第3話 ばらの花

 同年同月のとある日のこと。


 それはチョウチンスタジオの待合室で起きた。愛と奏は煙草をふかしていた。天は律に向かって話をしていて、律はそれを黙って腕を組んで目を瞑って聞いている。俺はその真中でスマホでエゴサーチしていた。



 スタジオの部屋が空くのを待つ順番待ちであった。どうやらその前のバンドがなかなかでてこなくて押しているらしい。予定時間が過ぎても俺達はスタジオに入れなかった。スタジオのスタッフの人もしきりにその部屋へと向かって出入りを繰り返している。ようやくでてきてのは三人の激しい男三人だった。チェーンやイヤリング、指輪などすべてが銀色のシルバー製品。あまり品が良い連中には見えない。ギター一人、ベース一人、ドラム一人のスリーピースバンドってところだろうか。気だるそうに、しかしケラケラと軽そうな笑い声と共に部屋から出てきた彼らは仕方なさそうに会計を済ませていた。一人がまとめて支払っていると、一人が暇になったのか、こっちの方を見た。視線が合うとニヤリとして、ケラケラとやって来た。



「よお、姉ちゃん。イカした服着てるじゃねぇか。革ジャンなんか着ちゃって、男みたいなやつだな」



 ケラケラケラと笑うギターの男は両ポケットに手をツッコミ、その長くて鬱陶しい髪と共にその鬱陶しい男は前屈みになって愛に絡んできた。レジ前の男たちも興味津々でニヤニヤとしている。



「てめぇ……」



 愛はすぐさま反論しようとしたが、俺がそれを制した。同様にブチ切れた女性がもう一人いたからだ。ここは彼女に任せておいたほうがいい。なぜなら彼女は愛のこととなると止めることはできないからだ。



「おい、そこの男」



 革ジャンとか着て、男みたいなやつだと揶揄された細美愛に対し、愛を抑えて田淵奏が言い返す。



「細美は男じゃねぇ、最高にイカした女のロックンローラーだ」


「なっ……」


「ナンパならあたしが受けて砕いてやる。あたしのほうが胸もでかいし、ずっと魅力的だろう?」


「なっ、なんだよ。てめぇ。じょ、冗談言っただけだろう。冗談だよ、冗談」



 こぇ〜、と男は二人の元へと帰っていき、その三人はスタジオから急いで消えて行った。愛と奏の〝愛〟の勝利である。



「お待ちの神野様〜」


「呼ばれたぞ」



 俺は四人に声を掛けて促す。ぞろぞろとスタッフに挨拶を忘れずに、スタジオの部屋の中へと入っていった。











 ※ ※ ※






 せとか。



 それは希望のロストガールが十九番目に発表した楽曲の名前。何度も言うようにCDは出していないし、配信も行っていないからこれは非公式な数字とも言えるものだし、A面もB面もないので、ただ発表した順番に数えていくだけの数字なのだから特に意味はないといえば無いのだが、わかりやすくもあるので便宜上一応数字が振ってあるのだ。せとかはみかんの一種で柑橘類の一つである。今日の練習曲のタイトルが、せとかであった。




 レギュラーチューニング、四カポ



 基本のコードは以下の四つ。16ビートシャッフルストロークで、四小節の各小節に一コードずつ。コードをチェンジしながらワンフレーズ演奏する。曲はイントロ無しで歌から入る。



FGEmAm

河川敷を見下ろして

自転車を疲労させて行く

悪縁三人眠気騙して日常



 ここからベース、ドラム、リードギターが入る。




社会から貰ったおこづかい

大事にしないといけないね

溜息の中にしかない昔の事を



 サビはAmEmを繰り返す。「スーツは二度と着ないってさ」「二度ともどらない花火」のところはFコードをダウンで一回、Gコードをダウンで一回、残りはAmコードをストロークする。キーボードの音色もサビから入ってくる。きらびやかで甘酸っぱく、爽やかな音色である。



AmEmF1G1Am

いつまでも僕は思い出す

まぶたの裏側にそういつまでも

永遠の浴衣を幻像中 スーツは二度と着ないってさ

言葉で駆け引きばかり 二度と戻らない花火

せとか 大人が子供に戻れる特別さ



 二番。キーボードがお休み。その他は継続して、バンドサウンドを鳴らす。音は一番と基本は同じ。



FGEmAm

海で夜中までテントキャンプ

アコースティックを鳴らしてた

あからさまなビキニ 魅惑の後輩

欲望がなぜか味を失っていく



 サビ二番。キーボードがまた入る。


AmEmF1G1Am

いつまでも僕は忘れずに

恋い焦がれギア上げ走っていた 

勇気だけのあの夜だけは 心が言葉になってた 

言い訳ばかり繰り返し 二度と戻らない旅々

せとか 子供が大人になれる特別さ



 間奏。すべての音がメロディアスに流れる中で、歌も継続して繋がっていく。



AmFGEmDABmFm

実るのが早すぎたらしい

取るには到底怠惰すぎて

始まりと終わりは同じだと

渚の彼が言ってたけど



 ここで短いギターソロ、ベースソロ、ドラムソロ、キーボードソロが入る。そしてラストへ。



 ラストメロディはAメロディと同じ歌詞が一小節増えただけ。最後の言葉が歌全体を仕上げ、まとめる。



河川敷を見下ろして

自転車を疲労させて行く

溜息の中には香らない

隙間を埋めたあの柑橘の




 それぞれの音が伸びて、次々と音をミュートして演奏を終えていく。最後にベースの奏が音を止めた。ドゥン、というベース特有の低音が響いて終わった。



「なかなか良かったんじゃないか」


「そうね。まあまあね」



 ギターの愛が答える。



「ギター少し走ってなかった?」


「はあ? そんなわけ無いでしょ」



 また喧嘩が始まった。やれやれ。



「よく他人の音聞いているんですね? 自分の演奏に集中できてないんじゃないですか?」


「音聞かないと合わせられないでしょ。当たり前のことじゃない」


「どうだか。あたしのことが好きなだけなんじゃないの? 好きだから聞き入っちゃったとか?」


「それは、もちろん好きよ」


「…………」


「あら、黙っちゃった」


「うるさい。私のほうが好きだし」


「いや、私のほうが好きだね」



 なんともちんけな言い争いである。お幸せに、お幸せに。



「じゃあキスとかできるのか? 愛を示せるのか?」


「はぁ? 楽勝だし。キスとかチューチューできるし」


「じゃあやって見せてよ」


「はぁ?」


「だから、やって見せてって。私に愛がキスしてって」


「もちろん、できるわよ」


「じゃあ、ほら」


「だから、キスくらいいくらだってできるわよ!」


「だからほら。やって見せて」


「……え? いま?」


「うん、今」


「…………」


「どうしたの?」


「……いや、ちょっと……」


「なにが?」


「……その、やっぱり恥ずかしい」



 やれやれ。



 奏が歩いて愛のもとへ向かった。



「これで我慢しな」



 奏は愛の頬にキスをした。愛の顔は真っ赤であった。ちなみに奏の顔も少し赤くなっていた。やれやれ、純情で、うぶなお二人さんだこと。見ているこっちが恥ずかしくなってきちまうよ。



「もういいかい、ふたりとも。今週末のライブの話をしたいんだが」


「セトリは決まってるじゃん、何話すのよ」


「ライブの最後にやるコピー曲を何にするかって話。ほら、三曲くらいに絞ってたじゃない。アジカンの橙、くるりのばらの花、バンプオブチキンの孤独の合唱。ほら、どれにする? 多数決?」


「多数決にしよう。いつものとおり」



 天が声を掛ける。全員頷く。



「じゃあ、橙がいい人」



 ドラム律。一票。



「孤独の合唱」



 ギター愛。一票。



「ばらの花」



 ベース奏、キーボード天、ギタボ俺。三票。



「じゃあ、決まりで。何回か練習しとこうぜ。単調になりがちな曲だけど、抑揚とかつけながら、気をつけながらやろう。ロックンロールの名曲だ。神ロクの名前に恥じない演奏に仕上げていこうぜ」


「了解」


「おっす」


「はーい」


「もちろん」



 細かいところを話を少し互いにしながら、そして練習を始めた。



 本日のコピー曲:くるり「ばらの花」


 

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