第10話「ヴィオーノ」

「よく来たな」


 日が明けて、一行は目的地、雷の国ヴィオーノに辿り着き、とある寺院を訪れていた。番人に会うためだ。そして、クロの目の前にいるのが、その番人。


「俺っちがこの国の番人、ケミーだ」


(…… はげちゃびんじゃん)


 ケミーの頭部は、いっそ清々しいまでに禿げ上がっていた。


(しかも身長低いし)


 クロの脳内に、失礼極まりない言葉が続けて浮かぶ。

 彼自身、ハクと比べて背丈には恵まれていない方だが、番人だと名乗りを上げた老人は、それよりもかなり低かった。


「そこの若僧!」


 ケミーが、クロの方に指と視線を向ける。


「お、俺ですか?」


「何か言いたいことがありそうだな」


「い、いえ、別に……」


 決して、思考を口に漏らすなどという愚行は犯していないはずだが、ケミーに勘づかれてしまったらしい。


(顔に出てんのかな…… 気をつけよ)


 以前にも同じようなことがあったと思い出し、今一度、自分を戒めることにした。


「ふん。まあいい。それよりお前たち。まずは全員名乗れい」


 見逃してもらえたようで、クロは安堵する。


「改めまして、ご挨拶を。試練を受けに参りました、ハクです。よろしくお願いします」


「私はフランって言います」


「クロです」


「おう、よろしくな。話は聞いてるぜい。だが、すぐには試練を受けないんだろう?」


 ケミーがハクにぎょろりと目を向けた。しゃがれた声も相まってか、その体格とは対照的に、力強い印象を受ける。


「ええ。今日は、ご挨拶だけでもと思いまして。中心街に集まる依頼をこなしたいので、試練は十日後にお受けしたいのですが、大丈夫ですか?」


 三人旅がいつまで続くかはわからないが、このままでは金銭面が不安だった。木剣代返済の額を稼ぐついでに、この国で資金調達をしようとハクが提案したのだ。


「構わねえぜい」


「ありがとうございます。それでは、僕たちはこれで」


「おう。試練前に変ないざこざに巻き込まれんようにな」


 見送るケミーを背に、三人は寺院を後にする。寺院もまた中心街よりにあり、目的の場所まで徒歩でも問題なく辿り着ける距離だったため、馬車は使わないことになった。人の波に揉まれながら通りを進む。


「人の流れが多いな」


「この国は貿易に力を入れているみたいでね。その影響か一個人でも、物々交換とか依頼とか、そういった商売が盛んなんだよ」


「色々な人がいるよねえ」


 人だけでなく、多くの荷物を載せているであろう馬車もまた、何台も往来を進んでいたため、余計に圧迫感がある。馬車で移動していたら、逆に時間がかかっていたかもしれない。


「依頼って何を受けるの?」


「最初は書類整理とかかな。流れに慣れてきたら、体力作りを兼ねて配達とかに移って、最終的には魔物退治にも参加できればと思ってるよ」


「魔物退治かあ……」


 フランの顔が一瞬にして曇った。先日の件を考えれば、無理もない。


「大丈夫だって! 昨日もなんとか倒せただろ?」


 後から聞いた話によると、雉の魔物を捕らえたのはハクの活躍が大きかったらしい。それにより、フランは余計に自信を失ってしまったようだ。


「…… うん。そうだよね。それに、ついて行きたいって言ったのは私なんだから、弱音なんて吐いてられないや」


「そうそう。ま、いざとなったら俺が守ってやるから、大船に乗ったつもりでいろよ!」


「クロは逆に油断しすぎてないかい? 今までは運が良かっただけだと思うべきだよ」


「わかったわかった」


 生返事をしながら歩を進めると、一際目立つ建物の前に到着した。


「ここか?」


「うん。とりあえず、僕とフランで依頼を受注してくるから、クロはここで待っててよ」


「俺は行かなくていいのか?」


「受注するのに、色々聞かれる可能性があるからね。返答に困って、問い詰められたら面倒だろう?」


「そっか。じゃあ任せるよ」


 煩雑であろう手続きを任せて良いというのだから、食い下がる必要はない。二人を見送った後、クロは近くの椅子に腰掛けた。


(…… それにしても、昨日の奴はなんだったんだ?)


 空を仰いで思考を巡らせる。

 昨夜、一行の前に現れた謎の男、ヒョウ。彼はクロについて何か知っている様子だった。


(記憶の手掛かり…… あのときの頭痛にも、なんか関係があんだろうけど)


 ヒョウの言葉を聞いてからの頭痛。それは、屋敷の地下牢で襲ってきた頭痛と同様の症状だった。

 記憶の手掛かりであろう情報を見たり聞いたりすることで発生する痛み。同時に脳裏に浮かぶ謎の映像を鮮明にしようとすると、それは激しくなる。


(あの映像…… 俺の過去だったりするのかな)


 少なくとも、屋敷で目覚めてからの記憶には存在しないものだ。夢や幻の類にも思えない。となればやはり、失われた自身の過去であると考えるのが合理的ではあるが、断定はできない。

 断片的で、もやのかかった映像しか頭に浮かばないのだ。これだけでは推測もままならない。記憶を取り戻すための手掛かりであることに間違いはないのだが────


「なあ、聞いたか? 人攫いの話」


「ああ。最近、この辺りでも出没したとか」


(…… ん?)


 何やら気になる話が聞こえてきた。会話をしているのは二人の男性。姿勢をそのままにして、クロは耳だけを傾ける。


「子供の門限も早めた方が良さそうだな」


「俺たちも油断してらんないぞ? なんでも、近頃の人攫いには手練れがいるらしいからな」


(…… まさか)


 人攫い、手練れ。この二つの言葉だけで、クロにはヒョウが連想できた。この近辺を調査すれば、彼に関連する情報が手に入るかもしれない。


「夜道には気をつけねえとな」


「そうだな」


 男性二人は会話を止め、解散した。


(ヒョウが俺を攫ったってことだよな。いや、でも確かあいつは『運んだ』って言ってたか? じゃあ攫うよう指示を出した奴が他にいる? いやいや、じゃあなんで昨日は俺を連れ戻そうとしなかったんだ……?)


「クロ」


「おわあっ!?」


 背後から声を掛けられ、迷宮入りした思考が一気に現実へと引き戻される。振り返ると、苦笑いをしたハクと、含み笑いをしているフランが立っていた。


「ク、クロ、驚きすぎ……! ぷっ、くくっ……!」


「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど……」


「ハクが謝ることじゃねえよ。ちょっと考え事してたからな。フランは後でしばく」


「なんでさ!? 理不尽!」


 フランがやや大袈裟に嘆く。


「まあまあ。それで、考え事って?」


「…… 最近、この辺りで人攫いが発生してるらしいんだ」


 クロの言葉によって、和気あいあいとした空気が一瞬にして変わった。


「俺がヒョウに攫われたんだとしたら、その人攫いを調べれば、何か手掛かりが掴めるんじゃないかと思って」


「…… 人探しの依頼はいくつかあったよ。文面を見るに、クロの言う人攫いによるものだろうね」


「それなら」


「だけど」


 その依頼を受けよう、というクロの言葉は、ハクによって遮られる。


「もし人攫いに昨日の男、ヒョウが関係しているんだとしたら、僕たちには荷が重い。既に行方不明になっている人を探す以上、交戦する可能性は高いんだよ。無事では済まないどころか、命を落とす危険がある。そんな依頼を受けるわけにはいかない」


「なら、番人とかに協力してもらえば……」


「番人の使命は結界の維持。国家転覆ぐらいの一大事でもない限り、動いてもらうことはできないよ」


「…… わかった」


 誰の助力も得られない以上一人で行くしかないが、自分一人で解決できると思える程クロは馬鹿ではない。そもそも、自分だけでは依頼の受注さえできるかわからないのだから、諦めるしかなかった。


「ごめんね」


 そう謝ったのは、突飛な提案をしたクロでもなけれぱ、それを反対したハクでもなく、フランだった。


「なんでフランが謝るんだよ」


「私が、二人くらい強ければ……」


 消え入る程にか細いフランの声。それは、三人の間に流れる空気をより重くした。


「フランが思ってる程、僕は強くないよ」


「俺だってそうだ。そもそも俺なんか、まだ魔力も使えないんだぜ? そう考えたらフランとどっこいどっこいだって」


「そう、かな……?」


「そうそう! さっ、早く依頼片付けに行こうぜ!」


 クロは強引に話を切り上げて、先へ進もうとする。フランに対し、申し訳なく思っているからだ。自分の言い出したことがきっかけで、彼女を落ち込ませてしまった、と。

 屋敷で出会えた彼女に、彼は感謝している。彼女がいなければ、一人の寂しさを埋めることができないまま、命を落としていたかもしれない。彼女が屋敷に足を運ばなければ、ハクが助けに来ることもなかったはずであるため、その認識はあながち間違っていないだろう。

 だからなるべく、フランには笑っていてほしいと、クロはそう思っているのだ。


「行く場所はわかってるのかい?」


「…… わ、わかりません」


 小刻みに震えながら振り返るクロ。空回ってしまったようだ。


「だろうね」


 ハクは呆れたような笑みを見せる。


「…… あははっ」


 それにつられて、フランも顔を綻ばせた。

 こうだ。やはり、彼女は笑っていなければ。そう思ったクロもまた、表情を緩ませるのだった。

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