手招き
熊村こう
手招き
電車での人身事故の件数はご存じだろうか?
昨年2023年の全国の人身事故の件数は940件だそうだ。
毎日2人以上が事故にあっているという計算になる。
940件という件数を多いと思うか少ないと思うか。
その中には不慮の事故やホームでの接触といったものも含まれる。
これは実際にAさんから聞いた話。
Aさんは毎朝早朝に出勤していました。どうやら働いている会社がいわゆるブラック企業で、毎日身を削りながら働いていたそうで。辞めようにもそう簡単に辞めることもできず、膨大な仕事量と短い休みで精神的にも体力的にもかなり限界だったそうです。
Aさんは毎朝電車に乗って職場まで通勤していました。
まだ薄暗いホーム。うつろな目でボヤっと視界に移る線路。
この時、Aさんは何度も「あと一歩踏み出せば楽になれる」と思っていたそうです。
それぐらいに限界。
しかし、やはりハッとなるらしく、踏みとどまっていたよう。
ある日の帰宅途中。
この日Aさんは会社でミスをしたらしく、かなり怒られたそう。
ただでさえ限界のAさんに追い打ちをかけるように浴びせられた怒声。
Aさんは限界を超えていた。
駅のホーム。帰りの電車を待っているAさん。
目の前には線路。あと一歩踏み出せば楽になれる。
いつもみたいにそううつろに思った時。
「甘い。」
線路の方からとても甘い匂いが漂ってきたそうだ。
その匂いは花のようなうっとりとした気分になるような匂い。
ホームの下に花畑があるようなそんな匂い。
「いい匂い。」
甘い匂いはAさんの限界を超えた身体にスーッと入ってくるようで、もっと嗅ぎたくもっと嗅ぎたく…
Aさんは一歩を踏み出していた。
幸いAさんは電車が来る前に救出され大事には至らなかった。
しかし、これ以上仕事を続けることができないと思い、会社をとぶように辞職。
Aさんはその時を振り返るなり、
あの匂い。今でも鼻の奥にこびりついている。甘くて温かい匂い。
あれは“あっち”からの誘いに違いない。
これ以降、私は人身事故のニュースを見るなりAさんの話を思い出す。
あぁ、この人は手招きされていったのだと。
手招き 熊村こう @kumamura
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