後編 怪力のお婆さんと緑色の犬
鼓動は早くなり、背中に汗が滲む。返す言葉がただのひとつも口からでない。
ギィオオオ。
まるで助け船のように今まで聞いたことがない獣の低い鳴き声が辺りに響く。
少女がその声に反応して後ろを振り返ると、舌打ちが聞こえた。
「あの犬はあなたのかしら?」
そういって指をさす。その指さす先には街灯があり、その下に緑色の中型犬が一匹いた。
「え……いや」
相手に聞こえたかどうかもわからない小さい声で返答する。
「じゃあ、これで。そうだ、申し遅れました。ハナコといいます。以後お見知りおきを」といって憎たらしいセーラー服の女は帰った。
なに、いったい。なに、あの女。なに、あの緑の犬。
その日は、兄さんの部屋にカバンを放り投げ寝ることにした。
「おはよう」リビングで朝食を食べている兄さんの明るい声。
「兄さん。調子はどう?」
「まあまあかな。しっかし、俺は疲れすぎてカバンを足の間に挟むように寝てたんだよ。よっぽど疲れてたんだな」
「それはひどい疲れだよ」
どうやら放り投げたカバンは兄さんの足の間に上手く収まっていたらしい。
「ナオキ、今日学校休む?」
母が心配そうに尋ねた。
「休まないよ。何かあったら早退すればいいし」
「わかったは、無理はしないでよ」
兄さんは母さんを安心させるためか元気に頷く。
同じ高校に通う私たちは一緒に家をでた。しばらくして、私は足を止めた。
「どうした?アヤヒ」
「昨日、何かあった?」
「昨日……心配するかもしれないと思って言わなかったんだけど……昨日の下校してからの記憶がないんだ……お母さんには言わないでくれよ……心配するから……」
「うん」
「こんなことがもう一度会ったら病院いくよ」
「……そうだね」
「あ、雨」
兄さんがそれを見上げながらつぶやいた。私も見上げて頬に雨粒が一つ落ちる。
「今日は雨の確立は低いって話だったのに。でも、こんなこともあろうかと折り畳み傘をもってきたぜ」
「用意がいいね。兄さんはいつも」
そういって傘を開いて、傘の陰に二人で入り、歩き始めてると先のほうに傘を差さず歩くお婆さんの姿が見えた。
「あ、あのさ、まだ早いから家に戻って傘もってくるよ。この折り畳み傘をお婆さんに使ってもらうよ。どこかでアヤヒはどこかで雨宿りしていてくれ」
「うん」
「お婆さん、この傘どうぞ」
「おや、いいのかい、でも、その制服は近くの高校の生徒さんだろ。うちが近いからそこまで一緒にいこう。この道を左に行けば近いよ」
「この道は学校まではつながってないよ。お婆さん」
兄さんがお婆さんに優しくいう。
「いいんじゃ、この道で」
「俺は妹に言われてこの周辺の道を散歩に使っているんだけど、この道は学校につながってないって」
「そうかい? そうだね。 この道に繋がっているのはあの世じゃああああ」
そういうとお婆さんは兄さんに体当たりをし、兄は道路に転がった。
「兄さん! 大丈夫! ねえ」
「大丈夫。大丈夫」
お婆さんが笑いながらいう。
次の瞬間、私に飛び掛かかりバランスを崩して私は倒れたがお婆さんは体制を変えることなく馬乗りなり、首にかかる指が少しずつ沈むのがわかった。意識がなくなっていくのが見えた。
ギィオオオ。
「ああぁああ」
お婆さんの悲鳴。その前に聞こえた獣のような鳴き声は昨日聞いた。
「どうして……どうして邪魔をするの……」
お婆さんは、私と距離を五、六メートルほどとり四つん這いになりながらそう叫ぶ。
私の前には緑の犬がまるで守ってくれているようにお婆さんとの間にいる。
「ごめん。ごめん」そう犬は言い続けていた。
この声。この言葉。
あの時のナメクジの怪物。
「ごめん、ごめん、僕が……」
「あなた……兄さんに何かしたの!」
「助けようと……あの時、君が寝ている間に男の子のほうに光輝く露を飲ませたんだ。そしたら……怪物が寄るようになって……」
「え……兄さんが先に目を覚ましていた……」
「男の子は弱る妹を心配していて、寄ってきた怪物を食べさせれば元気になると僕が言ったんだ……僕らはたまに食べるから……でも人間は食べちゃいけないものだったんだ……知らなかったんだ……本当に……」
「女の子……君の体はみるみる良くなったんだ」
「お前のせいで! 私は――」
「やめてれ!アカヒ、俺が、俺が悪いんだ。あの時、山で遊ぶのは危険だと大人に言われていたのに……アカヒを……連れて遊んだ……俺だよ悪いのは……」
「そうだぁああ悪いのはうちの子じゃないいいい」
お婆さんは大声をあげ、こちらをぎょろりとみた。
「あなた達は親子?」
「そうだよ。ぼくの母……なんだ……」
「人間が寄り木と融合したことが知られたら……この子が原因だと知られたらきっと大変なことになる。名をはせる怪物があっちこっちからやってくる。この子のためにもこのことは隠さないといけない」
お婆さんはそういうと、異様に伸びた爪をこちらに向ける。
「おいおい、山から二人の気配が消えて心配で来てみれば、なんだこれは? 説明しろ愚弟」
音もなく、風もなく、優に十メートルは超える巨大な筋肉質の薄い赤毛におおわれた怪物が私たちの前に現れた。
「お、お、兄ちゃん……」
「おいおい、この匂い。寄り木か、なんと甘美な匂い。どこだ、寄り木は? まさか人間に奪われたわけじゃないだろうな? こんなとこで寄り木が――」
「この子は悪くないのよ。アイツらが……」
「母上かかばうときは、大抵は愚弟が悪い。いつもそうだ」
「あの男の体の中に寄り木、寄り木があるの」
「ならば、話は早い。こいつを裂けばいい。母上も愚弟も人間ごときに……手を焼いてはいけない」
巨体が動く、兄さんを殺すために。
「おい、お、お前が間抜けな弟のお兄ちゃん?」私は声を振り絞っていった。命が震えた。
「人間の女にようはない、その男だけだ。俺は優しいぞ。愚弟は確かに愚弟だ。俺もそれは認めてやるよ」
「あんたはずいぶんと強いんだろうね。その年の食った半狂乱になった女の息子じゃないんでしょ? まさかね?」
効果はあった。真っすぐこちらを見た。命を奪う視線。
兄さんより先に死ぬことができてよかった。
「勝手に死ぬなよ。ゲテモノ食い女」
声に反応して目を開けるとそこには、あの憎たらしいセーラー服の女が薙刀を持って巨体の前に。
「なんだよ、次から次へ女が……」
「この先は一歩も歩むことはさせないわ。化け物さん。私の一族はね、この人間社会に飛び込んでくる化け物を狩っているのよ代々」
「それはご苦労」そういって巨体は笑う。
「もういい、俺が、俺だけでいいんだろう。どうせ、あの時死んでいたんだ。俺だけ死ぬのならそれは正しい運命だ……」兄さんが足を引きずりながら巨体のほうに向かう。
「いや、気が変わった。母上を侮辱したあの女から殺す」
その言葉を言い終わると、巨体は私の目の前に前触れもなく現れ、こぶしを振り上げる。私は目を閉じたけど、覚悟は間に合わない。
ぁああああぁああ、低い悲鳴が響いた。
目を開けると、片腕がない大きな怪物。目は見開き、驚きを隠すことなくこちらを見ている。
「兄ちゃん、大丈夫、ねえ、大丈夫?」
緑色の犬が取り乱して叫ぶ。
「どうなっている……どうして、俺の腕が弾けた?」
「ちゃんと調べてから行動はするものよ。怪物さん」
ハナコは薙刀を構える両手を震わせながらいう
「この女はね、兄の体に寄ってきた怪物たちを長い間食べ続けてきたのよ」
「そ、そんな、寄り木の液を吸い続けた怪物を……このままじゃ俺たち滅ぼされる……」
「そもそもあなたの弟が知らずとはいえ人間を寄り木にした。そしてあの女が寄り木の液を食べた怪物を食べて今、この状況なのよ」
「誰でもいいから……ここにいる誰か……兄さん元に戻してよ」
「方法はある」
お婆さんが俯きながらいう。
「それは無理だ。母上」
そういって巨体は大笑いをする
「なに? どうすればいいのお婆さん……」
「体からあふれる樹液を一年、誰も味合わせないことだ。所有者を見つけたと思いそこに根を下ろし次のどこかの時代にまた芽をだす。あくまで伝承ではそうなっている」
「所有者とは、つまり強いもののことだぞ」
巨体は弾けた腕の部分をなでながらいう。
「そう、なら私が相応しいのね。違うならこの中の誰が私を倒せるの?」
私の問いかけに誰も答えなかった。
「お兄ちゃん、今日は学校サボっちゃおっか」
「アヤヒ? でも……」
「私は強いよ。強いからハッピーエンド確定だよ」
この先、私より強い者たちに怯えながら一年間を過ごすのだから今日くらい無邪気にすごしたい。
寄ってくる 猫又大統領 @arigatou
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