第14話「闇」
背面から伝わる、柔らかな感触。ひどく懐かしいそれに、クロの意識は暗闇から引き戻された。
「ん、うん……」
瞼をゆっくりと開ける。最初に目に入ったのは、風に揺らめくカーテンだった。小鳥の囀りと暖かな陽光が、朝の訪れを感じさせる。
「目が覚めたかい?」
声がした方を見ると、そこには椅子に腰掛けたハクの姿があった。
自身の目線が低い位置にあることから、クロはようやく、自分がベッドの上で寝そべっていたのだと気がつく。
「ここは…… 俺、どうして…… ぐっ!?」
体を起こそうとすると、全身に痛みが走った。とてもではないが、これではまともに動けないだろう。
「クロ! 無理しないで!」
「あ、ああ。悪い……」
楽な姿勢に戻り、顔だけをハクの方に向ける。
「ここは、どこなんだ?」
「ヴィオーノの結界内にある宿屋だよ。とりあえずは、安心してくれて大丈夫」
「…… いったい、何があったんだ?」
「…… 初めから全部話そうか。君が気絶した後、僕とフランはなんとか結界内まで逃げ延びて…… それから、ケミーさんのもとを訪れたんだ」
「ケミーさんって…… 確か、番人の?」
「うん。君を捜索するにあたって、助力いただけないかと思ってね」
クロには意外に感じられた。人攫いの件に関して番人の協力は得られないと、ハク自身の口から聞いていたからだ。
「さすがに番人自ら動いていただくことはできなかったけど、強力な助っ人を用意してくださったよ」
「助っ人…… 黒い騎士みたいな奴のことか?」
「会ったのかい?」
「ああ。助けられた…… そいつは?」
「『メア』って名乗ってたけど…… 事が片付いてから、どこかへ消えてしまったよ」
「そっか」
ということは、あれからエレトと互角以上の戦いを続けたということだ。番人に推薦される程の強さ。その片鱗を垣間見た気がした。
「話を戻そうか。助力いただいたおかげで君の居場所がわかった後、ケミーさんからは待機しているように言われたんだけど、じっとしていられなくてね。無理を言って、君の救出に同行させてもらったんだ」
「だから、二人があそこにいたのか…… 二人とも、怪我とかしてないか? そういえば、フランが見当たらないけど……」
「僕たちは大丈夫。フランも、別の部屋で待機してるだけだからね。クロが眠っている間、交代で様子を見ようって話になったんだ」
「そっか、良かった」
「…… それより、クロは自分の心配をした方がいいよ」
皮肉めいた発言だが、そのような意図がないことはハクの表情を見れば一目瞭然だ。純粋に、クロのことを心配しているのだろう。
「俺、どのくらい眠ってた?」
「助け出したのが一昨日の夜だから…… 丸一日以上は眠っていたことになるね」
「…… マジか」
自分のことながら、クロは引き気味になる。だが、しばらくの間、気絶を繰り返してばかりで睡眠といった睡眠を取れていなかったことを考えれば、無理もないかと思い直した。
「実験やら何やらで、散々痛めつけられたからな……」
「事情は聞いてるよ。メアさんやケミーさんのおかげで、今回の件で暗躍していた人たちを軒並み捕まえられたみたいで、そこから」
「ってことは、とりあえず一件落着、か?」
「人攫いの被害者たちも続々と発見されてるらしいから、多分ね。調査はまだ続いてるけど、僕たちにできることはもうないかな」
「なら良かった」
せっかくこうして再会できても、狙われる危険が続いていては安心できないだろう。変に警戒する必要がないとわかり、クロは胸を撫で下ろした。
「ごめんね」
その言葉は、ハクの口から発されたものだ。彼が謝罪する理由がクロにはわからなかったが、放たれる重々しい雰囲気を察知したことで、それが聞き間違いではないのだと判断した。
「…… なんだよ、急に」
「僕はあのとき、クロを見捨てて逃げたんだ」
ハクはばつが悪そうに、言葉を紡ぐ。
「あのとき、諦めずに戦っていれば、クロがここまで傷つくことはなかったかもしれないのに……」
「…… 逃げて正解だろ。俺たちじゃ、あいつらには勝てなかったんだから」
俯きながら漏らしたその言葉は皮肉でもなんでもなく、クロの本心からのものだった。
「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。俺が…… 俺が二人を巻き込んだ」
「そんなこと……」
「聞いたんだ。俺には闇属性の魔力が流れてるって。災いをもたらすんだって」
「それは……」
「今回二人を巻き込んだみたいに、これからも誰かを不幸にしちまうなら…… 俺は、死んだ方がいいのかもしれないな」
自身の死をハクが肯定するはずはないと、クロは理解している。それでも、自分で自分を認めることが、許すことができない。
今回の件、最大の悪は間違いなくエレトの一派だ。だが、その次があるとすれば。それは、自分なのではないかと考えずにはいられなかった。
闇属性の魔力。それを宿していることで狙われ、親しくしていたハクやフランまで危険に晒してしまった。考えれば考える程、その罪悪感は強くなっていく。
エレトが言った『いつか』は、既に訪れていた。
「本当に、ごめん」
「だから、ハクは悪くないだろ」
「…… 僕は、気づいていたんだ。君が、闇属性の魔力を宿していることに」
「え……?」
驚きつつ、クロはハクの方に視線を戻す。
「今までずっと、君を試していた。試練を受けさせたのも、それが理由さ」
あの日、試練を受けるように言ったのはヴェロットだ。だが番人ともなれば、他者に流れる闇属性の魔力を感じ取れたとしても不思議ではない。そこからハクの意を汲んで提案したと考えれば、辻褄は合う。
「闇属性の魔力を狙って君を襲う人物が現れる可能性も考慮していたけど、ヒョウって男が現れて、油断した。今すぐクロを捕らえるつもりはないんだ、ってね。他の人間に狙われない保障なんて、なかったのに」
ヒョウが善人か悪人か。少なくとも前者ではないだろう。彼に気を取られて、今回の件を招いてしまったということか。
ハクの告白を聞いても、クロの中に怒りの感情は湧いてこない。闇属性の魔力がいかに忌まわしいものとされているかは、既に理解できていたからだ。
「本当に、ごめん」
ハクの対応は間違えてなどいない、クロはそう思うことができた。こうなる可能性を、いったい誰が予期できるだろうか。ただ、どう伝えれば彼の罪悪感を払拭できるのかわからず、黙り込んでしまう。
「…… もう少ししたら、治療してくださる方がいらっしゃるよ。一日で治るような傷じゃないだろうから、クロはしばらく療養に専念して。その間、僕とフランは試練に挑むことにするよ。とりあえず今から、クロの意識が戻った報告も兼ねて、ケミーさんに挨拶してくるね」
「…… わかった」
本当は、クロも一緒に試練に挑みたかった。だが、隣に立つどころか後を追いかける資格すらないような気がしたことで、言葉を呑み込んでしまう。結果、扉の方へと進んでいくハクの背中を、ただ見つめることしかできなかった。
「僕は」
ハクが扉の前で立ち止まり、背を向けたまま再び言葉を紡ぐ。
「君に生きていてほしいって、そう思うよ」
表情こそ見えないものの、本心からの言葉だろうとクロは思っていた。
いや、そうであってほしいと、願ったのだ。
そうでなければ、折れてしまうから。
「ああ」
ハクが部屋を出てから、クロは窓に視線を向けた。もっとも、ベッドの位置が低いために外の景色は見えないが。
「これから、どうするかな」
照らされながら揺らめくカーテンを眺め、一人考える。
迷わず自決できる程、クロの肝は座っていない。だが、このまま二人と行動を続け、これ以上迷惑をかけることは躊躇われた。あの二人だけでなく、無関係な他人を巻き込むなどもってのほかだ。一人で動くにしても、慎重にならなければならない。
(一人で手掛かりを探すしかないけど、もっと、強くならないと)
人攫いの一味との戦いは、人数差で押しきられたと割り切ることができる。だが、エレトとは一対一で戦ったにもかかわらず、終始圧倒されてしまったため、自身が力不足であることは否めなかった。
(あの黒騎士、メアとか言ったっけか。あいつ以上に強い奴も、ざらにいるんだとしたら……)
そして、ヒョウがそうなのだとしたら。深く考えずとも、己に鍛錬が必須なのは明白だった。
どうしたら強くなれるのか。
考えても、答えは出ない。代わりにゆっくりと姿を現したのは、睡魔だ。
目覚めたばかりのはずだが、クロの心と体は徐々に支配されていく。彼はまたしても、夢の世界へ誘われようとしていた。
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