第13話「黒騎士」
それからも、クロへの拷問のような実験は続いた。目が覚める度に色々な方法で痛めつけられ、限界がきて意識を失う。その繰り返しだ。捕らえられてから何日経過したのかもわからない。
「おら、とっとと食え」
手下の一人が、クロの口元に食事を運ぼうとしている。だが、彼は頑なに口を開けようとはしない。
「お前、何日飲まず食わずでいると思ってんだ? 人の限界とっくに超えてんぞ。ほら、口開けろ」
腹の音が鳴り、喉も乾燥しきっていたが、それでもクロが食事を取ろうとしないのは、せめてもの抵抗だった。それしか、できなかったのだ。
手下の男に口を無理やり開かれ、そこに、食事を掬った匙がねじ込まれる。咀嚼すら強制的に行わされた。憔悴しきった今の彼に、味などわからない。ただ不快感に満たされるのみだ。
「ほら、飲み込め」
そればかりは男にもどうしようもないだろう。だが、クロがその指示に従うはずもなかった。
男に向かって、彼は自身の口内にあるものを全て吐き出す。男の顔面に、唾液と食材の混じったどろどろな物体がへばり付いた。
その様を見てクロは、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべる。
「…… こんのクソガキぃぃぃぃ!」
男の拳が、クロの顔に叩き込まれた。続けて、二発、三発。
何度も何度も、彼は殴られ続けた。
「こっちが下手に出てやったら調子乗りやがってよおっ!」
ふと、足音が近づいてくる。他の手下たちが何やらざわめき始めたが、男は頭に血が上っているのか、気づいていないようだった。
「おい」
「…… っ!?」
声を掛けられて、手下の男はようやく殴打を止める。彼が振り向いた先に現れたのは、仮面の男だった。
「今日は体力の回復を記録する予定だったはずだが」
仮面の男は淡々と告げながら、一歩、また一歩と近づき、鉄格子に手を掛ける。
「ち、違うんです王子! これは……!」
王子。仮面の男を、手下は確かにそう呼んだ。クロの耳にもはっきりと聞こえている。
あの男が、王子。いったいどういうことなのか。クロの考えは纏まらなかった。
「…… この場所でそう呼ぶなと」
仮面の男────王子と呼ばれた彼は鉄格子の一部を握力で破壊し、それを掴んだまま腕を引く。
その掌に、青白い稲光がほとばしった。
「言ったよなあっ!」
王子の掌から鉄塊が撃ち出される。その速度は、雷そのもの。現にクロは、鉄塊が飛来する過程を捉えることができなかった。潰れて血を撒き散らした手下の頭部と、壁にめり込んだ鉄塊を見て初めて、それらが王子の攻撃によるものだと理解したのだ。
「お、お前…… 何して」
クロの顔は死体の方を見ているが、視線が泳ぐ。何故か。
「どれだけ躾けても駄目な奴はこうするしかないんだよ」
「仲間じゃ、なかったのか?」
「ただの手下さ。使えなかったら切る」
死体を見るのが初めてだから、動揺している。そう素直に思えればどれほど楽だったか。だが、実際はそうではない。
あの頭痛が、また襲いかかってきたのだ。脳内に駆け巡る、ぼやけた映像。赤黒い光景が、しきりにちらつく。
「どうしてそこまでそいつの生死にこだわるんだい? 君だって、好意的に見ていたわけではないだろう」
クロは理解してしまった。このような惨状を見るのが初めてではないと。そして同時に、王子の言葉によって思い知らされる。
「偽善者ぶりたいのはわかるけどさ、君、こいつが死んだことに関してなんとも思ってないだろう?」
クロが動揺し、恐怖しているのは、手下の男が死んだことそのものではなく、それを受けてなんの感情も抱かなかった自分に対してだ。そして、この感覚もまた、初めて得たとは思えなかった。
「あ、ああああ……」
自己嫌悪が肥大化していく。それは闇となって、クロの心から体へ、体から外へと溢れ出した。
「…… これは」
(なんだ、これ……?)
視界が、ゆっくりと黒く染まっていく。気を抜いたら意識を持っていかれそうな、自分が自分でなくなるような、そんな不思議な感覚だった。
屋敷でのときより、試練のときより、遥かに酷い。
「闇が暴走し始めているのか?」
闇はクロの体を覆いながら、止めどなく溢れていった。
怖い。憎い。怖い。憎い。
恐怖と憎悪が、彼の心に混在していた。それらの感情に、彼は完全に呑まれそうになったが。
「…… お前、は」
一瞬。ほんの一瞬だけ脳裏にちらついた映像。それが、クロの意識を一気に引き戻した。
見えたのは、必死そうに叫ぶ、黒髪の少女。何を言っているのかまではわからなかった。少なくとも確かなのは、それが見えたおかげで、クロは冷静さを取り戻せたということだ。
闇は収縮し、彼の体に染み渡っていく。消えたわけではない。全身に行き渡り、確かに彼の力となった。
「…… わかんねえよ」
クロは手足の拘束を強引に引きちぎって着地する。手錠だけはついたままだが。
「俺には、知らねえこともわからねえことも多すぎる。だけど一つ確かなのは……」
王子を強く睨みつけ、戦闘態勢を取った。
「お前を一発ぶん殴らなきゃ気が済まねえってことだ!」
勢い良く飛び出す。鉄格子を突き破り、そのまま王子へと殴りかかった。
だが、いとも簡単に、手錠のついたその拳は掴まれる。
「……! 今度はなんだ!?」
どこからか地響きのような音が聞こえ、手下たちが慌てふためいていた。クロも少なからず動揺を覚えたが、意識の大半は目の前の相手に向けている。
「なるほど、招かれざる客というわけか。全員に退避命令。資料と魔石は携帯するように。俺は彼と、お客さんを相手してから向かうよ」
王子の指示どおり、手下たちは全員駆け足でその場を去っていった。
「このっ!」
クロは左手で殴りかかったものの、それすら受け止められる。両腕を掴まれる形になった。だが、まだ終わらない。腕が固定されているのを利用して地面を強く蹴り上げ、勢いのついた足で王子を狙った。
相手は拘束を解き、後方に回避。クロは蹴りの勢いを利用して後方に宙返りした。
「…… お前、王子って呼ばれてたよな?」
警戒しつつ、クロは尋ねる。
「もう隠す必要もない、か」
王子は仮面を脱ぎ捨て、その素顔をクロに晒した。
どうやら、たてがみは仮面の装飾だったようだ。彼の、暗い茶色の癖毛が露わになった。
「俺はエレト。雷の国、ヴィオーノの王子さ」
王子ことエレトは、そう言いながら笑みを浮かべる。だがそれは、どこまでも薄っぺらく、貼り付けたような不気味なものだった。
「自分の国だからって好き勝手しやがる」
「厳密には俺の所有物ってわけではないけどね」
「絶対告発してやっからな」
「君では無理だよ」
そう返し、エレトが仕掛けてくる。
一瞬で距離を詰めてからの、素早い打撃。クロはどれも間一髪で躱していくが、逆に言えば回避に専念することしかできず、反撃に出られなかった。
「一つ、君の言葉を信用する者などいない」
「くっ……」
「二つ」
エレトが一旦、攻撃の手を緩めた。好機とばかりにクロは反撃に出ようとしたが、相手の体が雷を帯びたのを見て、直感的に断念する。
結果、それは正しかった。
「はあっ!」
常人ではあり得ない速度での後ろ回し蹴り。クロは咄嗟に数歩下がることで回避できたが、反撃を試みていたら確実に間に合わなかった。
「あっぶねぇ……」
「…… 君では俺を倒せない」
驕りではないだろう。エレトは事実を述べているに過ぎない。ほんの僅かな交戦時間で、クロはそれを理解できていた。
目の前の男には、隙がまるでない。仮に隙ができ、そこを突けたとしても、相手との力量差を覆すことはできないだろう。
それでも、クロは戦うしかない。
他に、道はないのだから。
「とは言え、今のを躱すとは予想外だった。反応速度はかなり良いようだね。だが拳が軽すぎるな。鉄格子を破壊した力強さをもう一度見せてほしいものだ」
「ごちゃごちゃうるせえ!」
余裕綽々とした態度に、クロは苛立ちを隠せない。彼が飛びかかると、エレトは右腕を上げて指を鳴らした。
「ぐああああっ!」
またも、電撃。クロはたまらず膝をつく。
「その手錠にも魔石が埋め込まれているんだよ。雷属性の、ね。俺の魔法で誘発させたのさ。君がどれだけ俺の動きに注視しようと、俺はいつでも君を攻撃できる」
「ぐっ…… ああああ!」
痛みに晒されながらも、クロは立ち上がって距離を詰めようとした。
「『電磁砲』」
エレトが正面に突き出した拳。その先に、光の球体が発生した。直後、クロの体は後方に吹き飛ばされる。見えない力に、押し出されるような感覚だった。
「ぐっ…… ううっ……!」
「魔法攻撃に対する抵抗力が高まるわけではないのか。痛覚麻痺と肉体の強制稼働を無意識のうちに引き起こしているということか……? 闇への適性が凄まじく高いな。まるで、闇を扱うためだけに作り出されたかのようだ」
「離せ……!」
どれだけ力を込めても、動くことすら叶わない。
「離せ、か。そんなにここから脱出したいのかい?」
「当たり前だろ……!」
「確かに、ここにいて君が幸せになれることはないだろう。だが、日常に戻ったとして果たして幸福を享受できるかな」
「何が言いたいんだ!」
電撃と不可視の力に襲われながらも、クロは屈することなく声を荒げた。
「闇属性の魔力は、災いをもたらす。魔物にしたってそうだ。今、この瞬間にも、暴走して被害を拡大させている。闇が悪、というのは、最早共通認識なんだよ。そんな世界が、君を受け入れてくれるとでも?」
「そんなの、俺には関係ねえ……!」
「いいや、いずれ君は後悔する。お友達や赤の他人までも巻き込んで、罪悪感に心を蝕まれることになる。そうなったとき、君の心は闇に呑まれ、本当の意味で君は魔物と同じになるんだ」
「くっ……」
意識が、朦朧としてくる。言い返すこともできなくなったが、それでも、エレトの言葉はしっかりとクロの脳に刻まれていった。
「君がこの世界のためにできることは二つ。災いを引き起こす前に潔く死ぬか、俺に研究され尽くして死ぬか、どっちかだ」
(俺は……)
もう、駄目かもしれない。そう思った時だった。
凄まじい轟音とともに、クロの左手側にある壁が破壊される。辺りに土煙が舞って、その中から黒い人影が一歩、二歩と近づいてきた。
「…… ほう」
現れたのは、黒い鎧を身に纏った騎士のような存在。兜を被っているため目線まではわからないが、エレトの方をじっと見つめているように見える。
「君はいったいどちら様……」
エレトが言い終わるよりも速く、黒騎士が距離を詰めにかかった。背丈以上もある大剣を構えているが、それをものともしない動きだ。
「『電磁砲』」
エレトも反応し、右腕を黒騎士に向ける。球体がそれにならって移動し、『見えない力』を撃ち出した。
そのおかげか、拘束を解かれたクロの体がふわりと地に落ちる。未だ電撃は続いているが。
「な、なんだ……!?」
黒騎士の姿が、一瞬にして消えた。『見えない力』が、土煙を払う。
黒騎士はエレトの背後に現れ、その巨大な剣で斬りかかろうとしていた。
「こっちか」
エレトは見るより早く気配に気がついていたようで、振り向きざまに雷を放つ。それは黒騎士に直撃した。
だが。
「…… 何?」
黒騎士はほんの一瞬だけ動きが鈍ったものの、構わず動作を続ける。エレトもすかさず距離を取ったが、大剣から放たれた黒い斬撃が彼を襲った。
「…… なかなか、やるようだね」
初めて、エレトが負傷した。クロは目を丸くする。自身がどれだけ足掻いても成し得なかったことを、黒騎士はいとも簡単にやってみせたからだ。
「ここは」
エレトが素早くクロの前に移動した。
「ひとまず逃げるとしようか」
「させん」
ここで初めて、黒騎士が声を発した。男の声だ。黒騎士はエレトの影ができているところに大剣を刺す。
「『自影自縛』」
すると、影が浮かび上がり、縛るようにしてエレトの体に絡みついた。
「な、なんだこれは」
エレトがもがくが、影は決して離れようとしない。
「クロといったか」
黒騎士が、クロの名を呼んだ。
「な、なんで俺の名前を……」
「とっとと消えろ」
「は……?」
「消えろ。目障りだ」
乱雑な言い方だが、確かに逃げるなら今しかない。クロは電撃による痛みを堪えながら、黒騎士が破壊してできた穴へと駆け込んだ。
「逃がすか……!」
電撃がより強くなる。意識が飛びそうになった。それでも、クロは足を止めない。たとえ気絶しようとも、走り続ける。その程度の気概は、まだ彼の中に残っていた。
「はあっ、はあっ……」
走る、走る、走る。同じ所を回らないように考えながら、出口を目指して走り続けた。ついこの間も、こんなことをしていた気がする。
だがあのときは、一人ではなかった。近くに一人いるかいないか。たったそれだけの違いが、クロの心に重くのしかかり、足を鉛のようにする。
(フラン、ハク……)
もう、会えないのだろうか。思考はどんどん悪い方へと進んでいく。決して足は止めないが、その前に心がどうにかなってしまいそうだった。
(……! 誰か、いる……?)
次の曲がり角。その先に気配を感じる。一旦足を止めるが、戻るわけにはいかない。クロは呼吸を整え、いつでも応戦できるような心構えをして、角を曲がった。
「……!」
音を殺しながら殴りかかろうとする。だが、暗がりの中に見えた相手の顔によって、クロは寸前でその手を止めた。
「クロ!?」
「ハク、フラン……」
そこには、今、彼が一番信頼できる仲間の姿が存在したのだ。
「どうして、ここに……」
二人の顔を見て気が緩み、倒れそうになるクロの体がハクに受け止められた。思わぬ場所での再会につい尋ねてしまったが、その答えを待っていられるだけの余裕は、既にない。
「悪い、もう、限界……」
重くなる瞼。二人の声を聞きながら、クロは意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます