第18話「使命」
いくら出費を抑えたいとは言え、徒歩のみでの移動ではいつまで経っても距離を稼げない。結界内に辿り着いた一行は転移魔法陣を利用した後、馬車に揺られることにした。
金銭はもちろん大事だが、時間にも同等の価値があるとわかっていたからだ。
「…… 着いたよ」
馬車から降りた一行の前に現れたのは、広大な敷地面積を誇る三階建ての建物。他の家屋とは比べ物にならない程に目立っていた。
「ここがお師匠様とやらの家か」
「き、緊張する……」
フランが声を上ずらせながらそう呟く。先導して扉を開けたハクの後を追って、二人は建物の中に入っていった。
「すっげえ……」
一行を出迎えたのは、本がびっしりと並べられた棚の列。本屋でも経営しているのかと思わせる程の規模だ。
「これ、全部頭の中に入ってんのか?」
「恐らくは。一言一句、ってことはないと思うけど、内容はほとんど覚えているんじゃないかな」
「ハクも読んだことあるの?」
「少しだけ、ね。僕も読書は好きな方だけど、これだけの量は読みきれないよ」
本棚の間を通りながら、クロはそこに並ぶ本の題名に目をやった。
魔法、魔力、地理、歴史────他にも様々な種類の本があるのがわかる。
(これを見れば、何か思い出すかな……)
淡い期待を抱きながら、ハクの後に続いて階段を上った。それから廊下を少し歩いて、立ち止まる。
「ここが、お師匠様の部屋だよ」
ごくり、と唾を飲み込んだ。いくら緊張しなくていいと言われても、著名な大魔導師と聞けば、自然と身構えてしまう。
扉を叩くハク。部屋の中から返事が聞こえたことを確認すると、徐にそれを開いた。
「失礼します」
クロは部屋に入ってまず、目に悪そうという印象を抱く。
家具の色が統一されておらず、赤、青、黄、緑、紫────濃淡の違いを含めれば更に多くの色が、この部屋にひしめいている。そのせいで、そこまで狭くないはずの空間に、余計な圧迫感が生まれていた。
そしてその中で異彩を放っているのが、ハクにお師匠様と呼ばれた、老人である。
その老人は、灰色のローブに身を包んでいた。
ハクのそれとはまた違った色味の白髪と、長く伸ばした髭が印象的だ。それらの色は老化によるものだろう。
また、肌がやけに色白で、不健康そうな見た目をしている。
総じて、お師匠様の放つ色素の印象が薄い。まるで部屋中の家具という家具に、色を吸い取られてしまったかのようだった。
「ただいま戻りました」
「うむ」
(いや圧すっご)
とてつもない威圧感である。フランはクロの後ろに隠れてしまう始末だ。
(きさく? きさくってなんだっけ? 殺気の類義語?)
「よく来たな……」
目力だけで人を殺せそうな勢いだった。これのどこが緊張しなくていいのだろうかと、クロは疑問を抱く。
「…… なーんちゃって!」
「…… は?」
クロは呆気に取られた。無理もない。威厳のある、気難しそうな老人が、一瞬にして茶目っ気のある老人へと変貌したのだから。
「悪ふざけがすぎますよ、お師匠様」
「いやー、すまんすまん。このくらい落差があった方が緊張がほぐれると思ってのう」
お師匠様は、こほん、と咳払いする。
「自己紹介がまだじゃったのう。わしはレマイオ。まあ名前で呼んでくれる者はほとんどおらんがのう」
冗談混じりに言いながら、ふぉっふぉっふぉっと特徴的な笑い声を上げた。
「クロです。本名じゃないと思いますけど」
「フ、フランです。よろしくお願いします」
「よろしく。二人のことはハクから手紙で聞いておるよ」
「手紙……?」
「定期的に連絡していたんだよ。僕からお師匠様への一方通行だけどね」
「ふーん。あ、手紙といえば、あれ」
先程の手紙。ハクはお師匠様に報告すると言っていたはずだ。クロはそれを思い出す。
「どうかしたかのう?」
「…… お話ししておきたいことが。まずは、こちらを」
「ほう」
ハクは件の手紙を差し出した。お師匠様は机の上に置いてあった眼鏡をかけ、目を通す。
「…… なるほどのう」
しばらく経って、お師匠様が眼鏡を戻した。どうやら読み終わったらしい。
「お師匠様。ヒョウという男は、クロの記憶についても何か知っているようです。旅の道中で初めて会ったときにも、特に気にかけていました」
「そうか」
「クロが自分の記憶を取り戻すには、ヒョウとの接触が必要不可欠でしょう。つまり、僕の旅の目的と、利害は一致しているはずです。真の目的を伝えて、協力を求めるべきだと思います」
何やらハクが説得のようなことを始めた。だが、どうも引っかかる。証を集める旅の目的は、ハク自身も知らないはずではなかったのか。先の手紙の内容も含め、クロの頭は混乱状態に陥っていた。
「そうじゃのう。じゃが、その前に」
「……?」
お師匠様がクロの方に視線を向ける。
「少しこっちに寄ってくれんか?」
「は、はい」
机を挟んだ状態ではあるが、言われたとおりに近づくクロ。その頭に、立ち上がったお師匠様の手が触れた。年季の入った皮膚が織り成す、ごつごつとした感触に覆われる。
「ふむ」
少しすると、お師匠様は手を戻し、再び椅子に腰を下ろした。
「えーっと、今のは?」
「魔法にも色々あってのう。人の記憶を消したり、改竄したりすることができるものも存在する」
「じゃあもしかして」
「と、わしも思ったのじゃが」
淡い期待を抱いたクロの言葉は、無情にも遮られる。
「そのような魔法が使われた痕跡はない。魔法以外で、原因があるようじゃな」
「そうですか……」
「まあ、魔法攻撃か何かの衝撃の余波で記憶喪失になった可能性までは否定できないがのう。仮にそうだったとしても、魔法で治すことはできん」
「何か、思い出す方法とかわかりませんか?」
打ちひしがれる暇はない。目の前にいるのは博識な大魔導師様だ。きっと何か、自身では思いつかないような方法を提示してくれるだろうと、クロはそんな期待を込めていた。
「記憶喪失の前例がないわけではない。一階の書庫に、その記録が残された本があるからのう」
「なら!」
「わしも目を通してみたが、記憶が戻ったかどうかは半々のようじゃ。そして取り戻した場合でも、それは記憶喪失となった者の家族や、親しい者などの協力によるものばかりじゃった。後は、過去の自分が経験したはずの、何か強烈な出来事をもう一度経験する、とかかのう。つまり、記憶喪失になる以前のクロのことを知る者がいなければ、記憶を取り戻すのは難しいというわけじゃ」
「前の俺を知ってる人間……」
それを思い出せれば苦労しない。そう思ってすぐに、考えを改めた。比較的最近、そんな存在が自らの前に現れたではないか、と。
「ヒョウ、か……?」
「…… 話を戻そうかのう。ハクの旅の目的は、この世界に漂う冥王の瘴気を祓うことじゃ」
「そんなことができるんですか?」
そう尋ねたのはフランだった。口ぶりからして、冥王の瘴気というものは消滅させることができない、と思っていたのだろう。恐らく、それが常識なのかもしれない。
「瘴気はとある場所が主な発生源となっておる。そこから広がるようにして、世界各地に漂っておるのじゃ。ハクに流れる光属性の魔力を使ってその発生源を潰せば、可能かもしれん」
「かもしれんって…… 確証もないのにハクを行かせるんですか?」
それはいくらなんでも無謀すぎる。そう思ったクロは、怒気をはらんだ声で聞いた。
「憶測でしか判断できんのじゃよ。かつて数回程、その発生源に調査団が派遣されたことがあったが…… 一組どころか、ただの一人も生還することはなかった。高濃度の瘴気に当てられて暴走したのか、または何かしらの脅威に襲われたのか。それすらわからん」
「そんな危険な場所に、ただの憶測で、ハクをたった一人で行かせるんですか!」
クロの怒りが、爆発する。
ハクは自分と同年代の子供だ。そんな危険を背負わされるなんて、どう考えてもおかしいと彼は憤る。
「落ち着いて。これは、僕の意思で行くんだ。それに、できる限りの備えはしておくつもりだよ。試練を受けるのも、その一環さ」
割って入るハクの表情があまりに穏やかなものだったため、クロの怒りは急速的に収縮してしまった。依然として、納得はできていないが。
「証があれば、夜間にも国の出入りが可能になるって話は覚えてるかい?」
「ああ」
水の国マクアで試練を受けた際、番人のヴェロットがそんなことを言っていたはずだ、とクロは思い出す。
「証には、結界と同じ力が込められているんだ。つまり、証があれば、冥王の瘴気への耐性という恩恵が受けられるってことなんだよ。それも、証の数だけより強力になる」
「でも、その耐性さえあれば大丈夫なのかは…… わからないんでしょ?」
フランが心配そうに尋ねた。
「残念ながらね。でも、証を手に入れるためには試練を乗り越えなければいけないから、旅を続けることで、より強くなれる。決して無駄なことではないはずさ」
「それは、そうかもしれないけど……」
それ以上の反論をできず、フランは俯いてしまう。恐らくは、クロと同じ気持ちを彼女も抱いていることだろう。
「…… 確かに、危険な旅になる」
だけど、と続けながら、ハクがクロの方を向いた。
「クロ。君が一緒に来てくれるなら、一人じゃない」
「え……?」
「元々、冥王の瘴気を祓うための旅だったけど、さっきの手紙を読んで、冥王の復活を阻止することも目的に加わった。そのために、僕は
「それは……」
「もちろん、記憶を取り戻さず、穏やかに暮らすというのも一つの選択肢として存在する。でももし、君が記憶を取り戻そうと思っているのなら、僕に力を貸してくれないかな」
先程のハクの言葉の意味を、クロはようやく理解した。
返す答えは決まりきっている。だがそれは、利害の一致だけが理由ではない。
友の力になれるなら。友がそれを求めているなら。友の責務を自らも背負うことができるなら。
それを断る理由の方が、存在しない。
「願ってもないぜ。俺の方こそ、よろしく頼む」
差し伸べられていたハクの手を、クロは固く握った。
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