第9話 公爵夫人と侍女の会話
馬車の中は重たい空気に満たされていた。
マリーは相変わらず感情を表に出さず、口を閉じたままだ。
緩やかに馬車は走る。来るときよりずっとゆっくりと。私が気を落としていると思ってくれているのだろう。御者をしてくれているラッドが気を遣ってくれているのが、それだけで伝わってくる。
「……マリーも、私が間違っていると思う?」
誰になんと言われても、行動を変える気はなかった。
メルフィーナの人生は始まりから受難の連続だ。報われないことばかりだった。記憶を取り戻した今、多少他人にどう思われようと、気にしないと思っていたはずだった。
それでも、自分の意地を通そうとして他人が傷つけられることになるかもしれないとは考えていなかった。メルフィーナは生粋の貴族の子女で、領地で暮らしたことすらほとんどなく同世代の親しい友人がいたこともない。孤児院への慰問はよく行っていたけれど、そこで孤児たちと触れ合うことに周りにどうこう言われたこともなかった。
貴族として貴族以外との交流のパターンが圧倒的に少ないのは明らかだ。自分が気にしないから、それだけでは済まない。メルフィーナが咎められない代わりに、幼い少年が攻撃されることもあるのだ。
「私の立場で、メルフィーナ様の行動に口を出す権利はありませんが、私見でよろしければ」
「うん」
「メルフィーナ様は間違っていません」
はっきりと言われて、気まずさから逸らしていた視線をマリーに向ける。マリーもまたまっすぐにメルフィーナを見ていた。
「これは単純に序列の問題です。メルフィーナ様は公爵家の女主人であり、エンカー地方の領主になられた方です。メルフィーナ様が領地でどのように振る舞おうと咎めることのできる立場の人間はいません。唯一その権利があるとすれば公爵閣下ということになりますが、これも領主としてではなく、夫人としての振る舞いについてのみです」
声はよどみなく続く。マリーはこの件について確固とした考えがあるようだった。
「領地をどのように経営するか、どんな土地として発展させていきたいか、それを決めるのは領主の独占的権限であり、……不敬を承知であえて言わせていただくなら、王家ですら貴族の領地経営に口を出すことはよほど人道から外れていないかぎり、滅多にないことです。そのようなことをすれば貴族の離反を招くことは、多少貴族社会に詳しい人間ならば承知していてしかるべきことです」
「そう……そうね」
貴族というのは、王家が立てた新興貴族を別として、地方の豪族まで遡る。
その中で特に強大なひとつの家を王家と呼び、その他の家は同盟と忠誠を引き換えに家と家が契約しているのが王家と貴族の関係の基本だ。
王家に敬意を払っていても、貴族家とは本質的に王家と対等であり、領地はそれぞれの国土に等しく、納税率や領法の制定も領主の裁量に任されており、そこに口を出せば内政干渉と受け取られる。
侵略されることなく領地の独立性を保てるからこそ、王家を主として仰いでいるのが地方貴族というものだ。
実際、今より王家の力が弱い時代は公国や侯国として独立離反した地域も珍しくはなかったというのは、メルフィーナの学んだ教養のひとつだった。
貴族は王を仰ぎ、しかし王家の代官にあらず。
どのような領地にしていくかは領主が決めるべきことであり、正式なエンカー地方の領主となったメルフィーナは、ここでは王に等しい振る舞いをしても誰に咎められることもない。領主の振る舞いを咎めることこそ過ちだとマリーは言っている。
「ましてや護衛騎士が領主として領地を訪れているメルフィーナ様の言動に口を出すなど、そちらの方が咎められてしかるべき行いです。ですので、メルフィーナ様が間違っていたのか、という問いに関して、間違っておられないとお答えさせていただきます」
「うん……」
マリーの言葉で、セドリックとの間にある問題が段々整理できてきた。
セドリックはメルフィーナを「エンカー地方の領主」でなく「オルドランド公爵夫人」として扱っているのだ。
だからこそ夫人として奇矯に思える振る舞いだと感じれば眉を寄せるし、身元の明らかでない人間が近づけば、メルフィーナを守るために行動を起こす。騎士としてはそれで何一つ過ちではないからだ。
「ありがとうマリー。少し、すっきりした」
「お役に立てたなら幸いです。それと」
「うん?」
「私には弟がいます。私は早くに奉公に出たのであまり構うこともできませんでしたが、私なりに可愛いと思っていました。あの年頃の少年には屈託なく笑っていてほしいと言う気持ちがあります」
マリーは大きな瞳をこちらに向けて、ほんの少し、微笑んだ。
「ですので、メルフィーナ様があの少年を気遣ってくれたことが、嬉しいと感じました」
姉の顔をしているマリーに親近感を感じて、こちらもつい微笑んでしまう。
メルフィーナにも弟がいた。メルフィーナがとうとう手に入れられなかった両親の愛を生まれながらに注がれていた弟への感情は複雑なものもあるけれど、姉と慕ってくれた弟を可愛いという気持ちは確かにこの胸にある。
「ちゃんと話さないとね、セドリックと」
「はい、そうなさってください」
マリーは話し終えたというように、再び黙ってしまう。
けれど、さっきよりも馬車の中の沈黙は、重たく感じなかった。
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