02曲目 SSD・S・SAPPORO

第4話 対バン

 対バン(たいばん)とは、ライブイベントにおいて複数の出演者が入れ替わる形でステージに立ち、共演すること。通常はタイムテーブルで割り当てられた演奏時間を各出演者が担当する。似たような形式にロック・フェスティバルがあるが、対バンは主にライブハウス規模でのイベントに対して使われる。出演者が2組や3組の対バンライブは「ツーマンライブ」や「スリーマンライブ」などとも呼ばれる。



 以上、ウィキペディアより。



 希望のロストガールも対バンをすることは珍しくなく、市内のアマチュアバンドとは数多くの対バンを行ってきた。二月が終わり、三月になるとまたライブの話が出てきた。スタッフによると今月は二回ライブが組まれている。その合間に練習が予定されていて、今月もスケジュールがしっかりと作られていた。そして今日はその一回目。ロスガ主催のハコ、ライブハウスライブである。ゲストは対バン相手の



「Gardenよ。よろしくお願いするわ。ユニゾンスクエアガーデンも、エルレガーデンも、ガーデンだから、わたしたちの名前はThe Gardenよ。楽曲はメタルな曲が多いけど、基本はロックが中心よ」


「希望のロストガールの神野だ。フェスで会ったことがあったよね。対バンは初めてだ。今日はよろしく」


「はい! 神野様。よろしくお願いしますわ」


「……様?」


「はい、私、神野様の大ファンでしての。憧れでしての。こうして会えるだけでどれだけ幸せか。言い表せないほどですわ。語り尽くせない幸せをありがとうございます。対バン、楽しみにしています。とても、とても」



 The Gardenのリーダー、フロントマンのメインギターボーカルが彼女、鷲坂百合(わしさかゆり)である。長い髪を両ツインテールで可愛く縛って上げて、それでも長く下へくるくると伸びている。アイドルみたいに可愛らしいが、しかし歌うのは普通のロックである。前述の通りのバンドに憧れており、現在進行系で神野の大ファンで憧れであるという。俺は求めに応じて握手を交わす。



「こちらこそ。楽しみにしているよ。よろしく」



 対バンというのは、しかし対戦みたいな形式を取っておきながら勝敗はない。勝ちとか負けとかがない。どちらも勝ちであり、その演奏が讃えられることが多い。本当に勝負をつけることも、投票をお客さんに委ねるなどして行われるイベントもあるにはあるのだろうが、一般的にはない気がする。そもそも何と戦っているのかすらわからないしな。主催とゲストみたいな立ち位置というのが一番わかり易いだろう。業界用語みたいなものだ、対バンという言葉は。



 控室は広かったが、しかし、別れていないのでロスガとGarden(以下ガーデン)が同室だ。俺が一度離れて戻ってきて時にはもう、うちのメンバーとガーデンのメンバーが一緒に写真を撮っていた。The Gardenはガールズスリーピースバンドであるため、メンバーはもちろん女の子三人だ。うちのドラムは人間嫌いだからどんなときでも一人でスマホいじって別行動だけど、それ以外は相手と打ち解けて写真を撮りまくっていた。エスエヌエスとかに上げるのだろうか。宣伝にはなりそうだけどな。



 俺はおいてあるギターを掴んでは手元に持ってきた。今頃ライブの舞台ではローディーという楽器のセッティングをする人たちが準備をしてくれているはずだ。アマチュアバンドなんかでは、自分たちでやって、チューニングとかをやってそれから一度捌けていなくなってからまた舞台上に現れて、手を振ったりなんかして現れて、それから演奏を始めるという謎行為がライブの定番なのだが、見ているお客さんからしたら一度でてきたのになんで一回戻るのん? って思うだろう。至極真っ当である。何なんだろうな、あれは。俺達ロスガはある程度売れたので、(CDとかは売っていないが知名度的に)ローディーを雇うと言うか、ついているという現状だけど、専属ってわけじゃなくてスタジオの人だから、そこはお願いしているわけで、本当に感謝しかない。ライブは自分たちが主役のように見えているけれども、その裏で沢山の人に支えられていて、めちゃくちゃ多くの人が関わっていてできているすごく贅沢なものなんだよなと、常に思う。そう、ライブは贅沢だ。贅沢品だ。生きていくだけならば不必要不必須に該当するのだろう。ライブなんてのは、正直なくても生きていけるんだ。音楽なんてのは今どきCDやレコードなんかにしなくても、配信とか動画とかにすればいくらでも見れるし聞くことができる。むしろそのほうが受けがいいだろうし、利便性もあって好かれるし、好まれるだろう。音楽というのは、所詮は世の中のビージーエムにしかなり得なくて、カフェや会社やラジオや学校のお昼休みに流れるようなもので、好き好んで聞いて再生してくれるファンなんてのは一定数で、神みたいな存在だ。俺達はその神様みたいなファンを裏切っちゃいけないし、期待に沿って、それ以上の音楽を出しつづけなくちゃいけないんどけれども、それも沢山の人が関わっていて、その人達のおかげだというのをついつい忘れてしまうような人間になってはいけないと常に戒めておく必要があると、俺は思うのだ。人のお陰で人は生きて行けている。人に生かされて、活かされて生きている。活動している。それを伝えることもロックンロールの一つじゃないのかなって、そう思う。



 控室にて、コード弾きをして調子を上げる。エレキの生音なんてものほど信用できない音はないけども、しかし、控室でアンプにつなげて爆音にしてなんてことは迷惑以外にほかならないことなので、そんなことはしない。手を動かす程度の練習ならば、これで構わない。イヤホンでもつけて、ヘッドホンでもつけてやるのが正統派なんだろうけど、残念ながら極小手のひらサイズのミニアンプは今は持ち合わせていない。あれならば、電池だけで動くから電源はいらないし、イヤホンをつなぐ専用のものだから爆音にしない限り音漏れして迷惑をかけることはない。便利アイテムの一つではあるよな。



 ジャーン。



 対バンというのはそれこそ一人でできるライブではなく、沢山の人が関わってできるものである。スタジオのスタッフの人はもちろん、対バン相手の人たちもそうだし、お客さんだって忘れちゃいけない。誰かが欠けていては成功しないし、うまくいかないし、成立さえしない。全てに感謝して、すべての人に感謝して音楽を鳴らし、歌を歌わないといけない。しかし、それは本当にみんなの意に即しているのだろうか。俺の歌は期待に添えているのだろうか。俺の音はありきたりなんじゃないのだろうか。コード進行は普通で、メロディに奇抜性も独自性も実はなくて、誰かの模倣ばかりのそんな音楽になっていやしないだろうか。いや、きっとそうだろう。どこか聞いたことのある音の並びで、音の進行で、なんとなく知っているような歌ばかりなんだ。それを才能という、神から貰った才能とかいうまやかしで、魔法みたいな魔術めいたもので誤魔化しているんじゃないかとそう思う。思ってしまう。これは俺自身の音楽じゃない。俺が与えられたものを披露しているのに過ぎない代物で、これは借り物の才能なんだって。吸血鬼が人々を魅了する能力があるように、傀儡のようにしてしまう能力があるように、神の力を使って人間をたぶらかしているだけに過ぎない、この絶賛は偽物なんだってどこかそう考えてしまうところがいまだに残っていることは事実だ。拭いきれない。嘘ではない。そう考えてしまう。そう思ってしまう。俺は偽物で、偽りで、神様の皮を被った化け物だ。



 俺の音楽はどこまでもちんけで、他愛もなく、不格好で、幼稚で、情けなく、どうしょうもないと思っている。なぜ人々を魅了し、絶賛されるのか本当にわからない。それこそ神様の力を使っているといういいわけでもない限り、到底理解は出来ない代物ばかりなのだ。中学生が作ったような、そんな作品たちに対して、俺自身の誇りとプライドはあるけれど認められるだけの、世間に認められるものだとはまず思っていない。それでも出すことを辞めないのは、創ることを辞めないのは、いったいどうしてだろうか。



「ロスガの皆さん、本番でーす」



 スタッフが呼びに来た。俺は練習用のギターを置いて立ち上がった。すると他のメンバーも続いて立ち上がった。



 対バンの先攻は俺達である。ガーデンの皆には袖でしばし、ご観覧いただくこととしよう。神様のロックンロールを、借り物でもなんでも見せてあげますよ。

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