風俗産業に復讐しようとした俺は、援助交際の少女にすべてを捧げる

生出合里主人

風俗産業に復讐しようとした俺は、援助交際の少女にすべてを捧げる

 俺には、生まれる前の記憶がある。


 SFとかファンタジーとか、そういう話じゃない。

 俺にとっては、まぎれもない真実だ。



 俺の母親は、高校生の頃援助交際をしていた。

 もちろん避妊には注意していたはずだが、その時の客が悪かった。


 その客はホテルの部屋に入ったとたん、強引に女子高生を押し倒す。

 そして暴力的に交わったあげく、一万円を投げつけて去っていった。


 行為にふける男の醜い表情、十六歳だった母親の苦悶の表情を、俺は知っている。

 俺は生まれる前から、すでに汚れた人間だった。



 妊娠に気づいた女子高生は、中絶を決意する。

 だが中絶手術の寸前になって思いとどまり、俺を出産した。


 高校生の娘から金をしぼり取っていた母親とその彼氏は、娘の出産を知ったとたん、娘を家から追い出した。

 俺の母親は風俗で働きながら、たった一人で俺を育てた。


 そんな母親も、性病がもとでこの世を去った。

 二十七歳だった。

 俺が十歳の時の話だ。


 俺は母親を恨んだ。

 勝手に産んで、勝手に死にやがって。



 親戚をたらい回しにされた俺は、結局孤児院に引き取られる。

 人と話すのが苦手だった俺は、一人で本を読んでいることが多かった。


 学校を出た俺は、工場で歯車の一つになって働いた。

 友達もできず、女性には相手にさえされなかった。



 俺は誰からも必要とされていない。

 俺なんていないほうがいいんだ。


 毎日そんなことばかり考えていた。


 そして俺は、決意する。

 世の中に復讐しようと。


 八つ当たりだってことは、わかってる。

 努力しない自分が、全部悪いんだろう。


 でも俺は、怒りを抑えられない。

 風俗産業というものに対する怒りが。


 差別だと言われても構わない。

 俺は女性が体を売る仕事は認めない。


 そういう仕事があるから、生活できる人もいるのだろう。

 だけどそういう仕事がなくなってしまえば、他の仕事に就くしかないはずだ。


 あの仕事は、確実に女性の体を傷つける。

 本人が気づいているかどうかにかかわらず、女性の心をむしばんでいく。


 あの仕事は、女性とその家族を不幸にするんだ。

 あの仕事さえなくなれば、世の中は今よりはましになるはずだ。


 いや。

 そんなのは、全部きれいごとだ。


 俺はただ、自分の気持ちをぶつけたいだけなんだろう。

 俺みたいな汚れた人間をこの世に誕生させた、あの仕事に。




 俺は夜の繁華街をさまよい歩き、計画を実行する場所を探した。

 風俗店が密集する場所で、放火するつもりだった。


 人を殺す気はない。

 だから周囲に危険を知らせてから、火をつけて回る予定だ。


 今日も夜の街では、風俗店のネオンがギラギラと光り、店員と客のいやらしい話し声が響いている。


 そういう場所にいるだけで、俺は吐き気がした。

 なにもかもが、臭くて汚れているから。


 こんなところ、全部燃えちまえばいいんだ。

 そうすれば少しは、街がきれいになるだろう。


 風俗店を焼き尽くす炎の中で、世界で一番汚れているこの俺も、消えてなくなればいい。

 それが俺にできる、唯一の社会貢献だ。



 辺りを見回していた俺に、一人の少女が近づいてきた。


 制服を着ているから、高校生?

 いや、中学生かな。


 潤んだ目で、俺の顔をじっと見つめている。


「あの、おじさん……」


 おじさんって、俺はまだ三十歳なんだけどな。

 でもこのぐらいの歳の子にとっては、俺は十分おじさんなんだろう。


「なんだ」


 こんな場所にはふさわしくない、純情そうな少女だ。

 困っているみたいだから、道に迷ったのかな。


「あの……」


 少女の顔は、恐怖でこり固まっていた。

 俺というよりはこの場所、この世界に対して。


 だが少女は、意を決したように言った。


「あたしを、買ってくれませんか」


 俺は自分の耳を疑った。

 こんなかわいらしい子供が、そんな汚らわしい仕事をしているのか。


「それって、援交ってことか?」

「あっ……はい……」


「お前、いくつだ」

「ええと、二十歳?」


「ウソつけよ。どこからどう見ても中坊だろうが」

「ごめんなさい。十五歳です」


「本当は十三歳くらいなんじゃねえのか?」

「童顔だけど、本当に十五歳ですっ」


「十五歳でいばるなよ。お前さあ、どっかの会社とか、組織とかに入ってるのか?」

「え? どこにも入ってません」


「あのなあ、素人がそんなことしてると、ひどい目にあうぞ」

「だって、お金が必要で……」


「なんで金がいるんだ」

「持ってこいって、言われたから……」


「親に、言われたのか?」

「あの、学校で……」


「お前、いじめられてんのか」

「いえ……はい……」


「そんなことで体売ってんのかよっ」

「そんなことじゃ、ないよ」


「今までも、こういうことしてたのか?」

「これが、初めてです。男の人とそういうこと、したことないし。本当です」


「初めてを、売春なんかで捨てようとすんなよぉ」

「あたしだって死ぬほどいやだけど、しかたなくて……」


「ちなみになんで、俺に声をかけたんだ? 俺がロリコンに見えたのか?」

「違います。なんか、すごくいい人そうに見えたんで。せめて初めての相手は、いい人そうな人にしたいって思って」


「俺が、いい人だぁ? お前、人を見る目ねえなあ。俺は今……」

「おじさんは、いい人だもん。あたしには、わかる」


 俺は深いため息をついた。

 そんなきれいな瞳で、ウソをつけるはずがない。


「いくらいるんだ」

「二万円」


「だったら、俺が出してやる」


 俺がそう言うと、少女はホッとしたのか、不幸のどん底なのか、とても複雑な表情になった。


「じゃあ、ホテルに……」


 少女が歩き出そうとするので、俺は慌てて呼び止める。


「待て、ホテルなんか行かねえよ」

「じゃあ、おじさんの家に行くの? それとも、その辺で? それはちょっと……あたし、初めてだし……」


「俺をどんなやつだと思ってんだよっ。金だけやるから、とっとと帰りな」

「えっ、だってそれじゃ、おじさんが……」


「お前みたいなガキと、誰がやるかよ」

「そっか。あたし、色っぽくないもんね……」


「まあ、あと十年くらい経ったら、抱きたくなるかもしれねえけどな」

「五年くらいあれば、色っぽくなるかもよ」


「生意気言うな」

「えへ」


 俺は財布に入っていた札の全部、二万三千円を少女に手渡した。


 金を渡す時、正直俺はいい気分だった。

 生まれて初めて、人の役に立てた気がしたからだ。



「えっ、こんなに?」

「いいんだ。もう使わないから」


「なんで? お金は大事だよ」

「俺はもう、いなくなるから」


「いなくなるって、引っ越すの?」

「この世から、いなくなるんだよ」


「おじさん、死ぬつもりなの?」

「あ、冗談だよ。本気にすんな」


「おじさん、本気だよね。あたしには、わかるよ」

「なんでわかるんだよ」


「あたしもね、何度も死にたいって思ったから……」


 この子は、いったいどういう人生を歩んできたんだろう。

 よっぽど辛い目にあってきたに違いない。


「そうか……。でもとりあえず今日は、これでなんとかなるか?」


「今日はね。でも近いうちに、うちは一家心中すると思う」

「なんだ、お前んち、ヤバいのか」


「工場が潰れそうで、すごい借金があるんだって」

「すごいって、いくらだよ」


「五百万、くらい?」

「たった五百万で、一家心中すんじゃねえよ」


「うちにとっては、大変な額なんだよ」

「とりあえずお前だけでも、逃げちまえばいい」


「そんなこと、できないよ。どうせ生きていたって、いいことないし」

「泣くんじゃねえよ。俺が、なんとかしてやるから」


 思わず言ってしまったことに、俺は自分で驚いた。

 それほど少女の涙が、美しかったんだ。


「なんで、あたしにそこまでしてくれるの? あたしとたくさんしたいの?」

「うっ、ふざけんな。ガキとはしないって言っただろ」


「じゃあ大人になったら、いっぱいしていいよ」

「大人になったら? ……いやいやいや、もうその話はやめろ。なんのために金をやったんだよっ」


「だったらそんなこと、頼めないよ。おじさん、お金持ちには見えないし」

「うるせえよ。男に二言はねえ」


「おじさん、そんなことしなくていいから、死のうとするのはやめて」

「もう死んでる場合じゃなくなったよ。金を集めてくるから、工場の場所を教えろ」


「でもあたしにお金を渡したら、死ぬ気なんでしょ?」

「そんなこと、お前には関係ねえだろ」


「だって、おじさんみたいないい人には、死んでほしくないもん」

「他人のことより、自分と家族のことだけ考えな」


「いや。おじさんが死ぬなら、お金は受け取らない」

「じゃあ死ぬのはやめるから、金は受け取れ」


「うん、そういうことなら、受け取ってもいいよ」

「頼むよ。……ってあれ? なんで俺がお前に金をやるのに、俺がお前に頼むみたいな話になってんだよ」


「アハハ、おもしろいね」


 ようやく笑顔になった少女は、夜空に輝く星のようにまぶしかった。

 その辺のネオンとは違って、けがれのない輝きだ。


「フッ、笑い事じゃねえよ」


 気づいてみれば、俺も笑っている。

 俺は生まれて初めて、心から笑えたような気がした。


「おじさん、本当に、死なないでくれるんだよね?」

「なんでお前、また泣いてんだよ」


「だって生まれて初めて、人の役に立てたって思えたから」


 なんだよ、俺と同じこと思ったのかよ。

 でもこいつのほうが上等だな。


「俺のことなんかで、喜んでんじゃねえよ」

「俺のことなんかとか、そういう言い方しないのっ」


「すいませんでした」

「よろしい」


「大人に偉そうなことを言うお前なら、将来人の役に立てる人間になれるんじゃねえの」

「そう、かなあ」


「だからお前も、二度と死ぬなんて考えんじゃねえぞ」

「おじさんが死なないなら、あたしも死なないよ」


「なんだ、俺たちは一蓮托生か?」

「なあに? 一円たくしょうって」

「お前、少しは勉強しろよー」


 俺たちはまた笑った。


 なんで俺は、楽しいとか思ってるんだろう。

 こんなこと、俺の人生にはなかったことだ。


 この子は、魔法でも使えるのか?

 実は魔法少女なんじゃねえの?



 俺は少女から、工場の住所を書いたメモを受け取った。

 そして臭くて汚い繁華街から、駅前まで少女を送る。


「おじさん、ID教えてよ」

「スマホ、解約しちゃったから」


「じゃあ、あたしの連絡先、書いて渡すね」

「必要ない。金を用意したら、工場に持っていくから」


「だったらその時に、おじさんの連絡先教えてね」

「そう、だな」


「一緒に写真、撮ってもいい?」

「こんなおっさんと写ったって、意味ないだろ」


「今日の記念に。お願い」

「めんどくせえなあ」


 俺と少女は一枚の写真に納まった。

 少女がピースサインをしているから、俺も思わず同じポーズをしてしまう。



「ありがとう、おじさん。次に会える時まで、この写真でがまんするね」

「なに言ってんだ。悪いけどしばらくの間……そうだな、一ヶ月か二ヶ月くらい、なんとか持ちこたえてくれないか」


「うん。親にもそう言っとく」

「そうしてくれ」


「おじさん、死なないって、約束だからね。約束は絶対守ってね」


「男に二言はないって言っただろ」

「女だって、二言はないよ」


「そうか。あのな、辛い時はひたすら好きなもののことを考えろ。食べ物でも、芸能人でも、なんでもいい」

「うん、そうする」


「それから、どんな状況でも夢は見ろ。具体的な夢を持てなくてもいい。いつかは幸せになるんだって、そう思うだけでもいいから。いくら夢を見たって、金はかからないからな」

「うん、そうだよね」


「お前は必ず幸せになれる。おじさんはエスパーだから、間違いない」

「ほんと? やったっ」


「信じてねえな、お前」

「信じてるよ。ありがとう、おじさん。実はあたしもね、未来を予知できるんだよ。おじさんはぁ……う~……幸せになる~」


 その時俺は、なぜか泣きそうになった。

 少女に涙を見せまいと、必死にがまんした。


「ハハハ、ありがとよ。じゃあ、元気でな」

「おじさんも、元気でねっ」


 俺は少女に背中を向けて、軽く手を振った。

 少女がずっと俺を見つめているのが、背中でわかった。




 その日から、金策に駆け回る日々が始まった。

 汚い金は渡したくないから、法律を犯すことはやめておく。


 貯金と借金でも足りなかったので、仕事をやめてわずかな退職金を受け取った。

 借りていた家を引き払い、売れるものは全部売った。


 それからは工事現場を渡り歩き、マンガ喫茶に寝泊まりする生活が続く。


 そうして一ヶ月半が経った頃、なんとか五百万円を用意することができた。



 俺は少女から渡されたメモを頼りに、工場を探した。

 工場は倒産していたけど、工場の隣に住んでいる少女の一家は無事だった。


 あの夜と同じ制服を着ている少女は、昼間は普通の女子中学生にしか見えない。

 けれど暗い表情は、あの時と同じだ。


 俺は少女に見つからないように注意した。

 俺のことも、不幸な過去も、全部まとめて忘れてほしいからだ。


 俺は誰もいないことを見計らって工場に忍び込み、金とメモを置いていった。

 メモにはただ、こう書いておいた。


「約束どおり金を置いていく。俺のことは忘れてくれ。生きろ」



 俺は時々ひそかに、少女の一家が立ち直るかどうか見張っていた。


 少女の両親はまじめな人たちだったらしく、仕事を見つけて生活を立て直していった。

 借金を返したうえに、社員たちには退職金を渡し、再就職先も用意してあげたようだ。


 自殺の危険性が高いのは、なんといっても責任を感じた経営者だ。

 これでもう、バカなことは考えないだろう。


 少女の顔は、日増しに明るくなっていった。

 ただ時々、辺りを見回してなにかを探しているようだった。


 少女の一家が立ち直ったことを確認した俺は、その街を去った。

 少女と、二度と会わないように。




 そして、十年の歳月が流れた。


 日雇いの仕事を転々としていた俺は、とある田舎町でようやくアパートを借りられる身分になった。


 相変わらずむなしい日々ではあったが、少女と出会う前とは違っていた。

 なぜだか、死のうとは一度も考えなかった。


 誰かの役に立てたという記憶が、俺に生きたいと思わせるのだろうか。


 しょせんは自己満足だ。

 それはわかっている。


 それでも俺には、生きている実感がある。



 少女との思い出だけで、俺は生きていけるらしい。






 肉体労働に疲れ果てた俺は、海ぞいの道を歩いていた。

 腰を痛め、ひざを痛め、足を引きずって歩いていく。


 突然遠くから、爆音が響いてきた。

 音の方向へ振り返ると、空からヘリコプターが降下してくる。


 突風が吹き荒れる中、俺は腰をかがめて様子をうかがった。


 ヘリコプターが砂浜に着陸する。

 扉が開き、タキシードを着た執事っぽい男が下りてくる。


 その後ろから現れたのは、高そうな白いドレスを身にまとった若い女性だった。


 テレビでもこんな美人見たことがない、と思うほどの絶世の美女だ。

 スタイルも抜群だし、肌もツヤツヤしている。


 俺とは真逆の世界にいる人だな、と感じる。

 それなのに、どことなく見覚えがあるような気もする。


 まさか、な。


 その美女はモデルのように優雅な歩き方で、俺のほうへ真っすぐに進んできた。

 そして俺の顔を見つめながら、太陽のように華やかにきらめく笑顔になった。


 その光り輝く笑顔……あの時の少女だ。



「おじ様、ようやくお会いできましたわ」

「どう、して……」


「あの時、一枚だけ写真を撮らせていただきましたでしょ。わたくしその画像から、おじ様のことを探しましたの」

「でも俺の顔なんか、ネットに出ていないだろ」


「これをご覧になって」


 美女が差し出したスマホには、観光客の後ろに小さく映っている、貧乏くさい俺の姿があった。


「本当だ。でもなんでそこまでするんだよ」


「だっておじ様、わたくしに会いにきてくださらないから。ずいぶん探したんですよ。見つけるまで、十年もかかってしまいました」

「なにやってんだお前。そんな金持ちっぽくなったのに」


「わたくし学校を出てから、アメリカに渡りましたの。向こうの会社で出世して、社長になりましたわ。アメリカは実力主義ですからね」

「でもそんな、夢みたいな話……」


「あの時言ってくれたじゃないですか。夢を見なさいって」

「確かに、言ったけど……」


「おじ様、わたくしの会社にいらしてくださいませんか? CEOの地位を用意してあります」

「CEO? なんかすごい偉いやつだよな。なんで俺がいきなりそんなのになるんだよ」


「わたくしにはわかっておりますの。おじ様は高い地位にふさわしい人物であると。年収は十億円を超えるはずですわ」

「じゅ、十億? 聞いただけで目が回りそうだ」


「おじ様、わたくし、色っぽくなりましたか?」

「えっ? 色っぽいかどうかはともかく、すごくきれいになったよ」


「わたくしおじ様のために、女を磨いたんですよ。外見も、中身も」

「俺のために? ウソだろ?」


「おじ様、わたくしと結婚を前提にお付き合いをしてください」

「はぁ? なに言ってんだお前。俺みたいな汚いおじさんが、お前みたいな若くてきれいな女と、付き合えるわけないだろ」


「わたくし、今まで誰ともお付き合いをしませんでした。バージンを捧げる相手はおじ様しかいないと、心に決めていましたから」

「バカなことを言うな。……いや、来るなっ。寄るなっ!」


 美女が俺に向かって迫ってくる。

 俺は戸惑って、慌てて、パニックに陥った。



 そこで、目が覚めた。


 俺は今、古くて汚い五畳一間の自宅にいる。

 薄い布団の上で、居眠りをしていたんだ。


 そんなこと、あるはずないよな。

 なんであの子が金持ちになって、俺に地位と金をくれるんだよ。


 あんな夢を見るなんて、俺は結局、あの子から見返りが欲しかったのか?

 俺は誰でもいいから、この状況から救ってもらいたいんだろうな。


 俺は昨日、職場で首を切られた。

 それが現実だ。


 だからって、昔一度会っただけの子供に助けてもらいたいと願うとは。

 俺はつくづくダメな大人だな。


 でもまあ、夢を見るくらいはいいか。


 あの少女は、どこかで幸せに暮らしている。

 そんな妄想が、俺の唯一の楽しみなんだから。






 その時、玄関の扉をたたく音がした。


 借金は返し終わったはずだ。

 それともまだ、残っていたのかな。


 俺は寝ぼけていたせいか、のぞき穴から外を確かめないまま、扉を開いてしまった。


 目の前に立っていたのは、若い女性だ。


 夢で見たような超絶美女ではない。

 豪華なドレスを着ているわけでもない。


 庶民的な服装だし、化粧も地味だ。

 顔も童顔で、きれいというよりは子供っぽくてかわいいという印象。


 けれど俺の顔を見たとたん、女性は満月のように優しく光る笑顔になった。


 そのどこまでも純粋な笑顔。

 間違いなく、あの時の少女だ。


「おじさん、やっと見つけたよぉ」

「これも夢か? 夢なのか?」


「あたしも、夢を見てるみたい。またおじさんに会えて、嬉しい」

「俺も、お前が元気そうで嬉しいよ」


「おじさん、大好きっ」

「おおっ」


 かつての少女が俺に抱きつき、泣いている。

 俺の目からも、とめどなく涙があふれていた。


 地位なんかいらねえ。

 金は最低限の暮らしができればいい。


 俺が本当に欲しかったのは、こんな風に抱きしめてくれる相手だったんだ。


 そういえば俺の母親も、こんな風に抱きしめてくれたっけな。


 母親に対する恨みも、世間に対する恨みも、自分に対する恨みでさえ、この子のぬくもりで溶けていくような気がする。


 今はただ、この子が幸せになれるように助けてやりたい。

 それが俺の、幸せなんだ。



 あぁ、この子が生きていてくれて、本当に良かった。


 俺も、生きていて良かった。

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