第4話「家族」

「────クロ、起きて、クロ!」


「ほげっ!?」


 暗闇の世界から、クロの意識はいきなり引きずり出された。慌てて頭ごと視線を動かし、事態の把握を試みる。


「おはよう。もう着いたよ」


 ハクから、爽やかな笑みでそう告げられた。どうやらクロは寝てしまったらしい。


「クロもまだまだ子供だね」


「フランは他人のこと言えねえだろ」


 寝ぼけ眼を擦りながら悪態をつく。フランはクロよりも先に目を覚ましていたようだ。

 荷物を纏めて、一行は客車を降りる。


「ところで、フランの家ってどこだ?」


「そこの角を左に曲がって、少し歩いたとこだよ」


 そう返すフランの顔は、少し曇っているようだった。先導する彼女の足取りが重くなっているようで、それにならって二人の歩みも遅くなる。


「ようやく家だってのに辛気臭い顔すんなよ」


「パパもママも、怒ってるんじゃないかと思って」


「怒るだろうね。でもそれは、君のことを愛しているからさ。愛しているから、心配するし、危険な場所に自ら行ったら怒るんだよ」


「……そっか」


「恩着せがましくするつもりはないけど、僕がいなければ死んでたっておかしくはないんだ。もっと、自分の身を大切にした方がいい。君を心配してくれる人のためにもね」


「…… うん。ありがとう! ちょっと元気出た」


 そうして、三人はとある一軒家の前に辿り着いた。きちんと手入れがされているのか、汚れ一つない綺麗な外観の家だ。


「ここが、フランの家か?」


「そう」


 ふう、と息を吐いてから、フランが扉を叩く。その扉はすぐに開かれた。中から現れたのは、おっとりした顔の女性。


「フランちゃん!」


「た、ただいま……」


 女性は目を大きく見開いて固まったかと思うと、いきなりフランに抱きついた。


「心配したのよ、もう!」


「ごめんなさい、ママ……」


 フランの母親は大粒の涙を流しながら愛娘を抱きしめ続ける。それにつられてかフランも目に涙を浮かべた。


(子供の心配をしない親なんて、いないよな)


 親子の再会を見届け、ふと思う。

 自分も、誰かを待たせているのではないかと。

 いや、違う。

 自分にもそんな存在がいてほしいと、クロはそう願ったのだ。


「…… これ、俺たちお邪魔なんじゃん?」


「そんな気がするね」


 感傷に浸っている場合ではない。親子水入らずという言葉もある。

 クロとハクは小声でやり取りし、足音を立てずにその場を去ろうとしたが。


「ああ待って待って!」


 気づいたらしいフランの母親に大声で引き止められてしまった。無視するわけにもいかず、二人は振り返る。


「フランちゃんを助けてくれたのはあなたたちでしょ? お礼をさせて」


「いえ、お構いなく……」


「さあさあ、お昼には少し早いけど、張り切っちゃうわよぉ!」


「え、いや、あの……」


 ハクの返事など聞こえていないかのように、意気揚々と家の中へと戻っていってしまった。


「上がってって。ママ、ああなると人の話聞かないから」


 フランもまた、家の中へと消えていく。


「ええ……」


「じゃ、上がらせてもらおうぜ。ちょうど腹減ってきたとこだったからな」


 変わり身の早いクロ。手を頭の後ろに組んで呑気にフラン宅へと向かっていく。彼を呆れたような表情で見ながら、ハクも渋々といった様子で続いた。


「────改めて、娘を助けてくれてありがとう。何かお礼ができれば良いのだが」


 丸眼鏡をかけ、物腰の柔らかそうな雰囲気を醸し出している男性が口を開く。フランの父親だ。


「いえ、お気になさらずに。こちらこそ、美味しい食事をありがとうございます」


 一同は食卓を囲んでいる。マクアではお馴染みだと言われている魚料理に、クロは舌鼓を打たされた。


「うっま! これめちゃくちゃ美味しいですね!」


「いい食べっぷりねえ。作ったかいがあるわあ。本当は、生で食べるのが主流なんだけど…… フランちゃん、生魚が苦手だから」


「へえ、どうしてだ?」


「いや、なんか生臭くない?」


「僕は気にしたことないかな」


 一同はそのまましばらく食事と談笑を楽しんでいたが、話題の切れ目、一瞬の静寂を見逃さずに、彼女が口を開いた。


「あの!」


 声を上げたフランに、視線が集中する。


「どうした?」


 他の三人を代表してフランの父親が問いかけた。


「みんなに散々迷惑かけておいて、こんなこと言うのは身勝手だって思うけど……」


 一度、大きく息を吸い込むフラン。そして、覚悟を決めたような表情で、こう言った。


「私、この二人と一緒に旅に出たい!」


「んぐっ!?」


 思いもよらぬ一言で、クロは食べ物を喉に詰まらせる。隣に座っているハクが即座に背中を叩いたことで、一大事にはならなかった。


「世界中のお花たちを、この眼で見てみたいの! ううん、見るだけじゃない。匂いを、手触りを、そこに流れる風を、花の全てを感じたい!」


 そう語るフランの眼は真っ直ぐで、決意が固いのは一目瞭然だ。


「駄目だよ」


 誰よりも速く、ハクが拒否した。食事の手を止め、彼はフランの方を見る。


「僕は遊びに行くわけじゃない。クロだって、記憶の手掛かりさえ見つかれば別れるつもりだ。それに、これから先、危険な戦いがあるかもしれないんだ。そんななか、君を守りながら進む余裕はないよ」


「自分の身は自分で……!」


 フランは言い淀んだ。先の魔物の件で、己の身を守れていなかったからだろう。どんなに豪語したところで、その事実によって淘汰されてしまう。

 二人の話を聞きながら、クロは食事を続けていた。


「私も反対だ」


「パパ……」


 フランの父親も手を止め、ハク同様、娘の方を見る。

 クロは尚も食事を続けた。


「だが、それと同時に我が子の願いを尊重したいとも考えている」


 言いながら、視線をハクの方へと移す。


「どうだろう。ハク君さえ良ければ、娘を同行させてやってはくれないだろうか」


「先程も申し上げましたが、僕は反対です」


「何も、無条件でとは言わないよ。君は試練を受けるんだろう? その試練をフランにも受けさせて、突破できたら、どうかな?」


 ハクは口元に手を当てて考え始めた。どうやら癖のようだ。

 さすがにまずいかと思いつつも、クロは食事を続ける。フランの母親も手を止めているため、食べているのは彼だけだ。


「…… わかりました。それなら、お引き受けしましょう」


「本当!?」


「うん」


「んぐっ!?」


 クロの脇腹に、ハクが肘打ちをした。空気を読めとのことらしい。ハクによる無言の圧力が向けられたが、終始笑顔で見つめてきていたフランの母親が、彼は何より恐ろしく感じられた。


「でも、フランだけが突破できなかったら、そのときは置いていくからね」


「わかった! よし、頑張るぞー!」


 フランは再び食事に専念する。努力の前にまず栄養を、ということなのだろう。他の四人も食器を持ち直した。


「すまないね、ハク君。迷惑をかけてばかりで」


「いえ。しかし良いのですか? 僕が言うのもなんですが、年頃の娘さんを、同年代の男子に同行させるなんて」


「勝手に一人で出て行かれるよりはいいさ。それに、ハク君とクロ君が娘を傷つけるようなことはないだろう。こう見えて、人を見る目には自信があるんだ。自由に、楽しくやってくれればいい」


「あらあら、別に色恋沙汰になっても構わないわよ。ちょうど息子が欲しいと思ってたところだから」


「ぶふうっ!?」


 驚きからか、フランが口内の食べ物を噴き出す。


「ちょっとママ! 変なこと言わないでよ!」


「まったく、はしたないわね」


「はしたないのはママの方でしょ、もう……」


 汚した辺りを掃除してから、フランは料理の残りを食べ終えた。他の四人もほぼ同時に食べ終え、フランの母親が手際良く後片付けをしていく。


「そうだ、この国にいる間はこの家で寝泊まりするといい。宿屋代も馬鹿にならないだろう」


「良いのですか? 僕たちとしては助かりますが……」


「私たちにはそれくらいしかできないからね。せめてものお礼さ」


「ありがとうございます」


 ハクは笑みを浮かべながら礼を述べた。それに続いてクロも頭を下げる。


「さて、僕たちはそろそろ出ますね」


「まだゆっくりしていけばいいのに」


「今日中には用事が片付かないと思うので、また夜にお邪魔します」


「そうなの? じゃあ楽しみに待ってるわね」


 食器を手に持ちながら向けられる、微笑み。それを受けた三人は手早く荷物を纏め、フラン宅を後にするのだった。

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