エスニトラー候領某重大事件 中編

ドタドタと鉄靴が廊下にしかれた絨毯を蹴る音が城内に響く。

ドンドンドン!ドンドンドン!

「閣下!お休みのところ申し訳ありません!火急の用にて参った次第です!どうかご容赦ください!」

けたたましいノックの音でエスニトラー選帝候その人はベッドから飛び起きた。

「入れ!何事だ!」

選帝候の許しと共に一人の近衛騎士が寝室に入ってきた。

「はっ!ルーベントクルツ要塞刑務所にて暴動が発生致しました!」

「なんだと!」

「付近の都市より守備隊を転移魔法にて要塞の救援に向かわせておりますが、時既に大勢の囚人が解き放たれ、中には手練れの者もおり、対処しきるどころか、劣勢を挽回する事が出来ないとの事であります!」

この近衛騎士の報告は選帝候の眠気を覚ますには充分であった。

「ぬぅ………!」

「閣下、ここは教会から騎士団を派遣してもらった方がよろしいのでは?」

近衛騎士の提案を選帝候はすぐさま却下する。

「お前は神のためなら虐殺することを厭(いと)わない連中に借りを作れというのか?」

「しかし……軍隊を一定数を投入するにも、転移魔法の術者が足りません。戦力の逐次投入という愚策を意図せず行っている状況です。到底解決は見込めないかと………」

近衛騎士が遠慮がちに告げる。

エスニトラー選帝候アルベルト。

神聖帝国中央部に属する大農業地帯で、畜産も盛んな「神聖皇帝の食料庫」と呼ばれるエスニトラー地方を統治する事を神聖皇帝によって直接命じられた名家の第十八代目である。

肥沃な大地から産出される穀物と畜産物によって莫大な収益を得ており、その富みは歴代のエスニトラー選帝候のあらゆる権力を確固たるものにしてきた。

そんな選帝候にとってこのような状況、領地を代表する要塞刑務所での暴動の発生、激化は彼と彼の先祖が築き上げてきた権威と権力に大きな楔(くさび)を打ち込む事になる。

上級貴族の不祥事は爵位の降格か、領地を持っている場合はそれの返還にまで発展する可能性があり、選帝候にとって領地を失う事はすなわち、自分の代で先祖の功績を無きものにしたという汚点になるだけでなく、爵位の降格など社交界で一生笑われものになる事を意味するのだ。

また、これまで築き上げてきた上流階級での人脈もたち消える事だろう。

歴史上、そのような屈辱を味わう事になるくらいならと、一家心中や自殺を遂げた貴族は少なくない。

伝統と栄光に生きる者達はそれが絶たれた時、生まれ変わるか死ぬしかないのだ。

それに属している選帝候は選択を迫られた。

選帝候にとってもはや一刻の猶予も無かった。

この事が内外に知れ渡る頃には鎮圧出来ていなければ神聖皇帝や上流貴族、玉侍家(ぎょくたいけ)の自分に対する心象は悪くなる。

「俺の近衛騎士団を今すぐ投入しろ!そして!我が領内の騎士の称号を持つ者に召集をかけるのだ!魔術師が足りないなら各都市に居る冒険者ギルドに命じて頭数を確保するんだ!冒険者ギルドからも来たい者が居るならそいつらも送れ!」

「はっ!」

「急げよ?!囚人は何人殺そうとも構わない!絶対に生きて刑務所から出すな!」

選帝候にとって、生涯で一番長い夜が始まりを告げたのであった。





キィン!バァン!ドッ!ドッ!ズキャッ!

「死ねぇ!」

「あぁぁぁ!」

「おらっ!おらっ!」

「うぁぁぁぁ!」

「うううぁぁぁ!」

囚人と看守による血で血を洗う暴動は激化の一途を辿っていた。

殺した看守から武器を奪い闘う囚人達に、逐次投入される兵士と看守が白兵戦を展開するその中を、二人の傭兵が駆け抜ける。

「うおぉ!」

シュッ!

兵士の剣がチョウジ目掛けて放り下ろされる。

だがその刹那、容易く剣を避けたチョウジによってその兵士は首から大量の血を吹き出した。

悲鳴を上げる兵士に目もくれず、二人は一目散にその場を駆け抜ける。

「あれだ!あの階段を下りるぞ!」

ウガチは城壁内の監房ブロックにある螺旋階段の入り口を見つけて叫んだ。

「狭いぞ!そのままじゃ、マクラコフのおじさんが頭ぶつける!」

「わあった。ちと我慢してくれな」

螺旋階段を狭さに気づいたチョウジの忠告に、ウガチはお姫様抱っこしていたマクラコフを、左肩で担いて螺旋階段を駆け下りた。

螺旋階段は一階に繋がっており、そこも闘いの最中にあった。

「出口を探せ!中庭みたいな所に行けるはずだ!そのまま城門から脱出するぞ!」

上の階と違って看守の詰所となっている一階は兵士の数が桁違いに多かった。

その兵士達の肉の壁にチョウジは臆する事無く突っ込んでいく。

「このっ!」

繰り出される兵士の斬擊を体制を低くして避けたチョウジが、兵士の懐に飛び込む。

「うおぁぁっ!」

兵士の鎖帷子(くさりかたびら。チェーンメイル)を水晶の剣が貫く。

ズシュッ……。

チョウジが剣を引き抜くと同時に兵士が後ろに倒れた。間髪入れずにチョウジは目の前の兵士に飛びかかる。

ズキュッ!

今度は首に剣を突き刺して、切り裂くように剣を抜いた。

その際、上に斬擊をする格好で引き抜いたため、空中に血の雫が舞い、引き抜かれた剣は引き抜いた時についた血が滴っている。

「うあ……!」

「こ、こいつ……」

兵士達がチョウジに臆しながらも剣を構える。だが、それも長くは続かなかった。

「うおおおおおぉ!どけぇぇ!」

雄叫びを上げながら、ウガチが兵士達に向かってくる。

「おおっ!」

「なっ!」

困惑する兵士達にウガチは右腕を振るう。

ドッ!

鈍い音がして、殴られた兵士が吹き飛ばされた。

「ひっ……」

「ば、化け物だ!」

「き、き、騎士を連れてこい!」

「あああっ……!」

完全に怯えた兵士達にチョウジが叫んだ。

「どけぇ!さもなきゃ……殺る!」

そう言いながらチョウジはマントの中から左手に持った片刃の舶刀を取り出した。

「うぅっ……」

「なんでそんなもん持ってんだよ……」

兵士達は怯えを通り越した気持ち悪さを感じていた。

この子供はさっきから躊躇無く自分達の仲間を殺すだけでも恐ろしいのに、まだそんな物を隠していたとは誰にも想像できなかった。

はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………

兵士達の荒い息づかいがはっきりと聞こえるようになった。

もはやこの二人に打ち勝つ事など出来ない。だが、命令を無視して逃げる事も出来ない。

兵士達は剣を構えたまま二人を視線を送る。

だが、この二人は悠長に兵士達の行動を待つつもりは無かった。

ザッ……!

チョウジが石畳の床を蹴って兵士達に躍りかかった。

突き出された兵士の剣に舶刀を当てて、体を回し、逆手に持った水晶の剣を兵士の首に突き刺す。

流れるような剣捌きに兵士達が後ずさりする。

ウガチはそれを見逃さなかった。

ザッザッザッザッザッ……!

力強い足音と共にマクラコフを懐に抱いたウガチは兵士達に体当たりするような格好で強行突破を試みたのだ。

一瞬行動が遅れた兵士達だったが、そのまま黙っては居なかった。

ウガチ目掛けて斬擊や突きが放たれた。

ウガチのガントレットに、胸から腹を守る板金鎧(ばんきんよろい。プレートアーマーの事)に、鎖帷子に打ち付けられた。

ウガチの鎖帷子を貫いて、足に出血を強いた剣もあれば、板金鎧を力強く打ち付けて痛みを走らせる剣もあった。

だが、それもほんの一瞬だった。

ウガチの前にチョウジが飛び出し、相棒に向けて振るわれる剣を弾き、受け流し始めた。さらには、その過程で出来る限り兵士に突きや斬擊を繰り出す。

この事で兵士達はウガチへの攻撃が困難になった。

「うあぁぁ!」

ズシュッ!

チョウジが叫びながら先程と同じように回り、二の太刀(二度めに切りつける事)を繰り出して兵士がまた一人殺られていく。

「くっ……」

「お、おい!行かせるな!」

「そんな事言ったって!」

一階の通路を駆け抜け、兵士達を強行突破する二人の目に木製の扉が見えた。

一直線にその扉に向かって走るウガチを、チョウジが守る。

「うあぁぁぁ!」

扉の前に居た兵士がチョウジに鋭い突きを繰り出す。

間一髪でそれを避けたチョウジはすれ違いざまに、舶刀でその兵士の首を薙いだ。

…………ガチャッ……。

突きを繰り出した兵士が倒れる音をチョウジは背中に聞きながら、扉を体をぶつけて開ける。

チョウジが振り返る前に、その扉から満身創痍のウガチが飛び出てきて、止まらず走り去っていく。

それを見るや、チョウジは再びウガチを守るように走り出した。

要塞刑務所の城壁に沿って、城門へと向かう二人を兵士達は追いかけてこなかった。

要塞刑務所の中は芝生になっていて、二人はそれを踏みながら城門へと向かう。

「だいじょぶか、ウガチ?」

「あたぼうよ!こんなんでへたばる(弱って参る。疲れはてる)かい!」

元気よく返す相棒は見るからに辛そうだった。

右の足は鎖帷子を貫通した剣にえぐられた(刃物などを深く刺し入れ、回して穴を開ける。くりぬく)ようで出血がひどかった。

今に倒れてしまっても可笑しくない。チョウジの目にはそう映った。





城門には二人しか兵士がおらず、二人を見るや槍を突き出したが、チョウジは一息に近づいて難なく倒した。

城門の脇には時代劇でよく見る潜り戸(くぐって出入りする小さい戸口)は木の板材でつっかえ棒がしてある。

チョウジはそれを外して、ウガチが体を屈(かが)め、マクラコフを持ちながら扉から出るまで後ろに目を配った。

その刹那、魔力で出来た斬擊がウガチ目掛けて飛んできた。

とっさにチョウジは水晶の剣に魔力を送って防ぐが、後ろに倒れてしまい、ウガチの背中に頭をぶつけた。

「大丈夫か?!チョウジ!」

ウガチの声にチョウジは言葉を返す事無く、水晶の剣に魔力を充填しながら立ち上がった。

間髪入れずに、上から一人の人間が飛び降りてきた。

二人は状況をうまく飲み込む事が出来なかった。

その人間は地面に足がつく瞬間、ふわりと空中に浮かんだ。風がこちらに吹いてきて、芝生が揺れる。

そいつは地面に降り立つと二人を見てこう言った。

「さっきまで暴れていたのは君達かい?」

そいつはすらりとした細身で背は普通くらい、右手に長剣を持ち、白いコートに、軍服のような白い服。左胸には勲章だろうか、バッチのような物が幾つか見えた。白い長ズボンに茶色の革靴。腰には右手に持つ長剣の鞘がぶら下がっていた。

「この騒動を起こしたのも君達なのだろう?目的は……彼か」

聖騎士はマクラコフに視線を注ぎながら言う。

ウガチが苦い顔をする。

「こいつ……まさか、聖騎士か?」

「聖騎士?」

チョウジの問いにウガチは口にもしたくないと言わんばかりに顔をしかめた。

「騎士の称号はある程度腕と神への忠誠心がありゃもらえるが、聖騎士になれるのは本当の実力者だけだ。一騎当千をまじでやれる連中揃いだって話だ。こんなところでお目にかかれるたぁ思ってなかったが」

ウガチの説明を頭に入れて、チョウジは聖騎士を見た。

本当の実力者。その言葉にどれだけの意味があるかは知らないが、ただ一つだけ分かることは、こいつには勝てない。という事だけだった。

「逃げても魔法で城門くらい飛び越えるだろうしなぁ……一戦交えるしかねぇか」

ウガチがマクラコフを潜り戸の外に置こうとした時だった。

「先に行け」

チョウジが口を開いた。

「何言ってんだ。気取ってんなよ」

「俺達の任務はなんだ?」

任務。

その言葉は傭兵を含め、組織に属する人間は絶対の服従を強いられるものだ。任された事には責任を持つ。それが一人前の組織人というものだ。

「………マクラコフを救出する事」

少しの沈黙の後にウガチは答えた。

「なら、それに忠実であるべきだ」

ウガチは歯を食い縛った。

(アニメやドラマの様な台詞を吐いて、格好つけて覚悟を決めたとでも?)

ウガチは心の底から嫌気が差した。

「犠牲になるってのかよ」

「違う」

「何が違うってんだ!」

「行けよ!」

チョウジの言葉がウガチには辛かった。

(分かってたのかよ……)

「俺が闘えないからか」

ウガチは吐き捨てるように言った。

「そうだ」

チョウジはそれを肯定する。それが余計に辛かった。圧倒的な無力感がウガチを覆う。

「あのさ」

聖騎士はそんなウガチの葛藤など知った事ではない。

「彼には判決が下るべきだ。分かってるとは思うけど君達もね」

いきなり叩きつけられた正論はウガチを苛立たせる。

「行け、ウガチ。マクラコフのおじさんを早く治してやんないと」

聖騎士の言葉に惑わされる事も無く、チョウジは淡々と告げる。

「強情を張っている暇は無いんだよ。頼むから行ってくれ。俺はもうお前を守れない」

言葉選びなんて言葉を知らないチョウジからの戦力外通告にウガチはうなだれる事は無かった。

「ああ……そうだよな……ごめんな、困らせちまって」

薄々、というより、ウガチは分かっていた。

先程から出血のせいで頭が上手く回っていないし、マクラコフを運ぶのも正直辛い。自分の体の事は自分が一番良く分かっていた。

「じゃあ、先行くわ……ははっ、頑張れよ」

「え?何言ってんだよ?」

無力感で笑いさえ込み上げてきたウガチにチョウジは告げた。

「マクラコフのおじさん預けて戻ってこいよ。回復してもらってさ。そうじゃねぇと俺死ぬぜ」

突然の手のひら返し。そう思えるかもしれないがウガチには分かった。

早く行って回復してこいって事か。言葉足らずなんだよ、お前は。勘違いしちまったじゃねぇか。心の中でそう呟くと、ウガチはチョウジに背を向けた。

「鼻からそのつもりだよ、馬鹿。俺が戻る前にそいつ倒しとくなよ?俺の分も残しとけ~」

そう言うと、ウガチはマクラコフを左肩で担いで駆け出した。

チョウジは相棒の背が見えなくなるまで見つめる事は出来なかった。なぜなら目の前には一騎当千と目される化け物が居るのだから。

「君のような子供に剣を持たせるなんてひどい大人だ」

「勘違いすんな、俺は自分の意思でここに居んだよ」

チョウジはそう言うと身を屈めて体勢をとる。

「君がどれ程の腕かは知らないが、出来れば痛め付ける前に剣を捨てて欲しいが、無理ならそれで良い。君だけでなく、君の仲間も全員捕らえる。例外は無い」

聖騎士はそう言うと長剣を構えた。







「来たぞ!」

バルバロッサは平原を走るウガチを見つける。

「おーい!」

のんきに手を振るバルバロッサの隣でシュムッツァーが呟く。

「…待て、チョウジはどうした?」

「……あ、ほんとだ」

「おい!チョウジはどうしたんだ!」

シュムッツァーの問いにウガチは息を切らしながら大声で叫んだ。

「はぁ、はぁ、聖騎士だ!」

「何?!聖騎士だと?!」

「チョウジが足止めしてくれてるんだ!はぁ、治癒用水薬をくれ!はぁ、はぁ回復してすぐに加勢したい!」

バルバロッサとシュムッツァーはウガチが近づいてくるにつれて、足の出血に気が付いた。さらに、拷問を受けたのであろうマクラコフの体を見て、すぐさま治癒効果を持つ水薬を持っているだけ取り出した。

「何本ある?」

「高濃度のが二本、魔力回復のが一本。そちらは?」

「治癒効果をもつやつが五本だけ。足りねぇな」

「持ってくるか?」

「いや、ウィータを連れてこい。水薬が無くたってウィータが居れば回復してくれる」

「分かった、じゃっ」

そう言うと、シュムッツァーは目を閉じて神経を集中すると、転移魔法の光に包まれた。




はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………

息を切らしながらバルバロッサの元にたどり着いた水薬を飲み干しながらウガチは状況を説明した。

それを聞いたバルバロッサは腕組みをしながらウガチに告げる。

「そいつは魔力の斬擊を放ったんだな」

「あぁ……はぁ、でも、はぁ、チョウジが受け止めてくれた」

「………聖騎士の装備は基本的にはただの長剣のはずだ。魔力を充填して魔法を撃ち出すような代物ではない。となるとそいつは自分で魔力を剣にまとわせて斬擊を放った……のか?」

「聖騎士なら、はぁ、あり得るかもなぁ。はぁ」

ぐび、ぐび、ぐび、ぐひ……

ウガチはバルバロッサが渡した水薬を一つ飲み干した。残りの水薬はマクラコフの口に流し込んでいたが、みみず腫一つ治る事はなく、ウガチの足の傷も消えるまでには至らなかった。

「残念だが回復したとて、満足に闘えるとは思えん」

「それでも行く」

「ずいぶんと強情だな」

「まぁな。あいつが待ってくれてるからよ。不意には出来んだろ?」

そう言うウガチの顔は笑っていた。

バルバロッサは二人の間にある強固な絆を改めて感じざるを得なかった。






デギー地方の大都市シャローティブルグにはバルバロッサが傭兵のために用意した大きな邸宅があった。

一人一人が六畳はある部屋を持ち、大きな調理場に食堂、図書室に訓練所。大きな庭園に牧場、畑に鍛冶工房まで備え付けてあり、空いている部屋は自由に使って良いという夢のような場所。

まさしく、バルバロッサ傭兵隊の楽園にして、一大拠点であった。

バルバロッサは指揮官としての才覚は乏しいかもしれないが、人に好かれる才能はあるようだった。

バルバロッサは自分に支払われる多額の報酬でこの土地を買い、この邸宅を建てたのだった。

全ては傭兵隊のために。

バルバロッサはそういう部下思いの奴なのだ。

そんなバルバロッサが建てた楽園には、彼の部下である傭兵達が思い思いに生活している。

あるものは空き部屋を魔法薬品の製造施設に改造して高濃度の魔力生成促進水薬(ポーションの一種。人体の魔力生成を促進する)を製造し、あるものは牧場で取れたての牛乳でソフトクリームを作れないかと試行錯誤していた。





(う~ん………この薬草効き目強すぎかなぁ、まぁ、即効性はあるだろうけどその分体に負荷がかかるだろうしなぁ)

一人の魔術師が醸造台(じょうぞうだい。ポーション、薬剤の作成に使用する機器)の前で腕組みをする。

バルバロッサ傭兵隊の後方支援を担当する我らが傭兵ウィータである。

ウィータはこれまで送られた戦場で、慈しみの権化であるかのように振る舞い、鉄が鈍い音を響かせる修羅の巷(激しい戦争や争乱の場所)で倒れた者を敵味方、生物の垣根を越えてその命を救ってきた聖人であった。

そのため、バルバロッサ傭兵隊にこの人あり。と言われる程有名で、お人好しでもある事から事あるごとに各地の病院や孤児院に作った薬剤を送っている。

そんな彼女は新しい薬剤の研究も熱心であった。

なぜならば、彼女には身近に好敵手を抱えていたからである。

「あぁぁ!また失敗したぁぁ!」

近くの空き部屋から悲痛な叫び声が聞こえる。

彼女こそがその好敵手、魔術師にして我らが傭兵バフォである。

彼女はウィータと違って回復系の魔法は使わない。

彼女が得意とするのは範囲を指定して発動させる類いのもので、相手を神経毒の中毒状態にさせたり、筋肉の疲労増大、移動速度低下などの厄介な魔術を使うのだ。それ以外にも物質を複製させる魔法を応用し、糸屑からロープを作り出す事も出来たりする秀才なのだ。

そんな彼女は、戦場では前述した通り、敵兵に中毒症状を付与したり、体の疲労を増加させたりして体の抵抗力をゴリゴリ削ってしまうのだ。そうなると、出来るだけ多くの命を救う事が困難になってしまう。

だからこそ、より、効果の強い水薬(ポーション)や体力回復の促進を働きかける薬品を作って、そのような状況に陥っても助けられるようにするのだ。

ウィータはその点に置いては傭兵とは縁遠い軍医に近い存在であった。

(ほんと、あなたのお陰で私は苦労してるのに気楽なものね)

バフォはそんな事は露知らず、好物のソフトクリームがどうしても食べたくて仕方がないようだ。

だが、冷蔵庫も無い世界で氷菓(ひょうか。アイスの事)を作るのは難しい。

彼女も彼女で苦慮しているのだろうが、ウィータに比べれば幾分か優先度の低いものである。

(まっ、アイスが出来たらもらお。バニラ食うの久しぶりだし)

ふと、そんな事を考えている時だった。

ウィータの視界が突然まばゆい光に包まれた。

その光が消えた瞬間、ウィータはいきなり声をかけられた。

「ウィータ!大至急で頼みたい事がある!」

「シュムッツァー?!」

「今すぐありったけの水薬を持ってきてくれ!マクラコフが傷だらけでウガチが足から出血してる!というか、マクラコフは酷すぎる。拷問を受けたみたいなんだ」

「拷問?!わ、分かった。とりあえず準備する……あ、もしもの時のためにバフォ呼んできて!魔力の消費抑える結界張ってもらえたら助かるから」

「ああ、分かった」

そう言うと、シュムッツァーは隣の部屋に駆け出した。

ウィータは戸棚に保管しておいた水薬をありったけ袋に入れると、手術着に着替えた。










聖騎士とチョウジが互いの得物(えもの。武器の事)を振るう。

聖騎士の振り下ろした長剣をチョウジは水晶の剣を当てて、左手に逆手に持った舶刀で聖騎士の首を狙う。

だが、聖騎士は身を屈めてそれを避けると、長剣でチョウジを切りつける。

すんでのところで水晶の剣で防ぐも、チョウジは聖騎士の剣を振るう力に耐えきれず倒れてしまった。

間髪入れず、聖騎士がチョウジの首元に長剣を突きつける。

それをチョウジは舶刀で薙ぐと同時に立ち上がって両手の得物を構えた。

「その舶刀、ガットラスか。君はいろんな武器を扱えるんだな」

聖騎士はチョウジにそう言うが、当のチョウジはそんな言葉に耳を貸す余力は無かった。

(勝てねえ……!)

長剣を避ける事は出来ても得意の二の太刀が防がれる。相手は鎧を着ていないからどこでも攻撃は防がれる事はないが、それはチョウジとて同じ事だった。

(懐に飛び込んでもどうにもなら無いなら、どうしろってんだ……)

「防御を捨てて攻撃に全振りか。無謀とまでは言わないが無茶苦茶だね」

(うるせぇ……!)

聖騎士に怒鳴りたくなるのをチョウジは我慢した。

息が切れて少しでも息づかいが荒くなれば、自分の持ち味である速度を十二分に活かせなくなる。

(それにしても、こいつ余裕って感じたな。俺くらいなら一捻りってか)

ウガチを逃がした判断は正しかったと思う反面、ウガチが来るまで耐えられる自信は無い。

「君の雇い主は誰だい?いくらで雇われた?それの五倍は出すから、降伏してくれないか?」

聖騎士はどうしてもチョウジを殺さずに捕縛したいようだった。

だが、そんな言葉がチョウジに響く訳が無い。

(寝言は寝て言え。だが……こいつ、俺を殺す気はないんだな。なら、こっちは死ぬ気で一泡吹かせるまでだ)

チョウジは魔力を充填した水晶の剣を右手に、左手に持ったガットラスを鞘にしまって、ナイフに持ち変えた。

(奴は俺を殺さないと言う保証はそこまでは無いが、こっちが打てる手はこれしかない。やってやる……!)

チョウジはそう思うと一直線に聖騎士に向かって走り出した。

聖騎士は慌てずに魔力の斬擊を放つ。

(来た!)

チョウジはそれに水晶の剣を向け、魔導弾を放った。

バァァン!

魔力同士がぶつかって相殺され、魔力の斬擊も魔道弾も光の粒となって消えた。

チョウジは勢いそのまま聖騎士に向かって突進する。

(喰らえ!)

チョウジは左手のナイフで聖騎士を薙ぐ。

だが、その一撃は聖騎士に長剣が防いだ。

そのナイフを起点にチョウジは体を回転させ、逆手に持った水晶の剣で二の太刀を放つ。

聖騎士は、見慣れた。と言わんばかりに水晶の剣を体を後ろに反らせて避けた。

それこそがチョウジの狙いだった。

チョウジは体の回転を止める事は無かった。

もはやチョウジの右手にナイフは無かった。

体が回転する勢いに任せ、チョウジは左腰のガットラスを抜き放った。

聖騎士は予想外の事に避ける事が出来なかった。

二の太刀である水晶の剣を避けるために反らした体を、三の太刀のガットラスが切り裂いた。

ズシュッ!

チョウジのガットラスは聖騎士の首を横一文字に斬り飛ばした。

(やった!)

チョウジは束の間、達成感に包まれた。

だが、すぐに背中に激しい痛みが走った。

チョウジは吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。

(何が………どう……)

状況を上手く飲み込め無かったチョウジは、もうろうとする意識の中、なんとか聖騎士の方を見やった。

「聖騎士様!」

一人の魔術師が聖騎士に駆け寄る。どうやらこいつがチョウジに魔法を放ったようだ。

魔術師が聖騎士に駆け寄ったその刹那、聖騎士の首が元に戻った。

頭が独りでに空を舞い、離れた首の元へと戻ったのである。

「いやぁ、危なかった」

聖騎士はそう言いながら胸ポケットから一枚の羽を取り出す。

「不死鳥の羽を持っていて助かったよ。だが、今日ここで消費してしまうとは思わなかったが」

(はっ………嘘だろ……)

チョウジは自分の運命を呪った。

「彼は……もう動けないみたいだね。おい、彼を捕縛しろ」

聖騎士が周りに居た兵士に命じる声を最後に、チョウジは両の瞼(まぶた)をゆっくりと閉じた。

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