第3話「マクア」

「そういえば、ハクの用事ってなんなんだ?」


 屋敷から脱出した翌日、マクアを目指す道すがらにクロが切り出す。


「僕はね、試練を受けに来たんだ」


「試練を受けるの? すごい!」


 どうやらフランは試練について知っているようだ。


「試練ってなんだ?」


「簡単に言うと、力試しさ」


「でも、なんで試練を受けることになったの? 普通、大人が受けるものだよね? ハクは私と同じくらいの年齢でしょ?」


 多少の身長差はあれど、三人とも歳はそう離れていなそうだった。ちなみに背が高い順からハク、クロ、フランである。もっとも、クロとフランはほとんど同じであるが。


「お師匠様の言いつけでね。各国の試練を突破して一人前の魔導士になれって」


「具体的には何をするんだ?」


「結界の管理をしている人、番人って呼ばれているんだけどね、その人に会ってみないことにはわからないんだ。お師匠様も詳しくは教えてくださらなかったし」


「私知ってるよ!」


 フランが自慢げにそう言った。確かに、マクア出身の彼女なら知っていてもおかしくはない。


「受ける人によって違うみたい。魔物退治だったり、何かの捜索だったり」


「力試しって言うくらいなら、やっぱ戦うんじゃねえの?」


「精神力とかも測られるだろうから、一概にそうとも言い切れないかもしれないよ。まあ、それはこれから確認すればいいさ…… 着いたよ」


 いつの間にか、目の前にのどかな風景が広がっていた。張り巡らされた水路の上を小舟が進んでいる。水の音と、微かに吹く風から生み出される穏やかな雰囲気が、クロの心を落ち着けてくれた。


「水の国ってだけあって、綺麗な水だなあ」


 クロは近くの水面に顔を近づける。そのまま飲んでしまっても問題ないのではないかと思う程に、透き通った水だった。


「おや? ハク君じゃないか! それにフランちゃんも」


 声がかけられ、三人は一斉に振り向く。視線の先には、初老の男性が立っていた。


「あ、お茶屋のおじさん!」


 どうやら知り合いのようだ。

 クロは二人の後を追い、男性に近づく。


「二人とも、無事だったんだねえ。いやはや、良かった良かった」


「あれ? ハクとおじさんは知り合いなんですか?」


「会ったのは昨日が初めてだよ。フランちゃんが屋敷に向かってったことを近所の人たちと心配していたら、たまたま通りかかったハク君が相談に乗ってくれてねえ」


「そうだったんだ…… わざわざありがとね、ハク」


「当然のことをしたまでだよ」


 ハクはフランを連れ戻しに屋敷を訪れただけで、特別あの場所に用事があったわけではなさそうだ。もし彼が男性の話を聞いていなかったらと考え、クロはぞっとする。


「おじさまが教えてくださったおかげで、なんとか間に合いました」


「元気そうで安心したよ…… おや、そっちの坊やは見ない顔だね。お友達かい?」


「ええ。そんなところです」


「初めまして。クロって言います」


「クロ君か。私はそこの茶屋の店主だよ。良かったら、時間があるときにでも寄っていってね」


 男性はそう言って、自身の店を指差した。行列こそできていないが、ちらほらと人が出入りしているのが見える。それなりに繁盛しているようだ。


「そうだ、フランちゃん。親御さんも心配しているはずだから、早く顔を見せに行ってあげなさい」


「わかりました!」


 会話を手短に済ませ、男性は店の中へと戻っていった。


「フランの家はどの辺りにあるんだい?」


「西の方だよ」


「それなら、転移魔法陣を使った方が良さそうだね」


「転移魔法陣?」


「長距離移動が必要なときに使うものだよ。いくつか設置場所があるんだけど、その地点へ転移…… 一瞬で移動ができるんだ」


「へえ、便利だな」


 別の大陸にあるらしいアイアへ、何故すぐに行けるのだろうとクロは疑問に思っていたが、どうやらこれが理由のようだ。


「結界の中から外への転移は可能でも、その逆ができなかったり、色々と制約はあるけどね」


「結界の外…… 昨日泊まった集落にもあったりするのか?」


「うん。旅の途中で、使うことがあるかもね…… さて、設置場所はこっちだよ」


 ハクに続いて街を歩く。

 目的の場所に着くのに、そう時間はかからなかった。

 周囲の建物の四、五倍はありそうな敷地面積を誇る建造物の中に、三人は足を踏み入れる。


「人多っ」


 中は多くの人でごった返していた。利用客であろう人々の会話が、至る所から聞こえてくる。その喧騒に負けぬよう、係員と見られる人々は声を張り上げて案内をしていた。


「西に向かうのはこっちだね」


「クロ、はぐれないでよ」


「フランのが心配なんですけど」


「な、なにおう!」


 軽口を叩き合いながら歩いていく。ある程度進むと、係員による誘導のおかげで、人の多さの割に移動に手間取らなかった。

 流れが止まってクロの目に映ったのは、床に描かれた一つの絵のようなもの。


「あの床に描かれているのが魔法陣だよ。あれで魔法を使って、他の設置場所まで転移するんだ」


「便利なもんがあるんだなあ」


「これは余談だけど、魔法陣は魔法を使うための手段の一つで、転移以外にも色々なことができるんだ。クロも、魔法が使えるようになったら試してみるといいよ」


 ハクに料金を支払ってもらい、魔法陣の上まで進む。三人以外にも、多くの人々が魔法陣の中へと乗り込んでいた。その数、およそ数十人といったところか。


「ただ今より、転移を開始致します! 危険ですので、魔法陣の外周部から離れてください!」


 係員による注意。もう一度、同じ言葉が繰り返された。


「これ、危険なのか?」


「指示に従わなければ、ね」


「具体的に言うと?」


「…… 魔法陣の中に中途半端に入ると、その部分だけ体が欠損する」


「はあっ!?」


 予想していた以上の危険があると知ったことでクロは大声を上げてしまい、近くにいた人々の視線を集める。頭を下げてから、もう一度ハクの方へと向き直った。


「冗談じゃ、ないんだよな?」


「危険を察知したら魔法が発動しない仕組みになってるから、基本的には大丈夫なはずだけどね。まあ、普通に利用している分には問題ないさ」


「そっか…… ん?」


 足下から光が放たれていることに気づき、クロは視線を落とす。床の魔法陣が輝き始めていた。


「さあ、いよいよ転移だ」


 光は次第に輝きを増し、クロの視界を完全に塞いだ。


「…… 着いたよ」


 輝きが消えてから数秒といったところか。ハクに声をかけられ、眩しさによって閉じていた瞼を開く。 


「…… ん?」


 景色はほとんど変わっていなかった。てっきり、もっと別の空間が広がっているのかと思っていたため、クロは拍子抜けした。


「本当に転移できたのか?」


「外に出ればわかるさ」


「クロ、絶対びっくりしちゃうよ!」


「ふーん」


 係員の案内に従って進む。微細な違いはあるが、構造は先程の場所とそう変わらないため、転移したという実感は未だに湧かない。


「さて、外だ」


 出口から外の景色の一部が見えてきた。


「クロ、先に出てごらん」


 ハクに先を譲られ、意図がよくわからないまま言われたとおり建物を出る。


「おお!」


 建物に入る前に広がっていた景色とは、まるで別のものが広がっていた。街の雰囲気はそう変わらないが、どの建物も先程まではなかったはずだ。それに気づいたクロは、感動を覚えた。


「どう? これが転移魔法陣の凄さだよ!」


 何故かフランが自慢げにしているが、それが気にならない程クロは興奮している。


「すげえ…… やっぱ魔法ってすげえんだな」


 感情の昂ぶりによって、語彙力が低下していた。

 早く魔法を使えるようになりたい。そんな願望をクロは募らせる。


「ここからは馬車で向かおうか。あそこにいるみたいだしね」


 ちょうど、すぐ近くで馬車が待機していた。フランが御者に大まかな目的地を伝えた後、ハクが運賃を払い、客車に乗り込む。


「さすがに、どこもかしこも転移魔法陣ってわけにはいかないんだな」


「設置場所は限られているからね。あまり多くても維持費が大変だろうし、仕方ないよ」


 そう言ってから、ハクは自身の布袋から二枚の紙を取り出した。


「なんだそれ?」


「地図だよ。見てみるかい?」


「ああ」


 覗き込むようにして、ハクの持っている地図を見る。そこには三つの大陸が描かれていた。


「今いるのがここ」


 蝶を斜めにしたような形の大陸が、ハクの指で差される。


「この半分がマクア領。もう一つはヴィオーノっていう国だよ。雷の国、とも呼ばれているね」


「へえ。そこでも試練を受けるのか?」


「ここでの試練を突破できたら、ね」


 程なくして、馬車が動き始めた。客車の窓から覗ける街の景観も美しいものだ。自然と人々の調和が取れていて、水の国という俗称も伊達ではない。

 であれば、雷の国と呼ばれるヴィオーノでは、雷が大量発生しているのではないかと、クロは予想を立てた。人が住めない程ではないだろうが、悪天候であることが多い国かもしれない、と。

 自身の目で確かめるのを楽しみにしながら、ふと気づく。国が違うなら、言語も異なるのではないかと。


「思ったんだけどさ、俺の言葉が通じてるってことは、この国が俺の出身なんじゃないのか?」


「え?」


「いや、だから……」


「…… ああ、ごめん。大丈夫。ちゃんと聞こえてるよ」


 どうやら、聞き逃したわけではなかったらしい。


「どこの国に行っても、言語は共通だよ」


「そうなのか?」


 記憶を取り戻すための大きな手掛かりを得ることができたと思ったが、早合点だった。


「ある時期から人口が大幅に縮小したから、統一されたんだ」


「いったい何が……」


「まあ、そのうち教えるよ。今はまだ知らなくてもいいことさ」


 何が記憶の手掛かりになるかわからない以上、どんなことでも聞いておいた方がいい気もしたが、ハクが言うのなら手掛かりにはなり得ない話なのだろうと思い、クロは口を閉じる。


「こっちがこの大陸を拡大した地図だよ」


 そう言って、ハクはもう一枚の紙を見せた。


「へえ。この線はなんだ?」


「結界の範囲だね」


「…… え? 狭すぎないか?」


 結界の範囲とは、即ち人々の生活圏。だが、地図に示されたそれは、マクア領の三分の一にも満たなかった。


「広いと、維持の面でも効果の面でも問題が発生するからね。世界に冥王の瘴気が漂う以上、仕方のないことさ」


 ふーん、と返事をしながら、クロはフランの方を見る。彼女がしばらく会話に参加していなかったからだ。理由はすぐにわかった。

 彼女は静かな寝息を立てながら、深い眠りに落ちている。昨日の疲れがまだ残っているのだろう。馬車の振動も相まって睡魔に襲われたといったところか。

 そんなことを考えていると、視界が次第にぼやけてきた。


「馬車で…… 寝るなんて…… フランも、まだまだ子供────」

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