田ウ3

小説なんか書いてても意味ないのに、

 うみちゃんはうまく眠れない。

 夜は、いつも寝れない。

 前まで精神科に行ってた。けどもうやめた。


 朝弱くて、

 しだいにサボりがちになり、

 今日はいいか、というのを繰り返してるうちに、

 とうとう本当に行かなくなった。


 高校も、当然やめた。

 夕方起きるのに、通えるわけないし。


 いつも、日が落ちかけたころに、

 目が覚める。


 うみちゃんは、自分がどれくらい寝てるのか、よくわかってない。

 ベッドに入って、目をつむり、何時間か経って、

 そのあと、面倒くさいと思いながら、起き上がる。


 起きたところで、

 うみちゃんには、やることが何もない。


 友だちはいない、

 趣味もない、

 お金もない、

 やりたいこととか、何もなかった。


 うみちゃんは家が嫌いだった。

 いやDVとか、そんなのはなかったけど、

 でも、なんか嫌だった。

 

 だから極力、外に出るようにした。

 散歩したり、川を見たりして、時間をつぶした。

 多摩川たまがわでぼーっとすることが多かった。


 学校行かないんならバイトでもしたら?

 ある日、夕食時、母に言われた。

 働くなんて、うみちゃんは思った。


 働くなんて、途方もないことだ。


 でもうみちゃんは、べつに不良とかではない。

 高校辞めて、気後れもあった。

 それで、親に逆らうとか、そんなふうには考えなかった。「わかった」と言った。


 スマホで、片手間に、求人サイトを見るようになった。

 どれもこれも失敗したが、中でも、コンビニは最悪だった。


 スナック菓子は手前、文房具は入り口の横、飲み物は裏にまとめて置いとく、

 うみちゃんは最後まで覚えられなかった。


 レジが一番つらかった。

 急に怒鳴られて、そのうち暴言に変わり、

 はいすみません、いやすみませんじゃなくてどうにかしろよ、

 それで、うみちゃんは、何かこたえようとして、結局できなかった。


 こんなに何もできないということに、自分でも驚いた。

 帰り道、

 バイト先のグループを勝手に退会して、連絡先もすべてブロックした。


 学校に通おう、うみちゃんはふと思い至った。

 働くより全然いい。

 自分で、ネットで、パンフレットを取り寄せた。

 東京にある変な学校だった。


 なんと、毎朝登校しなくてもいいらしい。

 ここなら、という気がした。


 変な学校というだけあって、

 生徒も変な人が多そうな、そんな感じに見えた。

 うみちゃんは、どちらかというと、目立たないほうだった。


 入学式を、うみちゃんは、休んだ。

 ガイダンスは必須だったので、出なくてはいけなかった。


 教室で、隣の席の、目立つ服で、髪が明るい、ひときわ背の高い子が、

 親をだましてここに入学した、と言っていた。


 親をだましたという かおりんは、

 小説を書くためにここに来たらしい。

 確かに、そういえば、小説のクラスがあったような気がする。

 

 「小説、書くの?」

 「え、書くけど」


 でもうみちゃんにはよくわからない。


10

 「わたし、ヴォネガットとか好きなんだよね、わかる?」かおりんが言った。

 「いやわかんないけど」


 「スローターハウス5って本、知ってる? その人が書いてて」

 「ううん知らない」


 「突然タイムトラベルしたりして、宇宙人も出てきて、戦争の話なんだけど」

 「うーん」


 「ふだんSFとか読む?」

 「読まないかも、ていうか、小説、わたし読まないから」


11

 それで、かおりんは変な顔をした。

 「どうしてうみちゃんはこの学校に入ったの?」


 うみちゃんは考えた、どうしてだっけ。

 ガイダンスが終わり、ふたりで、駅までの道を歩いた。

 街路樹の、何本かには、花がついていた。

 自分の、スニーカーの紐を、じっと見下ろしながら考えた。

 

 しばらくして、

 「朝ダメで、あの、夜も起きちゃって、高校辞めたし、あとバイトも、不眠症で」


12

 わたし、眠れないんだよね、うみちゃんはそう言った。


13

 かおりんに誘われるがまま、うみちゃんも小説の講座を取ることにした。

 うみちゃんは、こういうときの断り方を知らなかった。

 それはそうと、小説なら書けそうな気もした。

 勉強は苦手だったので、小説で卒業できるんならラクだな、そう思った。


 ねえ、と かおりんは言った。

 「小説って簡単じゃないんだよ、だって読まないんでしょ、読まなきゃ、まず」


 そうなの? と思った。

 でも、いったい何を読んだらいいんだろう、あ、

 気になってうみちゃんは尋ねた。

 「かおりん言ってたのって、あれ、誰だっけ」


14

 かおりんはスマホを操作して、ほら、とウィキペディアを見せてきた。


 2007年 84歳没、

 その横に、モノクロで、顔写真が載っている。

 いろいろ書いてある。


 アメリカの、インディアナというところで生まれた。

 ニューヨークで死んだ。

 第二次世界大戦を経験した。

 結婚をした。離婚もした。子どもは7人いるらしい。


 へえー、うみちゃんはそれから、わかった、と言った。


15

 翌日、

 学校の図書館なんていつぶりだろう、考えながら、言われたとおり本を借りた。

 スローターハウス5。

 外国の本で、それが、日本語に訳されたものだった。


 主人公は不条理なタイムトリップに巻き込まれる。

 地球外生命体にも出会う。

 人生のさまざまな場面を、行ったり来たり、何度も体験して、

 自分が具体的にいつ死ぬのか、それも理解している。


16

 その場で少し読み、

 カウンターに持っていって、

 電車の中でもそれを読んだ。

 

 夜、家に戻って、最後まで読みおえ、案外おもしろくて、

 ふーん、と思って、一睡もできなくて、けどそれはいつものことだった。


17

 学校は、いわゆるスクーリングというやつだった。

 月に一回くらい登校すれば、それでいい。

 かおりんとは会う機会がなかった。

 ただ、連絡先を交換していた。


 「暇?」

 ときどき、メッセージが来る。

 そういうとき、ふたりで、多摩川の河川敷を歩いた。


18

 川辺はぬるかった。

 わたし、いつもたいていここにいるんだよ、うみちゃんがそう言うと、

 かおりんは不思議そうな顔でこっちを見てきた。


 「あ、でも、最近は、読書もしてるけど」と付け足すと、

 「どうだった?」


 うみちゃんは、

 「うん、よかったよ、すごく」そう答えた。


19

 かおりんは岡山の、

 岡山の中でも、倉敷くらしきという地方から、出てきたらしい。

 岡山で育ち、例の「親をだました」というやつで、

 東京までやってきた。


 「倉敷にもこういう川あったよ」

 膝くらいの、浅いところに、足を浸して、かおりんが言う。


 何を思って、かおりんは東京に出てきたのか。

 うみちゃんは尋ねようとして、結局やめた。

 かわりに、

 「寒いからそろそろ帰ろうよ」と言った。


20

 寝れない時間、夜に、

 うみちゃんは、自分でも真似して、小説を書こうとした。

 課題提出を控えてたからだ。


 パソコンの隣に、誰か有名な小説家の本を置き、

 一行書いて、小説を読み、

 またキーボードを叩いて、一行書いた。

 

 書きかけのテキストを、何度か自分で読み直した。

 これはダメだ、最低だ、うみちゃんは恥ずかしかった。


21

 小説、どう書いたらいいの?

 かおりんに、スマホで、メッセージを送った。

 既読はなかなかつかない。


 10分待ち、

 30分待ち、

 1時間待ち、

 2時間を超えたあたりで、

 ふつうの人はこんな時間に起きていないのだと、遅れてうみちゃんは気づいた。


22

 ふつうの人って、この時間は、みんな寝ているのだ。

 そうだった。

 まるで自分が欠落しているような、そんな気になった。


 PDFで提出された小説は、

 その授業を受けている人なら、

 誰でも見られるように設定されている。


 うみちゃんは、それがちょっと嫌だな、思いながら、

 ひとりで外に出た。


23

 外に出て、

 近所の草むらのにおいを嗅ぎ、

 なんとなく感じたことを文章に書き起こした。


 字数を増やすことに躍起やっきになった。


 信号機がずっと点滅してるのを見た。

 集合住宅のガスメーターが止まってるのも見た。

 猫か イタチか 何かわからないやつが走りまわっていた。


 そういうものを、

 スマホのメモに、

 そういうことだけ、ひたすら書きつらねて、

 ひとまず、小説、ということにした。


24

 それにしても、と うみちゃんは思った。

 それにしても小説を書いて、はたしてそれで将来どうするんだろう。


 デビューかな、かおりんが言った。

 「新人デビューして、プロになって、本が売れるみたいな」


 かおりんによると、

 どうやら小説を書いて賞を取り、デビューして、小説家になった場合、

 小説を書く という暮らしが送れるらしい。


25

 「小説家、なるの?」と うみちゃんが尋ねた。

 「わかんないけど」


 なれるかわかんないけど。


 でもわたしは小説以外何もできないから、

 そう言って、かおりんは薄暗い感じの笑い方をした。

 笑顔を作ろうとして、途中で失敗したみたいな顔。


 うみちゃんは、何と言ったらいいのかわからなくなった。


26

 スクーリングの日、

 講評こうひょうがあり、先生から評価が下される。

 かおりんはよく褒められた。


 そんなものなのかとうみちゃんは思った。

 うみちゃんには、小説の良し悪しがわからない。

 ただ、かおりん自身がどう感じているのか、

 それは気になった。自分のぶんのコメントはすぐ忘れた。


27

 以来かおりんは、さらにもっと小説に時間を費やすようになった。

 会うことは少なくなる。


 かわりに、うみちゃんは時間を持て余した。

 いつものように、起きて、顔を洗って歯磨き、水を飲む、着替えて外に出る。

 メモ帳に文章を打つ。

 いつまで経っても眠りは浅い。


 そういったころ、うみちゃんは、

 ネットで、海外から、個人的にクスリを輸入する方法というのを、偶然知った。

 処方箋しょほうせんをスキップして、クスリを手に入れられる。

 うみちゃんはその方法を学んだ。


28

 眠れない時間、ベッドの中で、

 うみちゃんはときどき、かおりんのSNSを勝手に見た。

 ネガティブな投稿ばかり。

 気持ちはわかる。

 ただ、大丈夫かな、という気がした。


 そういうとき、

 連絡を取るべきか、それとも取らないべきなのか、しばらく考えて、

 うみちゃんはいつも結局取らなかった。


29

 かおりんは、たぶん本気で、小説家になろうとしていた。

 少なくともうみちゃんはそう感じた。


 「小説家になってどうするの?」

 うみちゃんは純粋に尋ねた。


 「なってから考えればいいよ」

 そう言うかおりんは、痩せた気がした。うみちゃんは、「なれなかったら——」


 「なれなかったらどうするの」と、もう一度聞いた。

 かおりんは黙った。かおりんは考えるとき、よく黙った。

 思案げな顔でうみちゃんのほうをじっと見る。


 「それはわかんない」


30

 通常ではテストとか実施じっしするところ、

 小説を書きましょう、ということになっているので、

 うみちゃん的には、それが逆にプレッシャーになっていた。

 それで、少し後悔し始めていた。


 睡眠薬は、実際に、家に届いた。

 うみちゃんは恐ろしいほどよく眠った。

 

 ひさしぶりに朝日を浴びた気がした。

 夢も見なかった。

 生活リズムが戻る。昼夜逆転が治る。

 ふだん、眠れない時間に書いていたはずの小説は、当然とどこおった。


31

 ずっと眠れなかったうみちゃんにとって、

 眠るのが、一番大事なことだった。

 眠るのは気持ちがよかった。


 「小説 どうしたらいいんだろう」

 かおりんからメッセージが届く。

 期限を過ぎているのは、うみちゃんと、かおりんだけだった。

 学校の、ウェブサイトの、共有ファイルに、ふたりの名前だけない。


 かおりんの顔の色は、「全然書けないの」日に日にどす黒くなっていく。

 うみちゃんはいろんなものに興味が失せていく。


32

 うみちゃんは、

 うみちゃん的には、

 眠れるようになったんだったら、それでべつに、よかった。

 あとはぜんぶどうでもよかった。


 小説を書くのはバカバカしい、なんとなくそう思い始めた。

 思い始めたというか、直感的に、そんな気がしてきた。


 小説書いても何の役にも立たない、

 そしてそれはおそらく事実なんだろう、というニュアンスの予感もあった。

 多摩川を歩くのも以前より心地よくない。


33

 二度目の講評のとき、

 かおりんは、学校に来なかった。

 提出物もない。

 うみちゃんは出した。講評は聞き流した。

 

 教室で、帰り際、

 かおりんは退学して田舎に帰った、という噂のようなものを耳にした。

 ただ、名簿にはちゃんと名前があったので、

 たぶん嘘だろうと思った。


 「中退したとか誰かが言ってたよ テキトーなこと言って」

 うみちゃんはそう打って送信した。


34

 うみちゃんは規則正しい生活を心がけた。

 なんとなく、そっちのほうがいいような気がしたのだ。


 朝起きて、食事は取ったり取らなかったり、夜は惰性だせいでクスリを飲む。

 だいたい同時刻に起床する。機械みたいな生活だ、うみちゃんは思った。

 あらかじめ、そうプログラムされているみたい。


35

 睡眠薬が効くまでのあいだ

 寝つくまでのちょっとした時間、

 頭にクスリは回り始めているので、脳裏でイメージが行きって、

 うみちゃんはふと何かを考えそうになる。


 考えそうになるけど、

 だけどそれが何なのか、具体的には、わからなかった。

 わかる前にいつも、先に意識がなくなる。


36

 かおりんを題材にして、

 題材というか、ネタにして、小説を書こう、

 うみちゃんはある日、それを思いついた。


 自分の部屋の、カーテンを閉めた、四角い窓に面した机。

 学校からいなくなったかおりん、だけど、記憶がいくらか残っていた。

 それを頼りに書こうと思った。


 ワードを開き、キーボードを叩いた。

 何行か打ち込み、休んで、また書き足す。変な気持ちがした、奇妙な感覚だった。


37

 「小説書いてるよ かおりんの小説だけど」

 返信は一度も来なかった。それでもいい、うみちゃんは思って、送信しつづけた。


 スマホとパソコンを行ったり来たりするのがわずらわしくなってきて、

 メッセージアプリをPCに移行した。

 「書いてても楽しくないよ 面倒くさいし でも提出しないと進級できないって」

 スマホは、一度充電が切れ、その放置されたままになった。


 「小説って むなしい気持ちになる気がする」

 そんなことをしているうち、

 だんだん、「全然終わらないしね」メールとワードの区別がつかなくなってくる。

 「そういえば、かおりんはなんで、小説、書こうって思ったの?」


38

 起きている時間帯のほとんどぜんぶ、

 うみちゃんは書き続けた。

 

 文章を書きつづけていると、

 小説の中のかおりんが、自分のイメージとは違う行動を取ったり、

 勝手にしゃべりだすということがあった。


 ただ、そういうのは、小説を書いていると、まれによくあった。

 ふでが乗る、みたいなことだと自分では思った。


 かおりんが何か台詞せりふを言い、

 その間を埋めるように、うみちゃんは必死に情景を描写した。

 自分で考えて書いてる、という感じではなかった。

 何のために書いてるのかといわれると、それはよくわからなかった。


39

 うみちゃんはかおりんに、

 学校に通わせたり、深夜に徘徊はいかいさせたり、

 多摩川のそばを歩かせたりした。


 「うまく眠れない」

 かおりんがそう言ったときには、

 うみちゃんはかおりんを精神科に行かせた。自由ヶ丘にある病院。


 パソコンの中で、

 かおりんはそのときまだ中学生だったので、

 東京にいるのはおかしい、そう思ったけど、

 うみちゃんは無視して描きすすめた。


40

 一日中パソコンをいじっているだけのうみちゃんに、

 みんなが不審そうな視線を向けた。

 みんなというか、もっぱら家族だけど、でも、うみちゃんは書いた。


41

 「ヴォネガットが死んだのって、もう15年以上も前なんだ」

 「そう?」


 そのころには、うみちゃんは、

 うみちゃん自身のことも作品に登場させるようになっていた。

 早朝の中央線。


 「あの本でさ、宇宙人はさ、大切なことを伝えてくるんだよ」

 「え、なんだっけ」


 うみちゃんはかおりんは同じ私立中学に通っている、

 とことになっていたので、

 ふたりで、中央線の車内で、隣同士しゃべっているのは、ごく自然な状況だった。


 「誰しも常に生きてるし、同時に常に死んでるってことかな、悲しみはないんだ」


42

 やがて電車のスピードが落ちていき、ドアが開く。

 うみちゃんたちはホームに出て、ほかの生徒に混じって登校する。

 エレベーターを使っている生徒の集団が印象に残る。


 階段を降りていくと、わりとすぐ近いところに学校はある。

 うみちゃんとかおりんは、だけどクラスは違う。

 授業中、スマホいじってることが、うみちゃんは多かった。

 成績は気にしてなかった。どうでもいい、という気がしていた。


 教科書の影とか、机の下、トイレの中とかで、スマホを触った。

 ふだん人が立ち入らない理科棟の、

 便座に、腰を下ろして、メモアプリを開く。何文字か打ち込み、

 同じぶんだけ消して、数行一気に進み、また少し消去して、うみちゃんは考えた。

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小説なんか書いてても意味ないのに、 内田ウ3 @u3_uchida

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