寄ってくる

猫又大統領

前編 兄の体と美味

 バイトから私が帰ると、リビングのソファーに深く座りながら晩御飯を今か今かと待つ、兄さんの姿はなかった。お母さん、兄さんは? キッチンで料理を作る母に尋ねると眉を八の字にして、ナオキは……学校から帰ってきたらすぐに部屋に行って寝ちゃったの、と母は火をつけている小鍋から目を離さずいう。小鍋では恐らく兄のためのお粥がぐつぐつと湯気を立てている。

 具合が悪いのには見当がつく。兄さんには、遊ぶ友人、打ち込む部活、熱中する趣味すらない。おまけに高校は近場なので歩いても運動にもならない。そこで私は心身の健康のために学校が終わったらそのまま真っすぐ帰宅せず、遠回りをして散歩でもしなよと、提案したのだった。

 本心から兄さんのことを心配をしていた。でも、もう一つの本心が私にはあった。

 私だけが知る兄さんの奇妙な体質。

 あの味を覚えてしまった日。すべては変わった。

 私たちが山で遭難した時。ただの兄弟の関係ではなくなった。

 

 

 兄と私は年子でずっと一緒。記憶の始まりから兄は優しい人。

 傘も差さず雨降る中を歩けば息を切らして家から傘、お腹を空かせればズボンのポケットから袋の中で砕けたお菓子、というように優しを私に向けてくれる。涙を流せばシャツの袖口で拭ってくれた。野山を駆けずり回り遊んでいた兄の袖口は茶色に染まっいて、それで拭かれた私の目は次の日の朝、ひどく充血していて眼科へ。

 それ以来、兄の前では涙を見せない。

 そんな兄弟は家の近くのとある山で遭難した。家族はもちろん近所の人たちもみんなで私たち兄弟を探してくれたけど見つからず二日目は消防・警察も捜索に加わったが発見には至らず。一週間後に発見された。健康状態に一切問題なく。

 何故なら、山といってもさほど大きくもなく私たちが発見されたところは何人もの人が調べた場所だった。

 誰かに連れ去られて、大ごとになって山に戻したという見立てもあったが不審な人物は一切確認されず、私たちの事件は幕を閉じた。

 あれは、いわゆる神隠し。

 一週間も行方不明のまま子供たちだけで健康な状態で見つかることがあるのだろうか。遭難中、私は奇妙なものを見た。一メートルくらいの大きなナメクジだ。私たち兄妹にひたすら泣きながら謝る彼の声。ごめん。ごめん。

 その話を大人に話すと、緊迫した状況が作り出した幻覚と幻聴だといわれて納得するフリをした。

 言っていないことがある。それは禁忌だと。幼心に感じたから話さない話。いや、違う。ナメクジが泣きながら、僕は禁忌を犯したのか! と一度、大きく叫んだから記憶している。後に、辞書で禁忌の意味を理解した。

 あの山で、私は足を滑らせ、助けようと兄が手を差し出すが一緒になって転がり落ちた。確かに。そのあとの記憶は目を覚ますと洞窟のような場所にいた。兄は目を閉じたまま。そして、私たちの傍らには艶の良い大きな緑色の葉っぱが一枚。その葉はお皿のように夕焼けの太陽の色に輝く露が一口ほど窪みにたまっている。目を覚ました時には体全体が鈍く痛みがあるのは気づいていたが、徐々に痛みが激しくはっきりと伝わりはじめ、仰向けに再び横になり、意識が薄れていくのを記憶している。

 もう一度、目を覚ますと兄はまだ目を閉じていた。兄さんの少し荒い寝息だけが洞窟に響く。

 私の体の痛みは、どうやら寝たおかげで痛みがやわらいだようだった。一つ問題がなくなると、また次の問題が現れる。それは空腹とノドの渇き。

 兄さんはお腹が空かないのだろうかという疑問を持ちながら、兄さんをみると兄のシャツがぼこぼこと動いく。酷いケガを心配になった私は兄さんのシャツを勢いよくめくると、半透明な蛇のような物や、人のような形のもの、鳥のような口ばしに猿のような体を持つ、五センチから二十センチくらいの見たこともないものが体に引っ付いていた。彼らの口は兄さん体にぴったりと合わせている。こちらを気にすることもなく。兄の胸元に集中して集まる彼らは大胸筋の辺りから染み出すように溢れる琥珀色の汁をなめているように見えた。必死に舐めてとるその姿は樹液に群がる虫のよう。

 そのおぞましい様子をみていたはずの私は、口からヨダレを垂らしていた。

 この光景を前にして私は食欲以外の感情はない。ヨダレは止まらない。たらりたらりと、垂らしながら兄さんの体付いている怪物を見ている。

 一匹を食べれば、二匹も変わらない。触感は水餃子のような滑らかで水分がたっぷりと豊富、旨味が凝縮され

 、舌が味覚を定めるのではなく、まるで全身が味覚になったようで強烈な旨味。

 文字通り忘れられない味となった。


 発見され、普段の暮らしに戻った私たちだったけれど、兄さんの体に怪物がつくようになった。樹液のように体からでるあの粘液が怪物を寄せ付ける。不思議とあの怪物も粘液も私以外には見えていない。怪物がつくと兄は体の不調を訴える。外に長くいればいるほど怪物の集まり具合はよかった。それに比例するかのように兄さんは体調を壊す。兄さんの健康のためにも、夜な夜な怪物をいただいている。

 

 兄さん? 大丈夫? お母さんがお粥を作ってくれたから持ってきたから部屋に入るよ、と言いながら私はゆっくりと扉を開けた。兄さんは布団もかけずにベットへ横になっていた。

 おかしい。兄さんが部屋に直行するほど調子が悪いのなら怪物は相当ついていなけばいけない。めくった胸元にたった一匹の二センチくらいの小さい蟹のような怪物ぽつんといた。

「なんで、これだけ……」

 そういいながらソイツをつまみ、ペロリと飲み込んだ。全身から喜びが溢れる。


「まあ、いいか。落ち着いたら考えよう。今は幸福に沈もう。おやすみ、兄さん」

 

 「どうだった?」母の心配する言葉に対して、まさかいつもより寄ってくる怪物が少なかったよ、とはいない。「少し休めばよくなりそう」と心にもない笑顔で答える。

 一息つく間もなくインターホンがなった。夕食時の来客は珍しい。

 アヤヒ、ママは今手が離せないからでて、と母がいう。

 

 インターホンのカメラには制服姿の女子高生が映っていた。


 重みのある黒いセーラー服と真っ赤な細いリボン。清楚と聡明が両立する伝統を持つ学園に通う証。その液晶越しの姿に私は緊張さえしていた。

  所謂お嬢様学校。このへんでこの制服に魅了されない女子は少ないだろう。たとえ、興味がなくても、この制服の人気を知らない女子はいない。

 その人はカメラに、カバンを見せてきた。

 今、出ます、と告げて私は靴を履き、玄関に出た。

 そこには、カメラ越しでは決して伝わらない艶々した長い髪。クッキリとした人形のような目。スラリした手足。

「どうも。夜分にすみません。ナオキさんの忘れ物を届けに参りました」

 そういって夕食時の美少女は兄さんの学生カバンを私の前に出す。母が高校生にもなる兄さんに名前を書いてあるのでそれを確認した。

「あ、これは、ご丁寧に、あ、ありがとうございます」

「こ、これは兄のカバン……どこに落ちていたんですか?」

「知りたいの? ワタシノヘヤ」

「え……なんて…………え?」

「そんなことはどうでもいいわよね。どうせ、あなたは実の兄を餌に使うゲテモノ食い女でしょ?」

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