第10話 それぞれの立場

「あれっ、メルフィーナ様、お早いお帰りですね?」

「ただいまエド。精が出るわね」


 従者服を身に着け門の前を掃き掃除してくれていたらしいエドが駆け寄ってくる。そのまま数メートル先で止まったのは、ラッドとクリフの教育のたまものだろう。


「門は屋敷の顔だから、いつもきれいにしておけってクリフが言うんで!」

「おいエド、馬を厩に連れて行け。ハーネスは後で外すから、水と餌だけやっといてくれればいいから」

「はーい」


 ラッドに言われて素直に返事をするエドにまた少し胸が楽になる。

 そのまま私室ではなく応接室に向かうと、セドリックは無言のままついてきた。


「紅茶をお淹れしますか?」

「いえ、先に話を済ませてしまいましょう。マリーもセドリックも、そこに座って」


 応接室は主人が客人をもてなすための個室だ。この領主邸には元々備わっていなかったので、二階の空き部屋を一つ、その代わりに整えたものだった。荷運び三人組が領都の部屋を引き払ってくるついでにいくつか家具を購入してもらい、運び込んだソファセットは、貴族の財産としてはほとんど価値はないものだけれど、この小さな領主邸にはちょうどいい設えをしている。


「主と同じ席に着くわけにはいきません」


 セドリックが固い表情で告げるのとは裏腹に、マリーは自然に向かいのソファに腰を下ろす。それを苦々し気に見下ろしたものの、何を言うべきか、セドリックにも分からない様子だった。

 結局直立不動のまま動かないセドリックに小さく息を吐く。


「まず、二人に確認しておきたいの。二人は公爵様から、私のことをどれくらい聞いているのかしら」


「クロフォード侯爵家からオルドランド公爵家の正室に迎えられた貴婦人であり、その身辺警護をと望まれました」


「私は、オルドランド家にメルフィーナ様が滞在している間、その身の回りのお世話をする侍女として働くよう家政婦長から指示がありました。おそらくそう長い期間ではないとも」

「なぜ夫人が長く滞在しないことが前提なんだ。ようやくアレクシス様がご結婚をなされたというのに」


 どうやらマリー、ひいては家政婦長のほうがアレクシスの考えを正確に読み取っていたようだ。セドリックがそうでなかったのは、彼や彼の上長が使用人ではなく騎士団に所属していて、アレクシスのプライベートの部分まで深く知る機会が多くなかったからだろう。

 セドリックからすれば、メルフィーナは公爵家当主という高い身分にありながら独身を貫いていたアレクシスがようやく結婚したというのに、新婚早々ふらふらと出歩いては地方に住むだの領主になるだのと浮世離れしたことを言っている令嬢のようにしか映らないのだろう。だから早く公爵家に戻るべきだと考えているし、領主ではなく公爵夫人として扱っている。


 ただ、その態度からマリーは家政婦長の指示に従っていただけのように見える。貴族の令嬢がしないようなこと……例えば掃除や料理などをするたびに、押し殺しきれない驚きが漏れていた。


 一方セドリックは、始終私に苛立ちを感じているのが伝わってくる。奇矯で非常識な令嬢が、次に何をしでかすのか神経をすり減らしているような。


「ねえ、セドリック。もしかしてあなた、私と私の母の噂を知っているんじゃない?」


 顔色を変えなかったのは護衛騎士らしい冷静な対応だけれど、残念ながら眉のあたりがぴくぴくと反応していた。


「いえ……」

「誤魔化さなくてもいいわ。王都の貴族の間では有名な話だし、カーライル家は宮中伯の家系、あなたが王都で暮らしていた私の噂を聞いたことがあっても、別に不思議ではないもの」


「……なぜ私の家名をご存じなのですか」


 セドリックは紹介された時から「護衛騎士・セドリック」だった。騎士が全員家名や騎士爵を持っているわけではないので、その名乗りでも特に問題はない。

 彼のフルネームを知っているのは前世の記憶でセドリックが攻略対象と知っているからで、カーライル家が宮中伯であることはこの世界で生まれ学んだメルフィーナの知識によるものだ。


「私が王都で遊んで暮らしていたと思いたい人が多いようだけれど、その程度の情報を侯爵家が掴んでいないと思うのも少し侮りすぎではなくて?」


 実際は前世の知識がなければたどりつけないのでズルもいいところなのだけれど、思わせぶりな笑みを浮かべることでセドリックは納得したようだった。

 ハートの国のマリアは別名雑学系乙女ゲーだ。色々な設定が盛り込まれており、難易度設定によって主人公や攻略キャラのパラメーターも変化する。そしてハードモードになると、細やかな設定の把握が必須になっていく仕様だ。


 最高難易度でキャラクターをコンプリートした前世の知識と、最高の貴族令嬢であろうと努力した今世のおかげで、ここから先この世界で何が起きるのか、どうするのが最適解かメルフィーナには見えている。


 ただその道筋を進むのに周囲がどんな反応をするのか、それを失念していたのは手痛い失敗だったと言えるだろう。

 アレクシスに対してそうであるように、セドリックを攻略しようなどとは最初から思ってもいなかった。


 この世界は乙女ゲーム、二年後にこの世界にやってくるヒロインのための世界だ。メルフィーナが不遇なまま生涯を閉じることがないよう足掻くことはしても、いい男は全部ヒロインの物。

 この世界で恋愛なんてものに期待はしていない。


「あなたにとって、私は私の母のように家の義務を放り出し自分の興味のままに振る舞う無責任な貴族家の夫人のように見えていたのでしょうね。私が王都で入れ替え子と囁かれているのも知っているなら、オルドランド家にそういう真似をするかもしれないと邪推もしていたのかしら」


「そのようなことは、決して」


 セドリックは真面目でお堅いキャラクターだ。ゲームの中でも聖女であるマリアに惹かれながら、騎士団長として一定の距離を保ち理性的に振る舞う難易度の高いキャラクターだった。

 実直で自分の立場に忠実な彼が、そこまで邪推していたとは本当はメルフィーナも思っていない。


 ただ、どうせお前はこう思っているのだろう。そんな証拠の出せない決めつけを目上の者からされるのは、嫌なものだ。彼のように言い訳をしたくないと思っているだろう真面目な人間にはなおさら。


「まず、その誤解を解きましょう。書類上私は公爵夫人であることは間違いありませんが、私は公爵閣下の正式な妻ではありません」


 その言葉にセドリックも、そしてマリーも怪訝そうな表情を浮かべる。

 この世界で夫婦になるということは、神の前で愛と誠実を誓うということだ。メルフィーナとアレクシスが教会で誓いを立てたことは多くの参列者が見ていた。


 けれど、教会が定める「結婚」にはもう一つ、条件がある。


「公爵閣下は初夜に部屋を訪ねませんでした。本人から、その気はないとはっきりと言われています」


「……それは、とても、信じられません」

 絞り出すようにセドリックは言う。


 普段はあまり感情を表に出さないマリーも、心なしか少し青ざめていた。

「マリー。私の寝室の机の引き出しに、赤い紐でくくった羊皮紙の書類があるから、取ってきてもらえる?」


 マリーはすぐに指示に従ってくれた。リボンを解いて、そのままセドリックに渡す。

 アレクシスが直筆で書いた結婚条件の契約書だ。二枚作り、サインを入れて片方をお互いが持つことにしていた。


 そこにはメルフィーナと子供を作る気はなく、夜の義務を果たさないことの合意と同時に、メルフィーナがどこで暮らして何をしようと口を出さないという条件も記されている。


 前述した通り、教会は基本的に離婚を認めていないけれど、例外的に「白い結婚」ならば離婚が可能だ。

 教会法においては、子孫を作る行為をしていない関係は、そもそも結婚が正常にされていないという扱いになる。


 実際にゲームの中でアレクシスルートに進んだ場合、メルフィーナは二年後、それを理由に離縁されるのだから。


「そんな、こんなこと、私は何も……」

「公爵様は、今のところ私と離婚する気はないんだと思うわ。ただ騒動を起こさないよう最低限監視だけはしておきたいということなんでしょうね」


 羊皮紙をくるくると巻いて再びリボンで綴じる。


「書類上、私は公爵夫人という肩書を持っているけれど、教会法の上ではそうではないし、公爵様にも私がどこで暮らして何をしようと構わないと言われているの。その上で監視のためにあてがわれた人員を拒絶しないのは、仮初とはいえオルドランドの姓を名乗っている私の誠意のようなものよ。分かってもらえたかしら?」


 セドリックは返事をしなかった。主に対しては不敬にあたる行為だけれど、情報量が多くて咀嚼しきれないのだろう。

 いや、そもそも彼の「主」は私ではないのだ。


「セドリック。あなたが公爵様の下に戻りたいなら、私を理由にしてもいいわ。傍に寄れば手が付けられないほど癇癪を起してどうしようもなく、護衛の任務を全うできないと判断したと言えば、疑われることもないでしょう」


「そんなことはできません」


「公爵夫人の実態もなく、公爵家の采配をするわけでもなく、公爵様本人にも好きにすればいいと突き放されている私は、あなたが守る相手として相応しくない。私を守ったところで騎士としてのあなたの実績にもならないわ」


「それでも、私の主があなたを守るようにと命じられました」

「だったら、私の命令には従いなさい、セドリック・フォン・カーライル」


 護衛対象を色眼鏡で見ていると決めつけられ、自分が守っているのはそもそも正式な意味での公爵夫人ではなかったと突き付けられたセドリックは、ひどく狼狽しているはずだ。


 人は混乱すれば正常な判断が出来なくなる。このままメルフィーナに関わる人間をいちいち威嚇しているようでは、到底セドリックを傍には置いておけない。

 ただ監視の役割を全うするに徹するか、あくまで騎士としての役割にこだわるなら、ここから去ってもらうしかない。


「従っているつもりです。ですが、安全を確認出来ていない目下の者があなたに触れることを許していては、あなたを守ることは出来ません」


 たとえメルフィーナに何か起きて、アレクシスがセドリックを咎めなかったとしても、護衛騎士として護衛対象に何か起きることは誇りを土足で踏みにじられることと同じだ。その先の出世は望めず、望むこと自体を恥辱と感じるだろう。


 セドリックにとって最も望ましいのは私が大人しく公爵邸なり王都のタウンハウスなりで貴族の夫人らしく大人しく引きこもり、一年なり二年なり次の護衛騎士に引継ぎをするまで静かに過ごすことだ。


 だがそれは、メルフィーナにとって座して破滅を待てと言っているようなものだった。


「……やはり、領都に帰りなさい。あなたが言えないなら私が公爵様に手紙を書きます。優秀な騎士を私に使い潰さず、適当に雇った冒険者でも寄越しなさいと」


 別段、アレクシスに隠れてよからぬ犯罪に手を染めるような予定もない。

 何より、攻略対象者のひとりであるセドリックに近くにいられるのも、落ち着かない。


 メルフィーナが破滅するのはあくまでアレクシスルートに限るけれど、ヒロインであるマリアが現れればセドリックは彼女に恋をする存在だ。

 それも、騎士団長として命を懸けた恋になる。


 マリアが現れた時、メルフィーナの周囲がどうなっているか今は定かではないけれど、そうなると分かっていて身近に置くのはリスクが高いのは明らかだった。


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