第8話 開拓村と護衛騎士の理
「見えてきましたが……本当に行かれるのですか、奥様」
馬車の窓の向こうから騎乗しているセドリックが問いかける。
「セドリック、ここまで来てとんぼ返りするわけないでしょう」
「ですが、農奴の村は奥様が足を運ばれるような場所ではありませんよ。不衛生ですし、礼儀作法なども整っていません」
「農奴に対して、王侯に対する礼儀を守れと言う方が理不尽ですよ。私たちは仕事をお願いしにいく立場なのですから、こちらの流儀に合わせろと言う気はありません」
セドリックは不安と不満をきっちり半分に混ぜたような表情だった。真面目で堅物の護衛騎士にとって農奴とは命令されたことを忠実に遂行する者であり、領主は命令を下すものなのだろう。
そこにお願いなどという曖昧で対等な言葉など、入り込む隙など無いに違いない。
セドリックの態度から、メルフィーナに対しての不信がひしひしと伝わってくる。
物を判っていない貴族の令嬢が、結婚翌日に婚家を飛び出し、こんな国の端っこで領主ごっこをしようとしている。一体どんな教育を受けてきたんだ。嘆かわしく、苛立たしい。それでも身分の関係で従わざるを得ない――こんな感じだろうか。
実際にやっていることは非常識そのものなので、そう思われても仕方がない。生真面目に騎士として生きてきた彼に、メルフィーナの行動を好意的に受け取れというほうが無理だろう。
黙り込んだセドリックを無視しているうちに、ラッドが操る馬車は集落の入り口に差し掛かる。獣避けの簡素な柵が張り巡らされていて、門らしきものはなく一部が開かれて踏みしめられた道のようなものが出来ているだけだった。
夜にはこの開いた部分にも杭を打って簡単な柵を立てるのだろう。
馬車から降りると、数人の子供たちが好奇心と怯えをないまぜにした目でこちらを窺っていた。屈みこんで手招きすると、子供たちのリーダーらしい年長の少年がそろそろと近づいてくる。
サイズの合っていない服を腰のあたりで紐を結ぶことで調節している。袖や裾は擦り切れてボロボロになっていて、力を入れてひっぱれば簡単に破れてしまいそうなほど傷んでいた。他の子どもたちもみんな同じような格好だ。
「奥様、立ってください」
「こんにちは、私はメルフィーナ。お名前を教えてくれる?」
「ロド!」
「そう、ロド。村の大人、できればリーダーを連れてきてくれない? お仕事中なら、その奥様でもいいわ」
「わかった!」
ロドと名乗った少年は元気よく言って、走って立ち去って行った。こちらを遠巻きにしていた子供たちもその背中を追うようについていってしまう。
「奥様、農奴の前で膝を折るなど」
「子供とは視線を合わせて話した方がいいのよ」
「子供ではなく農奴です」
「それについては、あとでお話ししましょう、セドリック」
セドリックが言っていることは決して間違っていない。
貴族は領民や平民を管理するものであり、尊大で、平民とは人間としての位が違うのだと振る舞うことで守られている面があるのは確かだからだ。前世のように民主制で法の下で平等という考え方は、こちらでは口にするだけで正気を疑われるものだろう。
彼のように貴族出身で、上下関係が厳格に定められている騎士という身分を持っているならなおさら、その理を侵しているのはメルフィーナの方だ。
前世の記憶がある自分の価値観と、身分制が当たり前の社会で生まれ育ったセドリックのそれが噛み合わないのは当たり前のことだ。身分はメルフィーナの方が上だから不承不承でも従ってくれているだけで、その中で不満が募っているのは明らかだった。
どこかで一度、きちんと互いの意思をすり合わせる必要があるだろう。
――原作の公爵夫人・メルフィーナ・フォン・オルドランドなら、たかが一介の護衛騎士が私のすることに口を挟むなと一蹴し、なんなら扇でその横っ面を殴るくらいはしただろうな。
強権的に振る舞えば身分の上下に厳しいセドリックは黙るしかないのは分かっていても、さすがに今の自分にそんなことは出来そうもないし、したくない。
そんなことを考えていると、ロドに引っ張られて男性が一人と、その周りを囲むように子供たちがこちらに走ってくる。先ほどより子供の数が増えていることにほっこりと微笑んだ。
「ええと、お待たせして、その、すみません」
「いえ、急に訪ねてしまってごめんなさいね。私はメルフィーナ・フォン・オルドランド。オルドランド公爵の妻で、新しくエンカー地方一帯の領主になりました。お見知りおきください」
「ええと、ニド、です。この集落の、一応リーダーをやっています」
「お仕事ご苦労様です。開拓は順調ですか?」
髭を濃く生やしているので老けて見えるけれど、声の張りからまだ壮年の域には達していなさそうだ。精一杯丁寧に応じようとしているけれど、そうした言葉に慣れていないのだろう、時々舌を噛みそうになっている。
「冬も終わったので、子供たちを飢えさせることは減りました。開拓の方は、森を切り崩しある程度平地にすることは出来ましたが、税を納めることが出来るほどの作物はまだ難しく……」
ニドはたどたどしく、言葉を選ぶように話すけれど、受け答え自体はしっかりしている。言葉も乱暴すぎるということはないし、エンカー村村長のルッツよりこちらを恐れすぎているという様子もなかった。
「いえ、税の話をしにきたわけではないの。決して無理を言うことはしないから、少し開拓した場所を見せてもらえるかしら」
「わかりました。では、ええと、馬車で移動されますか?」
「あなたが歩いていくつもりなら、私もそうするわ。ロド」
ニドの息子らしい少年は名前を呼ばれるととことこと歩いてきた。
「小さな騎士さま、私に村の案内をしてくれる?」
「うん! お姉さんは、お姫様なの?」
「お姫様じゃなくて領主よ」
「領主様だね! じゃあ、こっち!」
普段から年少の子供の世話をしているのだろう、ごく自然に手を握ってくるロドに微笑んだのと同時に、ひゅっ、と風を切る音が響く。それはメルフィーナの長く伸ばした金の髪を軽く舞い上げ、次の瞬間、ロドの小さな体が吹き飛んだ。
「なっ……セドリック!」
「無礼者め。この方は公爵夫人であらせられる。農奴が手を触れて良いお方では」
メルフィーナが両手を突き出し、その胸をどん、と押したことで最後まで言葉は出なかった。
鍛え抜いている騎士に、食器より重い物など持ったこともない令嬢が何をしたって大した衝撃ではなかったのだろう、セドリックはよろけることもしなかったけれど、両目を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべていた。
「それ以上言うことは許しません、セドリック」
「ですが奥様」
「お黙りなさい! 私の命令が聞けないなら、今すぐ領都に戻りなさい!」
感情的に叫ぶのは、好きじゃない。けれど黙ってはいられずセドリックを咎め、ロドに向かって走り出す。腕で腹を押さえているので、おそらく蹴られたのだろう。背中からもんどりうつ形で痩せた少年は地面に倒れていた。
「ロド、ロド! 大丈夫?」
「いてて……大丈夫。ちゃんと受け身取ったし」
「頭は打っていない? お腹を打つのは怖いわ。何ともないように感じても、今日は安静に」
「大丈夫! こないだも西の大岩の上から転がって落っこちたけど、なんともなかったよ!」
そう言ってにかっと笑うロドだったけれど、小さな体は震えていた。当たり前だ。自分よりずっと体格のいい初対面の大人の男に突然暴力を振るわれて、恐ろしくないわけがない。
背中に手を添えて体を起こさせ、顔色が悪くないか、他にどこもぶつけていないかを確認していく。
顔も腕もうっすらと土を被ったように汚れている。やせっぽちで手足の節には骨が浮いていた。服は粗末で目の粗いボロボロの布で、春とはいえ寒いはずだ。冬は特に寒さが厳しいこの地域で、ちゃんと暖が取れていたのだろうか。
決して楽な暮らしではないはずだ。気持ちがすさむことも多かっただろう。それでもメルフィーナの手を引いて、村を案内すると笑ってくれた少年だ。
「ごめんなさいね。本当に、ごめんなさい」
「領主様がやったんじゃないんだから、謝らないでいいよ?」
「いいえ、護衛騎士のしたことは、領主がしたことも同じなの。だから、本当にごめんなさい」
ロドは納得できない様子ではあったけれど、やがてうん、とちいさく頷いた。
「許すよ、許すから。オレ、気にしないから、だから謝らないで、領主様」
「ありがとう、あなたは、優しい子ね」
ロドの手を引いて立ち上がる。ふらついていないか、気分が悪くないかをもう一度確認して、立ち尽くしているニドを振り返る。
「今日は帰ります。ご子息に乱暴を働いてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、いえ! 領主様が謝ることじゃないです! うちの倅が図々しく手に触ってしまって、その」
「いいのよ。私が案内してと頼んだのだから、ロドは何も悪くないわ。もし体調が悪くなったら、すぐに領主邸に使いを下さいね」
念入りに告げて、馬車に戻る。
セドリックは石でも飲んだような顔をしていたけれど、今はとても声を掛ける気にはなれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。