第6話「木剣と老婆」
「ふんふんふふーん」
鼻歌を歌いながら、マクアの街を歩くクロ。その手には木剣が握られていた。
「振り回したら駄目だよ? 危ないからね」
「わかってるって」
クロの隣を歩きながら注意したのは、ハクだ。試練の日程を決めた翌日、二人はある物を買いに街へと繰り出していた。
それが、木剣。
屋敷で拾った剣は刃が折れていて使い物にならない。試練の内容に戦闘が含まれていたときのために備えて、クロの武器を新調したのだ。
フランは家の手伝いをするらしく、この場にはいない。二人で出かける旨を伝えると、案外あっさりと了承していた。自国の結界内には大して興味がないのかもしれない。
「代金はちゃんと返すから、心配すんなよ」
「…… そのくらいなら、気にしなくてもいいけどね」
木剣の購入代金はハクが負担した。クロが通貨の類を持っているはずもなく、かと言ってフランの両親に援助を申し出るわけにもいかないため、それしか手がなかったのだ。
「駄目だ駄目だ。こういうのはちゃんとしておかないと」
幸い、ハクは嫌な顔一つせず代金を出してくれた。だが、それに甘えてばかりでは良くないとクロは考えている。記憶がなくとも、最低限の常識は理解できているのだ。
「…… でも、お金を稼ぐ当てはないでしょ?」
「うっ」
図星だった。
十代の子供が賃金を得る方法などあるのだろうか。ない可能性の方がどう考えても高い。そのことに気づき、クロは今頃になって焦り始めた。
「ごめんごめん、冗談だよ」
クロの慌てる様を見て、ハクがくすりと笑ってからそう告げる。
「次訪れる国に、個人で依頼を受注できる場所があるんだ。僕もそこで旅の資金を調達するつもりだったから、一緒に行こう」
「次の国…… ヴィオーノって言ったっけか。それって、子供でも大丈夫なのか?」
「成人していることが望ましいけど、試練を乗り越えていれば年齢は関係なく受けられるはずさ」
「なるほど」
これで、試練を突破しなければならない理由がクロ個人にも発生した。もっとも、試練を受けなければ、木剣を調達する必要もなかったのだが。
「…… ごめん。少し寄り道をしてもいいかな?」
「うん? 別にいいけど……」
その理由を尋ねる前に、ハクは遠くへ行ってしまった。仕方なく、クロも後を追いかける。
二人が向かった先には、一人の老婆がいた。彼らより一回りも二回りも小さいその体で、多くの荷物が詰められているであろう風呂敷を背負い、懸命に歩んでいる。だが、足腰が悪いのかちっとも前に進まず、左右にふらついていた。
「お婆さん」
ハクは正面に回り込んでから、老婆へと話しかける。死角から声をかけて驚かせることを危惧したのだろう。一応、何があってもいいように、支えに行ける準備をクロはしていたが、その必要はなかった。
「私に何か用かい?」
老婆の返事は穏やかだ。クロも同様に回り込むと、彼女のにこやかな表情が確認できた。過度に驚いたり、気分を害したりはしていないらしい。
「荷物、大変そうですね。どちらまで向かわれるんですか?」
「買い出しから家に戻る途中だよ。大して遠くはないんだけど、ちょっと買い込みすぎちゃってねえ」
「良ければ、荷物をお持ちしますよ」
「本当かい? でも、迷惑だろう?」
「いえ、暇を持て余していたので」
「じゃあ、甘えちゃおうかねえ」
ハクは巧みに話を進め、老婆の荷物を代わりに背負った。彼と比較しても尚、風呂敷は大きく見える。
「…… 手伝うか?」
片手に木剣を握っているせいで、手伝えることなどほとんどないだろうということはクロ自身わかっていたが、それでも、聞いた方がいいような気がしたのだ。
「いや、大丈夫。お婆さんのことを見ていて」
荷物を下ろしたというのに、老婆は変わらず前傾姿勢のまま腰を後ろに突き出していた。本格的に足腰が悪いらしい。普通に歩いていても、転倒する恐れがあった。
あまり過度に気遣うのも失礼かもしれないが、躓きそうな箇所を事前に確認し、誘導するぐらいはしてもいいだろう。そう考えたクロは老婆の左側、その半歩前を進みながら、彼女の様子を見守ることにする。
「この近くにお住まいなんですか?」
歩き始めてから、ハクが尋ねた。荷物が重そうだが、彼は先を急ぐことなく老婆に歩幅を合わせている。
「そうよ。道なりに進んで、五つ目の角を右に曲がってすぐのとこ」
「近いんですね」
この通りで、横に広い建物はそうなかった。曲がり角がはっきりと目視できる程近くはないが、歩けない距離でもない。
「だけど、荷物が重くて全く進めなくてねえ。本当、助かるわ」
「いえ、お気になさらず」
「…… あら? その指輪」
振り向いたハクの手元を見て、老婆は彼が指輪をはめていることに気づいたらしい。
「あなた、試練を受けるの?」
「ええ」
「懐かしいわあ。私のお兄さんも、試練に挑んだことがあったのよ」
「そうなんですか?」
「あの人、才能だけは無駄にあったからねえ。珍しい属性の魔力を宿していたらしいわよ。確か…… 氷属性だったかしら」
属性。魔力にはそのような分類があるらしい。クロはまた一つ賢くなった。ハクに詳細を聞きたいと思ったものの、話の腰を折るわけにもいかないだろうと判断し、後回しにする。
「実力は示せたみたいだけど、態度が生意気だったせいで番人に認めてもらえなかったって聞いたわね」
「へえ」
強いからといって、試練を突破できるとは限らないようだ。ハクの予想どおり、精神力も合否判定の基準になるらしい。
「その人は今どこに?」
実際に試練を受けた人物の話を直接聞きたいと思い、クロはそう尋ねた。
「試練の後、旅に出てから帰ってきてないから…… もう死んでてもおかしくないわねえ」
「…… ごめんなさい」
聞いてはいけないことを聞いてしまったと激しく後悔し、即座に謝罪する。そんなクロの様子がおかしかったのか、老婆は声を上げて笑い始めた。
「気にしなくていいわよ。昔のことだもの」
「すみません。友人が、とんだご無礼を」
「まだ若いのに、しっかりしてるのねえ。あなたたちの爪の垢を煎じて、孫に飲ませてやりたいくらいだよ」
たった今、粗相をしたばかりだが、皮肉ではなさそうだ。
「お孫さんがいらっしゃるんですか?」
「ええ。歳はあなたたちよりも少し上だと思うんだけど、これがまた生意気に育っちゃって────」
そこからしばらく、老婆による愚痴が続いた。クロにとって興味のない話だったが、ハクはそれを笑って聞いている。さすがにずっと黙っているわけにもいかないため、クロも時折相槌を打つようにした。
「────本当、困っちゃうわよねえ」
「…… お孫さんのこと、嫌いなんですか?」
老婆の話が一段落ついたところを見計らい、クロが口を開く。
「そんなわけないだろう。どれだけ生意気でも、可愛いに決まってるさ。家族だもの」
老婆はそう言い切ったが、直後にその表情が曇った。
「でも、あの子はどう思っているかわからないねえ。私、つい口うるさくなっちゃうから……」
「…… あなたがそうであるように、お孫さんもまた、お婆さんのことを大切に思っているはずですよ」
「そうだといいねえ」
ハクの言葉に頷いた後、老婆が立ち止まる。先程言っていた角を曲がって、すぐのことだった。
「ここで大丈夫だよ」
「わかりました」
ハクが老婆に荷物を返す。落とさないよう、慎重に。クロも一旦、木剣を地面に置いてそれを手伝った。
「本当にありがとうねえ」
「いえ。当然のことをしたまでです」
「こんな老いぼれの話に付き合ってくれる子も、最近は少ないからねえ。久しぶりに楽しかったよ」
「喜んでもらえて何よりです。それでは」
「お孫さんと仲良くしてくださいね!」
「ふふふ。ありがとうねえ」
ハクが会釈をし、クロは木剣を拾いつつもう片方の手を振る。老婆が家の中に入ったことを確認してから、二人も歩き始めた。
来た道を引き返しながら、クロは先程の会話を思い出す。
『どれだけ生意気でも、可愛いに決まってるさ。家族だもの』
(俺にも、きっと……)
自分のことを心配してくれる人。
帰りを待ってくれている人。
フランの両親を見たことで、自分にもそんな存在がいるのかもしれないと考え始めていたが、今回の件を経て、更にその思いは強くなった。
(早く記憶を取り戻して、帰らないと)
きっと、自身の帰りを待ち侘びている人がいるはずだ。そう信じ、クロは決意を新たにする。
「それにしても、率先して人助けなんて、ハクも人がいいよな」
冗談めかして言ったそれが、拾われることはなかった。
悪意のある無視ではないらしい。ハクの視線は下がっていて、何か別のことを考えているようだった。
「…… ハク?」
「え? ああ、ごめん。なんだっけ?」
「いや、大した話じゃないけど…… 大丈夫か?」
「うん。ちょっとぼーっとしちゃって」
「ふうん」
試練が控えているため、緊張しているのかもしれない。そうでなかったとしても、別段、問い詰める必要もないだろうと思い、クロはそれ以上聞かず、そのまま歩幅を合わせながらハクと共に帰るのだった。
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