第15話「治療」
部屋の扉を叩く音により、クロの意識は急激に引き戻される。
いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。窓から射し込む光が依然として明るみを持っていることから、そう時間は経っていないと推測できる。もっとも、丸一日経過したなどということがなければの話だが。
「どうぞ」
来訪者。恐らくはハクの言っていた人物だろうが、怪我の具合が酷いため、扉の前まで出迎えることはできない。
「失礼します」
クロの声を受けて現れたのは、一人の女性。扉を閉めてから、なんらかの形式的なものであろう、優雅なお辞儀を見せてくれた。
「番人ケミーの孫娘、リペルと申します。この度、クロ様の治療を申しつけられ、その使命を果たすべく参りました」
リペルと名乗った女性の、地面と垂直方向を軸にして巻かれた長い茶髪が揺れる。
スカートの丈は長く、全体的に露出の少ない格好だが、可愛らしい装飾が程良く施されているからか、地味さは感じられない。可憐さと上品さを併せ持つその様は、まるで一国の姫のようだった。
「あ、あの……」
「どうかなさいましたか?」
「いや、俺みたいなガキにわざわざ敬語使わなくていいですよ」
纏う雰囲気からしてクロより年上と思われるが、リペルは何故か敬語で話しかけてくる。それが、彼にはなんともむず痒く感じられた。
「これは私の癖のようなものですので、どうかお気になさらず」
「そ、そうですか」
柔らかな笑みに、クロはそれ以上何も言えなくなる。
「もし食欲があるようでしたら、先にお食事をご用意させていただきますが、いかがなさいますか?」
「…… いや、大丈夫です」
遠慮したわけではない。本当に、食欲が湧いていなかったのだ。それなりに長い間飲まず食わずでいたことが影響しているのかもしれない。
「承知しました。では、治療の準備を始めますので、少々お待ちください」
「あ、俺も手伝いまいだだだだ!?」
急に立ち上がろうとしたせいか、全身に激痛が走った。クロはたまらずベッドに倒れ込む。
「無理をなさらぬようお願いします。まだ傷は癒えていないのですから。ここは、私にお任せください」
「はい、すみません……」
リペルは鞄から紙を取り出した。その紙には魔法陣が描かれている。床に敷いた後、彼女は膝をついてそれを凝視していた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか」
沈黙に耐えきれず、クロが口を開く。リペルは彼の顔を見て、話を聞く態勢へと変えた。
「手っ取り早く強くなる方法とか、あったりしますかね」
「…… 何故、その質問を?」
「俺は、一人で生きていかなくちゃいけないんです。きっと、近くにいる人を巻き込むから。これ以上誰にも迷惑をかけないよう、強くなりたい。一日でも早く」
強く握りしめた右の拳を、クロは真剣な眼差しで見つめる。
「なるほど。つまり、こういうことですね」
リペルは立ち上がってから微笑み、言葉を続けた。
「ご友人を面倒事に巻き込み、迷惑をかけて、危険に晒し、散々助けていただきながら、最終的に一人でおさらばしたいと、そう仰りたいのですね?」
「うぐっ!?」
言葉の一つ一つが、クロの心に突き刺さる。言い方は悪いかもしれないが、間違ってはいない。突き詰めればそういうことだ。
「助けていただいて、申し訳ないから姿を消す。それよりも、施しを与えていただいたことに感謝し、何かを返す方が、私としては好ましいと思いますよ」
「返すって言っても、俺には返せるものなんて、何も……」
記憶がない。知識もない。強くもない。唯一あるものが、闇属性の魔力。こんな自分がどうしたら恩を返せるのか、クロにはわからなかった。
「それを見つけるのはクロ様自身でなければなりません。もし答えが出ないのであれば、先の考えを実行に移すのも良いでしょう」
ですが、と続けるリペルの表情は、悟ったような、慈しむような、不思議なものに変わる。
「貴方様一人で生きていける程、この世界は甘くはありませんし、そんな世界で一人にさせてくださる程、貴方様のご友人は薄情ではないと思いますよ」
「……!」
その言葉で、クロは目が覚めた。急激に顔が熱くなるのを感じる。
「出会ったばかりの私の言葉は、信じられませんか?」
「いや」
己の胸に手を当て、心音を聴く。次第に速く、鼓動していくのがわかった。
「心に、ぐさっと突き刺さりましたよ」
「…… ふふっ」
再び笑顔を見せたリペルは、一歩下がり、先程よりも深くお辞儀してみせる。
「出過ぎた真似を、どうかお許しください」
「いやいや、気にしないでください! リペルさんのおかげで気づけたんですから! ってか、なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだ? 俺一人じゃなんもできねえのに、何自惚れてんだよ俺…… ああ恥ずかしい!」
両手で顔を押さえながら、早口になっていくクロ。彼の顔は真っ赤になっていた。
「それで、考えは改まりましたか?」
「はい。強くなりたいってのは変わらずですけど」
リペルの方を見てから、前に出した自らの拳に視線を向ける。
「あいつらに恩を返すために…… それがなかったとしても、あいつらと一緒にいるために、強くなりたい。助けてもらってばかりじゃなくて、いつか俺もあいつらを助けられるように、もっと強くなりたいです」
クロは再びリペルに視線を移した。
「どうしたら、強くなれますか?」
「…… いい眼になりましたね」
目を閉じながら、微笑むリペル。
「私に可能な範囲で、お力添え致しましょう」
「本当ですか!」
ですが、と言葉を遮るようにして続けられる。
「クロ様が先程仰られた、『手っ取り早く強くなる方法』などというものは、私は存じ上げません。恐らくは、世界中どこを探しても見つからないでしょう」
「やっぱり……」
そこまで大きな期待を抱いていたわけではなかったが、いざそんな方法がないとわかると、クロは肩を落としてしまった。
「仮にあったとして、推奨されるようなものでもないでしょう。いずれ破滅に繋がるような、碌でもない方法だと私は考えます」
「なるほど」
「それと、クロ様の傷はまだ完治しておりません。無理は禁物です。よって、肉体面の鍛錬も現在は厳しいでしょう」
「そんなこと…… あいだだだだ!?」
そんなことない、とクロは体を無理やり動かそうとしたが、激痛が再び襲いかかったことで大声を上げる。
「と、いうわけですので、治療を兼ねて行える修行にしましょう」
「で、ですね」
「とりあえず、準備を終わらせてしまいますね」
リペルは治療に使うであろう道具を取り出し、手際良く準備を終えてみせた。
「こちらをご覧ください」
そう言ってリペルが見せてきたのは、クロの記憶にも新しい、黒い石のような物体。
「これは、魔石……?」
「ええ。貴方様を攫った研究者たちが所持しているのを、押収しました。これの出所はご存知ですか?」
「俺から、ですよね」
「そのとおりです。よくご存知ですね」
「まあ、本人たちがそう言ってたので」
摘発されるなど微塵も思っていなかったのだろう。エレトは比較的詳細に事を説明してくれていた。おかげで、滞りなく会話が進む。
「精神的、肉体的苦痛の影響もありますが、強制的に魔力を抽出されたことでクロ様は非常に衰弱しております。ご自身で感じている以上に」
「だから、なのか……?」
先程のとおり、クロは自分では平気だと思っているが、いざ体を動かそうとすると上手くいかなかった。ちぐはぐな感覚も、それが原因なのかと彼は納得する。
「失った魔力を補うため、この魔石を使って治療を行います。推測するに、本当はもっと多くの魔石が作られていたのでしょうが…… 研究者たちを捕らえる過程で破損してしまったのでしょう。三つしか回収できませんでした」
リペルは三つの魔石を、紙に描かれた魔法陣のうち、小さなものにそれぞれ乗せた。
「こちらにお掛けください。ゆっくりで構いませんよ」
彼女が手で示したのは、中央に位置する大きな魔法陣。クロは言われるがままそこに座った。
「今から一つずつ、魔石から抽出した魔力をクロ様に還元させていきます。クロ様は精神を研ぎ澄まし、魔力の流れを感じてください」
「魔力の、流れ?」
「クロ様は魔力を感知できていないと、ハク様からお聞きしました。今から行う修行で、それを可能にしていただきます。人間誰しも、魔力を有しており、成長するにつれ自由に扱うことができるようになります。魔力の流れを感じることは、言わば基礎中の基礎なのです」
「って言っても、どうすれば……」
「とりあえず始めてみましょう。普段とは異なる感覚を掴めば良いのです。さあ、目を閉じて、全ての感覚を研ぎ澄ましてください」
何がなんだかわからないまま、クロは目を閉じて、意識を集中させる。
瞼の裏に広がる、真っ暗な世界。視覚を遮断したことで、他の感覚が鋭敏になる。
開いた窓から吹く風。風に乗って香る木々の匂いと、外から聞こえる人々の喧騒。どれもが心地良く、集中しながらも緊張を和らげることができた。
「始めます」
暗闇が、仄かな光に照らされて明るくなっていく。
そう思った直後、クロは自身の体に『何か』が流れ込んできたのがわかった。これが、魔力なのだろう。
冷たく、どこか不安や恐怖を感じさせるような、気味の悪い感覚。だが、受け入れてはならない異物のようには感じられず、むしろ体に馴染むようだった。
「一つ目終了です。目を開けてください」
目を開き、辺りを見回す。クロの座る魔法陣を囲むようにして置かれていた魔石のうち、一つがなくなっているのがわかった。
「いかがでしたか?」
「冷たくて、どことなく薄気味悪いような…… でも、不思議と体に馴染んで…… 変な感覚ですね」
「上々です。二回目、始めます。今度は更に鮮明に把握できるよう心がけてみてください」
「はい」
再び目を閉じて集中する。程なくして、魔力が流れ込んできた。
先程と同様、冷気を感じたが、今度は同時に別の感覚が発生している。
熱。冷感とは真逆のはずだが、しかし確かにクロの体に混在していた。何故か。考えるのではなく、神経を研ぎ澄ますことで答えを探る。
「二つ目、終了です」
そう声を掛けられる直前、謎は解明した。
「進展はありましたか?」
「体の表面は冷たいんですけど、芯の方は熱を持ってるのがわかりました。寒くて暑い、みたいな感じ、ですかね」
「良好ですね。それでは最後、始めましょう」
いよいよ最後。クロは慢心せず、三度意識を集中させる。
冷気、次いで熱。ここまでは既にわかっている。ここから、更に深く、魔力について理解せねば。
自身の体に変化はない。ならばと、今度は流れてくる魔力そのものに意識を向けた。
「…… 完了です。お疲れ様でした」
目を開ける。全ての魔石が周囲から消え、魔法陣の上にはクロだけが存在していた。
「どこまで感覚を掴めましたか?」
「魔力の流れ、少しわかったかもしれないです。一回目と二回目は、魔力が体の中に浸透して消えていってるんだと思いました。けど、三回目は違った。魔力は消えてるんじゃなくて、俺の中で流動してるんです。今は、よくわからないけど……」
「…… 素晴らしいですね。想像以上です」
お世辞かもしれないが、彼女の言葉にクロは喜びを隠せず表情を緩ませる。
「もうその紙は使わないので、片付けてしまいましょう」
依然として申し訳なさは感じているものの、何度も同じやり取りを繰り返すわけにもいかない。クロは一度ベッドに座り直し、リペルが後片付けを終えるのを待つのだった。
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