第8話「水の証」

「────はっ!?」


 硬く、冷たい感触に目が覚めたクロ。どうにも劣悪な睡眠環境に縁がある。上体を起こして見回すと、ハク、フラン、ヴェロットの三人が、自身と同じように床に座っているのがわかった。


「よし、これで全員起きたな」


 気絶していたのはクロだけではなかったようだが、彼待ちだったらしい。三人は各々の武器の手入れをしていた。


「負けたのか、俺たち……」


 悔しさから拳を握りしめる。

 全力で挑んだ。他の二人も同じだろう。それでも、ヴェロットにはまるで届かず、己の無力さを思い知らされた。


「もう一回!」


 失敗しても、何度でも立ち上がれば良い。クロの言葉は、そう思ったが故に発されたものだった。


「駄目だ」


「な、なんでですか!」


「わざわざもう一回受ける必要がないだろ」


「俺、もっと強くなります! だからもう一度、もう一度だけでも挑戦させてください!」


 食い下がるクロを見て、ヴェロットは大きくため息を吐く。面倒そうに、あるいは呆れたかのように。


「合格してるのになんで試練を受け直すんだよ」


「だって…… え?」


 一瞬、クロの思考が停止した。合格、とヴェロットの口から聞こえたからだ。彼女の表情からして冗談ではなさそうだと判断したものの、聞き間違いだろうかと考えを巡らせる。


「ごうかく?」


「そう、合格だ。早とちりしすぎなんだよ」


 クロはにわかには信じられなかった。それもそのはずだ。先の戦い、三人はまるで歯が立たなかったのだから。醜態を晒したと言っても過言ではない。


「でも俺たち、ヴェロットさんに勝てなかったじゃないですか」


「お前らが束になったところで、アタシに勝てるわけねえだろうが」


「え、ええ……?」


「どんな困難にぶつかっても、諦めずに戦い続ける。それを証明することが今回の試練の突破条件だ」


 クロは腑に落ちなかったが、ハクとフランが受け入れているようだったため、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。


「よし、じゃあ証の譲渡を始めるか。ほら、全員立ちな」


 ヴェロットに促され、三人は腰を上げる。


「指輪をはめてる方の手を出してくれ」


 クロとハクは手の甲を上にして、フランは手の甲を自身の方に向けて腕を伸ばした。ヴェロットが自らの腕を突き出すと、その握り拳が水色の輝きを纏い始める。そしてその光は伸びていき、三人の指輪へと繋がった。


「わあっ……!」


 幻想的な光景に感動したのだろう、フランが声を漏らす。クロは逆に、息を呑んだ。今までにない感覚に、ひどく魅せられたからだ。


「これで完了だ」


 光が消えると同時に、不思議な感覚も終了した。何度か拳を握ってから、クロはヴェロットへと視線を戻す。


「今のは?」


「お前それすら知らねえのか? ハクもちゃんと教えておけよ」


「すみません。知らないことを一気に教えても、困惑させてしまうと思いまして」


 その言葉にため息を返すと、ヴェロットは頭を掻いてからクロの方を向いた。


「試練を突破した証、それを渡したんだよ。証があれば、自分の魔力をその国の結界に運用している魔力と同じ属性に変換できる。この国なら水属性だな」


「じゃあ、俺もさっきのヴェロットさんみたいなことができるようになるんですか?」


「まあ、いずれはできるんじゃねえか? それはお前次第だ。それと、証があれば夜間でも国の出入りができるようになるからな」


「へえ。証が一つあるだけで、随分とできることが広がるんですね」


 自身の指輪をまじまじと見ながら、クロが言葉を返す。触ってみても、振ってみても、先程のような輝きを灯らせることはできなかった。


「それだけ、試練を突破するのは難しいということさ」


「…… でも、本当にいいんですか?」


「なんだよ。いらねえのか?」


「いや、そうじゃないですけど!」


 短いやり取りのなかで、フランは表情をころころと変えていく。


「試練を突破した実感がなくて…… あんな結果だったから、余計に」


 先程は受け入れていたように見えたが、やはり彼女も、結果には納得できていないらしい。


「…… 証ってのはな、何もアタシが独断で譲渡してるわけじゃねえ」


「じゃあ、他に誰が……」


 そう尋ねたのは、クロだ。

 この場には、番人と、試練の挑戦者しかいない。第三者がなんらかの方法で試練の様子を確認し、合否判定を出していたとでも言うのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「魔力だよ。結界に運用している魔力。そいつに認められねえと、証の譲渡はできねえ」


「…… 冗談ですよね?」


「冗談じゃねえよ。魔力には意思が宿る、って昔話で聞いたこと…… あるわけねえか。悪い」


 ヴェロットが手を顔の前に出し、軽く謝った。どうやら、記憶喪失のことを失念していたらしい。ただ、彼女に悪意がないとわかっているため、クロは逆に申し訳なく思えてしまった。


「まあ、人間みたいに明確な考えを持ってるわけじゃないんだが…… とにかく、そういうことだからよ、気にせず持っていけや」


「…… らしいぜ?」


「わ、わかりました!」


 魔力に意思が宿る。

 信じられないと思ったが、そもそも魔力について知ったばかりであるため、クロは深く考えないことにした。


「…… ところでハク、少しいいか?」


「どうしました?」


 ヴェロットに視線を向けられ、ハクは不思議そうに聞き返す。ただ、直後に受けた質問で彼の表情が僅かに硬くなったように見えた。


「お前、一ヶ月前は何してた?」


「…… お師匠様のもとで、修行していましたが」


「……そうか」


「一ヶ月前に何かあったんですか?」


 考えるような表情を浮かべていたヴェロットに対し、フランが尋ねる。


「なんでもねえよ。んなことより、とっとと帰って次の国に試練を受けに行くんだな。ここが初回なら、次はヴィオーノか?」


 頭をぼりぼりと掻きながら、ヴェロットはそう返した。何もないということはないはずだが、詳細を教えるつもりはないらしい。


「はい、そのつもりです」


「アタシはこの部屋軽く掃除してから戻るから、お前ら先に帰んな。道はわかるだろ」


 ヴェロットは振り返り、三人から遠ざかっていく。そんな彼女に、ハクが一歩近づいた。


「ヴェロットさん」


「ん?」


「ありがとうございました!」


 ハクが深々と頭を下げる。他の二人も同様に続いた。


「おう。まあ色々大変だろうが、頑張れよ。お前らなら大丈夫って、アタシは信じてるからな」


 そう言って、にかっと笑う。


「さあ行った行った! 時間は有限だ。励めよガキ共!」


 急かされた三人は、来た道を戻ることにした。三人分の足音が、薄暗い地下階段に響く。


「試練、突破できてよかったな」


「ありがとう。二人のおかげさ」


「そんなことないよ。助けられてばっかりで、全然役に立てなかったし」


「…… それを言ったら、俺だってそうだ」


 ヴェロットが試練で重要視していたのは、どんな逆境でも諦めない心。精神力だ。だからこそ三人は証を得ることができたが、戦闘の内容はお世辞にも褒められるものではなかった。

 もっと、強くならなければ。そう思いながら、クロは拳を固く握りしめる。


「試練はあといくつあるんだ?」


「全部で五つだから、次に受けに行くヴィオーノを入れて、残り四つかな」


「大変そうだな……」


 他人事のように、クロはそう呟いた。それもそのはず。今回は流れで受けることになってしまったが、本来なら彼は試練を受ける必要がないのだ。


「次の試練もすぐに突破して、アイアに行けるようにするよ」


 現状、アイアにいるらしいハクのお師匠様とやらに会う以外、記憶の手掛かりを掴む算段はない。彼はそれを気にしているらしかった。


「俺の都合は気にすることねえけど…… 必要なら、いつでも力を貸すぜ」


「もちろん私もね!」


「二人とも…… ありがとう。そのときは、頼むよ」


 先程の戦いで、絆がより深まったようだ。かくして、三人は水の国マクアの試練を突破し、証を手に入れたのだった。

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