第11話 侍女の事情

「メルフィーナ様、発言を許していただけますか」

 お互い一歩も引かずセドリックとにらみ合っていると、マリーが軽く挙手をした。どうぞ、と頷くと、マリーは薄水色の瞳をまっすぐに向けてくる。


「私も公爵様に雇われメルフィーナ様に仕えている身ですが、公爵家の使用人を辞めて、こちらに転職させていただけないでしょうか」

「なっ……マリー貴様!」

「セドリック、今、マリーは私と話をしています」


 騎士として女性に掴み掛かるような真似はしないだろうけれど、怒りの気迫だけでも大したものだ。けれどマリーはセドリックに視線ひとつ向けず、涼しい表情をしている。


 マリーがそんなことを言い出すとは思わなかったし、その意図も図りきれなかった。マリーからうっすらと好意は感じていたけれど、転職を言い出すのは話が別だ。


「マリー、こう言ってはなんだけれど、それはあまりお勧めできないわ。公爵家の使用人ということは、あなたにはかなりきちんとした推薦人がいるのでしょう?」


 貴族の家に勤める人間は大なり小なり身元のしっかりとした推薦人が必要だ。勤め先が公爵家となれば、貴族の血縁者であることも珍しくない。


 公爵家に雇われた夫人付きの侍女を辞めて、エンカー地方領主メルフィーナに仕える。領主といっても、エンカー地方は文字通り国の端っこの、まだまだ開拓途中の領地だ。伸びしろしかないと言えば聞こえはいいけれど、吹けば飛ぶような小さな辺境の地の主である。


 使用人が仕えている家の大きさは、そのまま使用人のステイタスだ。公爵家に勤める侍女ともなれば、結婚相手に下級貴族すら望める地位だった。

 マリーは、メルフィーナの言葉に静かな声で応えた。


「メルフィーナ様。私の父は前公爵様の陪臣で、母はその三十歳近く年下の後妻でした。父は公爵家に滞在する時、必ず母を伴っていたそうです。そうして生まれたのが私です」


 マリーの髪は淡い淡い金髪だ。光の加減によっては銀に見えないことも無い。

 切れ長で涼し気な目もと、瞳の薄水色。言われるまでどうして気が付かなかったのか不思議なくらいだ。


 ――似ている、アレクシスに。


 メルフィーナが察したことを理解したのだろう、ふっ、と浮かんだのは彼女らしくない、屈託を含んだ苦い笑みだった。


「父にはすでに、母の前の妻との間に兄二人と姉一人がいました。私は特に実家で必要とされることもなかったのでしょう、両親の元で五歳まで過ごし、弟が生まれた一年後に公爵家に侍女見習いとして奉公に上がり、そこで教養や行儀作法を学ぶ機会を頂きました。


 実家を出た後も、母と下の弟とは時折会う機会がありましたが、父とは奉公に上がるとき、しっかりと公爵家にお仕えするように、そう言われたきりです」


 はっきりと言葉にしないけれど、ここまで匂わされれば誰にだってわかるだろう。

 マリーは前公爵の私生児であり、アレクシスの異母妹であるのだ。

 容姿だけでなく、表情があまり変わらない整った顔立ちやクールな雰囲気も、アレクシスに通じるものが多い。


 貴族や準貴族の令嬢が自分より家格の高い家に行儀見習いとして奉公するのは珍しくないけれど、大抵は上級メイド見習いあたりから始まるものだ。最初から侍女見習いの待遇というのは、それだけ特別扱いされていた証である。


 侍女はその家の令嬢や女主人に仕える女性であり、身の回りの世話をする名目ではあるけれど、本質的には補佐に近く、一般的な使用人とは一線を画す存在だ。

 貴族の責務を負った妹の補佐をする姉にも似た存在であり、仕える貴族家によっては準令嬢として扱われることすらある。


 まして、オルドランド家はアレクシスの母親が亡くなった後、前公爵は再婚をしなかったことと、アレクシスもつい先日メルフィーナと結婚するまで独身を貫いていたことで、長く女主人が存在しなかった。


 仕える女主人がいない家で侍女として迎えられていたということは、私生児であっても、貴族に近い生活を保障してやりたかったのだろう。

 そうして、マリーが新しく当主の妻としてやってきたメルフィーナの侍女として選ばれた事情も理解できた。


 非公式であっても、マリーは最もオルドランド公爵家の女主人に近い人だったのだ。

「事情はなんとなく分かりました。けれど、ますますあなたが公爵家を辞める理由はないと思うのだけれど」


「実家の父も母も亡くなり、弟は王都で暮らしていて、家を継いだ異母兄弟たちとも疎遠です。十年以上公爵家に勤めたことですし、今辞めても推薦人の顔を潰すということもないでしょう」

「そういうことではなくて……」


 アレクシスが前公爵の代と変わらずマリーを侍女として待遇していたなら、異母妹として扱う気があったのだろう。


 メルフィーナにつけたのも、女主人としての手本や監視という意味だけではなく、メルフィーナが王都のタウンハウスに移動すれば弟と会う機会を持ったり、あるいは王宮の出入りに付き従わせたいという意図もあったのかもしれない。


 マリーは花の盛りの年頃で、北部特有の涼し気な美貌の持ち主であり、公爵夫人の侍女という立場もある。王宮に出入りする貴族や文官に見初められることもあるだろうし、少し目端の利く貴族ならばアレクシスとの繋がりを調べることも、そう難しくはないはずだ。


 そして、そう考えればセドリックも同じ立場だ。彼の実家は宮中伯の家柄であり、王都はむしろ故郷に近い場所だろう。メルフィーナの護衛騎士として王宮に出入りしていれば、家族と交流を持つことも容易いはずだった。


 ――まさか二人を連れてこんな辺境の端っこに定住するつもりだなんて、さすがにアレクシスも思ってはいなかったんだろうなあ。


 遊び好き侯爵夫人から生まれた、出自が怪しいと笑われている令嬢としては、確かに型破りな行動だった。勿論アレクシスの思惑など知ったことではないし、二人への感情はともかく、アレクシスに関しては当てが外れていい気味だと思わないでもない。


「ええと、それで、なぜ転職を?」

「私、侍女って柄じゃないんです」


 私生児として扱われるのが嫌だったとか、息苦しいとかそういう理由かと思っていると、マリーはあっさりとそう言い切った。


「同年代の使用人の子たちが手をあかぎれだらけにして働いているのに、お仕着せを着せられて見ているだけというのはバツが悪かったですし、実際自分では使うことのない令嬢としてのマナーや教養もあまり学びたくありませんでした。綺麗なドレスなんて興味ありませんし、それくらいなら木綿の服を着て友達を作って休日は街で買い食いをしたりしたかったんです」


 私も、そしてセドリックも唖然としてマリーを注視した。

 マリーは出会ったときから顔立ちが整った美人で、表情が乏しく、それだけにクールで物事に心を動かされにくい印象が強かった。そんな彼女が心の内でそんなことを考えていたなんて、想像もしなかった。


「それに、メルフィーナ様もご自分は気にしないのに、私には水仕事をさせませんよね。それは、私が「侍女」であることを慮ってくれたからというのは分かっています。

 それなのにメルフィーナ様自身はここで公爵夫人ぶっても仕方がないとおっしゃいますし……。私は、それが、羨ましかったんです」


「ええと、羨ましがるようなことないわよ? むしろ貴族夫人としては夫にどこでも好きにやれと言われるのは、まあまあ侮辱にあたるというか」


「本来その家の令嬢でない人間を名目だけ立てて令嬢扱いすることだって、色んな立場の相手に対する侮辱です」

 使用人の中にいても使用人ではない。令嬢として扱われても令嬢ではない。


 その立場になってみなければ分からないけれど、相応しい居場所がないという意味では、夫に求められなかった妻と似通う部分も、まああるかもしれない。


「私が公爵令嬢になる日は来ません。そしてどこかの貴族に嫁いでも、結局貴族が平民の使用人をもらってやったという立場になるでしょう。

 だからといって侍女という立場で平民に嫁げば、公爵家の他の未婚の使用人の価値を下げることになります。……私には、そのすべてが煩わしいのです」


 贅沢な悩み、と言えばそれまでだろう。

 ここは乙女ゲームの世界とはいえ、人間の生きている場所だ。貴族以外の平民は貧しい者も多く、飢えることも病気の治療さえできずに死んでいくことも珍しくない。


 綺麗な服を着て良い食事をして、裕福な男性を選ぶ権利すらある立場は、決して容易く手に入るものじゃない。


 けれど、メルフィーナとして生きてきた十六年が、それだけでは駄目なのだと訴える。


 貧しさと無縁の侯爵令嬢として暮らしていても、両親に愛されないメルフィーナはいつもどこか惨めだった。それを振り切るために必死に学び、高貴な女性として振る舞ってきた。

 両親の愛を手に入れられなかったとしても、これまで学んできたものを嫁ぎ先で活かそうと前向きに考えていたのに、結婚式の直後に夫になった人にその全てを否定された。


 原作のメルフィーナは必死に自分を支えてきた誇り以外、もう何も自分を支えるものを持たなかった。そんな彼女の前に現れた、貴族の教養も礼節も知らないまま全ての人から……自分を拒絶した夫からすら想われる、無邪気で美しい聖女マリア。


 メルフィーナが悪役令嬢になってしまった素地は、メルフィーナ以外の彼女を取り巻く人間たちによって醸成されたものだ。それなのに、責任はメルフィーナ一人が取ることになった。

 原作ではヒーローとヒロインは結ばれ、めでたしめでたしで幕が下りる。けれど遠く離れた修道院で厳しい生活を強いられたメルフィーナの人生は、それから先も続くのだ。


 アレクシスルート以外のメルフィーナは特に出番のない存在だ。そちらの未来は「私」も知る由はないけれど、王都で社交と贅沢を重ね満たされない思いを食みながら、子供を産む義務を果たさない遊び好きの公爵夫人として生きたのだろうか。


 アレクシスルートで、自分の夫と聖女が結ばれたことを聞いたメルフィーナは、どんな思いを味わったのだろう――。


「それがマリーの望みなら、構わないわ。待遇はメイド? それとも他に希望がある?」

 侍女以外の女性使用人といえばメイド以外は乳母、家庭教師、あとは料理人というところだろうか。乳母や家庭教師は必要ないし、マリーもその需要がないことは十分わかっているだろう。


 マリーは初めて、迷うような表情を浮かべた。一度自分の膝に視線を落とし、ちらりとこちらを見て、意を決したように顔を上げる。


「出来れば、メルフィーナ様の秘書をやりたいです」

「秘書……」


「読み書き計算は出来ます。侍女として仕える方がいなかったので家政婦長や執事の仕事の手伝いをしていたので、帳簿を付けることも物資の管理もできます。領主であるメルフィーナ様のお手伝いがしたいんです」

「それは……すごく助かるわ!」


 思わず身を乗り出してしまう。貴族の振る舞いとしてははしたないものだが、背を押されたようにそうせずにはいられなかった。


「お給金は出来るだけ今と変わらないようにするわ。是非お願いしたいわ、マリー」

「……ありがとうございます」


 いつもクールで無表情に近いマリーが、ふわっと微笑んだ。元々整った美しい顔立ちをしているだけあって、笑うとまるで白い花が咲いたみたいだ。


「私も、メルフィーナ様のご期待に応えられるよう、頑張ります」

「ええ、よろしくね、マリー」


 しばらく見つめ合って、同じタイミングで気恥ずかしくなり目を逸らす。

 これまで同年代の親しい同性がいなかったメルフィーナにとって、非常に慣れない、けれど心地よい照れくささだった。


 ――あら、なんだかセドリックのことがうやむやになってしまったわね。


 まあ、領都に戻るにもこのまま監視役に徹してメルフィーナの元に残るのも、即決できることではないだろう。


 セドリックは本来非常にまじめな性格の騎士である。


 流石に護衛対象に領都に戻れと言われてまで、周りに暴力を振るうようなことはしないはずだ。

 しばらく様子を見て、改めて選択してもらえばいいだろう。

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