第7話「水の試練」
「よっ、待ってたぜ」
試練当日。約束の教会前にて、クロ、ハク、フランの三人はアキューと合流した。
「おはようございます」
「ほら、証の指輪だ」
ハクのものと全く同じ指輪が、クロとフランに手渡される。二人は感謝を述べてからまじまじとそれを眺めた。
「用件も済んだし、俺は帰る。試練頑張れよ」
「はい。ありがとうございました」
「おお」
短い返事の後、アキューは足早に去っていく。王子だけあって忙しいのだろう。それでも快く指輪を用意してくれたのだから、やはり感謝してもしきれないというものだ。
「んー……」
「どうかしたのかい?」
指輪を凝視して唸るフラン。ハクが心配そうに顔を覗いた。
「大きさが合わない」
「ああ、採寸したわけじゃなかったからね。指輪をはめて、そこに魔力を込めてごらん」
「…… おおっ」
フランの右手。その小指にはめられた指輪が、適した大きさに収縮した。
「なんでもありなのな、魔力って……」
「クロはどうだい?」
「俺はぴったりだから大丈夫だ」
辛うじて親指に、だが。クロはその左手を見せて得意げな笑みを浮かべる。
「それじゃ行こうか」
教会の重厚な扉。ハクは緊張を和らげるかのように一度深呼吸してから、目の前のそれをゆっくりと開いた。
「お、来たか」
椅子に座っていた、というよりふんぞり返っていたヴェロットが、一行の方へと顔を向ける。
「今日はよろしくお願いします」
「ああ」
さすがに教会の中だからか、ヴェロットは先日のような露出の多い服装ではなく、神官や聖職者が所持していそうな青色の服を上から着用していた。
「かっこいい……」
フランが言葉を漏らす。出身地の番人ともなれば、その分憧れも強いのだろうか、とクロは考えを巡らせた。
「とりあえず地下に行くぞ。ここを派手に荒らしたら神父のじじいがうるせえからな…… ついてきな」
返事を待たずに、ヴェロットは角にある扉を開けて進んでいく。三人もその後に続き、階段で地下へと向かった。
「────着いたぜ」
数分程度で、広々とした空間に辿り着く。奥の方に幅の広い水路が通っていて、それを越えたあたりに一本の大槍が刺さっていた。
「それで、試練の内容はいったい?」
「杖に剣に弓。そこまで準備してんなら、薄々勘づいてるんじゃねえのか?」
中央で立ち止まり、ヴェロットは振り返る。
「アタシと戦うことだ」
「いやいやいや! 無理ですって!」
フランが真っ先に諦めの言葉を声に出した。
「おいおい、よく考えてもみろ。一対三、おまけにアタシは素手だ。ここまでやって弱音を吐かれるとこっちも参っちまうぜ」
ヴェロットは両手を上げて仰々しくため息を吐く。どうやら、奥にある大槍を使う気はないようだ。
「どうする? 尻尾巻いて逃げ帰るか?」
「まさか。始まる前から逃げ出したのではお師匠様に顔向けできませんよ」
「わ、私も! 絶対に試練を突破して、ハクにも認めてもらわなきゃいけないから!」
「俺も、木剣代稼がなきゃなりませんし」
「金稼ぎって…… まあいいか」
三人の返事を聞いて、ヴェロットは満足げな笑みを浮かべた。
「…… 来いよ。相手してやる」
指で挑発するヴェロット。余裕の表れだろう。
「先手必勝!」
クロが先陣を切った。木剣を大きく振りかぶって、相手に斬りかかる。
だが。
「なっ!?」
「軽い剣だな」
木剣はヴェロットの左手に掴まれ、全く動かなくなってしまった。刃がないからこそできる芸当だが、それにしても筋力差がありすぎる。クロが両腕に全力を込めても、相手の片腕以下の力でしかないことが証明された。
「真剣だったらどうするんですか……!」
「お前じゃアタシは斬れねえよ」
「なら……」
木剣を放し、その場に屈むクロ。そして、右の拳をヴェロットの腹部に思い切り打ち込んだ。
「硬っ!?」
あまりの痛みに、クロは思わず手を引っ込める。
金属のような硬度だったが、感触からして、衣服の内側に細工がされているわけではなさそうだ。恐らくは、鍛え抜かれた腹筋によるものなのだろう。
「拳ってのは……」
ヴェロットは自身の後方に木剣を放り投げた後、拳を引いて握りしめた。
「こう打つんだよ!」
クロの顔面に、強烈な一撃。彼の体は大きく吹き飛ばされた。戦闘開始時の位置に戻る形となったが、残りの二人は既にそこにはいない。
フランとハクはそれぞれ左右に分かれて走りながら、ヴェロットから距離を取っていた。
「『ブライトライト』!」
「あん?」
ハクの言葉に反応したヴェロットのもとに、光の球体が揺らめきながら飛んでいく。彼女の間合いへ入る前にその球体は弾け、より一層強い輝きを放った。
目眩し。彼女は顔を手で押さえているが、動きが止まっている。有効だったようだ。
「この魔力…… 間違いない。あのときのは、お前だったのか」
ヴェロットが、何やら呟いていた。
その隙にフランが魔力の矢を射る。移動しながらであるために連射の速度は遅いが、一本一本を的確に命中させていた。元々、連射より狙い撃ちの方が得意なのだろう。相手の肉体を射抜く程の威力はないものの、動きを牽制することができているようだ。
ハクもまた、次なる一手を打ち始めていた。少し移動してから杖の先端を相手へと向け、そこに魔法陣を展開する。
ただ、目を封じられたはずのヴェロットは、真っ直ぐ彼の方へと向かっていた。
「な……!」
「空気や魔力の流れ。それに僅かな音。目が見えなくなろうと、位置捕捉の方法なんざいくらでもあんだよ!」
「くっ」
ハクから魔法らしき光が放たれるが、ヴェロットはものともしない。移動速度を落とすことなく彼の身を掴むと、勢い良く放り投げて反対側の壁に叩きつける。
「ハク!」
「次はお前だ」
フランが驚いている間に、ヴェロットは彼女に接近していた。
恐怖から目を閉じてしまった少女に対し、容赦なく右の拳が振るわれる────かと思われたが。
「あうっ」
フランの額が、指で弾かれる。その微弱な衝撃により、彼女は尻餅をつかされた。
「…… 殺気が消せてないぜ!」
木剣を拾い直したクロが背後からヴェロットに斬りかかるが、またも掴まれる。
「そうそう、今度はちゃんと掴んでおけ、よっと!」
木剣ごと、クロは放り投げられた。大きな音を立てながら、水路の中に落ちる。
足がつかない程度には、水位が深かった。彼は冷たさを全身で感じながら、どんどん落ちていく。
(早く、戻らないと……!)
だが、ただ戻ってもどうにもならない。彼の頭には、同時にそのような思いも浮かんでいた。三人がかりでも正面突破はできない程に、ヴェロットとの実力差が大きいのだ。
(どうすれば……)
水面に戻りながら、考える。どうすれば、強大な相手に一矢報いることができるかを。
(…… ん?)
顔を出した彼が最初に目にしたのは、大槍だった。
水色の柄に、黄金の刃。煌びやかな装飾。
武器の類に詳しくないクロでも、それがそうお目にかかれるものではない代物だと理解することに、時間はかからなかった。
これを使えば、あるいは。
(…… やってみるか)
水路から上がって大槍の方へと近づき、それを掴む。
四人のうち、最も身長の高いヴェロットよりも大きな槍だ。彼女に力負けするクロが持ち上げられるはずはないのだが。
「ぐぬぬぬぬ…… ぬああああっ!」
雄叫びを上げながら、クロは大槍を引き抜く。小柄な体格に不相応なその武器を構え、更にはそれなりに幅の広い水路を飛び越えてみせた。
「お前、どこにそんな力があんだよ!」
そう言って向かってくるヴェロットに対し、クロは叫びながら大槍を振るう。だが、相手の瞬発力は凄まじく、槍の柄よりも先に彼女の拳が彼の頭部に打ち込まれた。
「ぐぬぬぬぬ…… があっ!」
クロは倒れず、一歩引いてから無理やり大槍の柄を命中させてヴェロットの身を吹き飛ばす。
彼女は両足と片腕による地面との摩擦で急停止した。そしてすぐ反撃の体制を取って、やめる。
彼が大槍を落として、地に膝をついたからだろう。これ以上、戦うことはできないと判断したらしい。
他の二人も、倒れてしまっている。体力の限界なのだ。圧倒的格上相手に、よく持った方かもしれない。
だが、彼が大槍を握り直せないのには、体力の消耗以外に別の理由があった。
(腕の感覚が、『持ってかれた』)
屋敷で魔物の攻撃を受け止めたときと同じ、いや、それよりも酷い症状が現れたのだ。
大槍を持ち上げてすぐに、症状は発生していた。そのときはただの違和感に過ぎなかったが、それを一振りした瞬間、腕の感覚が完全になくなってしまったのだ。
にもかかわらず、依然として大槍を握り続ける自身の腕を見て、クロは恐ろしくなった。
これ以上は、駄目だ。
そう感じ、大槍を放すよう、強く念じた。幸い、腕の感覚はすぐに戻ってきたが、感じた恐怖は未だ健在だ。
疲労も蓄積している。そんな状態で立ち上がることは、彼にはできなかった。
「もう終わりか?」
「…… まだだ」
立ち上がったのは、ハクだ。
杖を握りしめながら、力強い眼差しをヴェロットに向けている。彼の眼はまだ、死んでいない。
「どうして諦めない」
茶化すわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、ヴェロットが真顔でそう尋ねた。
「…… それが、僕の使命だから」
彼の言葉が何を指しているのか、クロにはわからない。
試練に挑むのはお師匠様の言いつけだからだと、ハクは語っていた。だが、彼なりに何か背負っているものがあるのだろう。
負けられない、理由が。
(情けねえな、俺)
重い体を起こそうと、クロはなんとか力を振り絞る。ふらつきながらも、彼は立ち上がった。
「…… 諦めたら、かっこ悪いよな」
満身創痍となっても尚、勝利への執念を見せるハクに、クロは勇気づけられたのだ。それをそのまま言葉にすることは恥ずかしいと思い、軽口を叩いてしまったが。
「…… 私も、まだ」
そんな二人につられるようにして、フランも立ち上がった。
諦めの悪い、三人の少年少女。それを見て何を思ったか、ヴェロットが手を叩く。
「よし、試練はここまで!」
「…… は? 俺たちは、まだ!」
「あー、うるせえうるせえ」
わざとらしく、ヴェロットは自身の耳を手で押さえた。
「で、でも!」
「よしわかった。それじゃあほんの少し、ほんのすこーしだけ本気見せてやる。それで本当に終いだ」
ヴェロットが左腕を上げると、その掌の先に魔法陣が展開される。空気の震えが、クロは肌から感じられた。
彼女は水を生成しながら、更に水路のそれをも取り込んで、激流を作り出す。
「アタシの世界で、眠りな」
振り下ろされる腕を見たのが最後、クロは意識を手放した。
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