Play#37 あの日人生が変わったもうひとり


錆びた斧を持った小さな人影が、エンドローズの後ろに音も無く忍び寄る。

『彼』はニヤリと笑うと、五年前よりもやや低いその声を発した。


「……ばあっ」


「ひゃあっ!!?」


エンドローズが思惑通りに驚いて飛び跳ねると、エンドローズと同じくらいの背丈の少年はくすくすと笑いを殺した。


「こんにちは、また来たんですね。貴方も懲りないなあ」


「コハクくん……!?び、びっくりした……そろそろ普通に声をかけてもらえると……」


「えー?毎回驚かされてるのに警戒しない貴方にも問題ありません?」


くく、と笑いながら、出会いを思えば見違えるほど上品な言葉遣いになった『コハク』は、クルミの木のように濃い茶色の髪の隙間からその名の由来となった飴色の瞳を覗かせる。

そして剪定の際に愛用している小さな斧を片すと、奥で散らかった机に向かう師匠兼変わり者の恩人に向かって声を張った。


「師匠!お嬢様を案内すればいいですか?」


「ああ、頼むよ。儂は少しばかり忙しくてね」


「だーから薬草の世話は俺に任せて、論文作業に集中して下さいって言ったじゃないですかー」


「む……最近耳が遠くてのう……はてさて続きは、と……」


急に耄碌した老人のようによぼよぼとした喋り方になったかと思うと、ユーリックは本や髪で散らかった机の方を向いてしまう。

コハクは呆れたようにため息を吐いた。


「もー!またそんな事言って……まあいいや。お嬢様、こっちへどうぞ。この前の続きは師匠に聞きました?」


「あ、ううん……折角だからコハクくんに聞こうと思って、ユーリック先生には他の事を聞いたよ」


「いやいや、どー考えても師匠に聞いた方がいーですよ?」


すっかり仲良くなったエンドローズに、コハクは慣れた様子でけらけら笑った。

今は彼女の護衛をやっている元同僚は慣れるのに時間がかかったようだが、恐らく歳が近いか若干彼女の方が年上まであるコハクとしては、出会いの劇的さも相まって打ち解けるのに時間はかからなかった。

まあ、護衛となった『奴』とは、何の因果か今も雇い主を共有しているし、なんならお互いに自分の年齢など知らないので、全ては憶測なのであるが。


コハクは、五年前エンドローズを殺そうとした、あの少年であった。

ヒスイの名を貰っていた同僚に見切りをつけた組織が、エンドローズ暗殺の為に追加料金を払った顧客の為に送り込んだ第二の刺客――それが幼き日のコハクであった。

コハクは、常人の『普通』にも満たない幸福や希望を信じ、喜々としてエンドローズと失敗した死に損ないを始末しようとした。

結果的に、それは侍女の機転によって阻止され、見慣れぬからくりの閃光に撃ち抜かれたコハク少年は拘束され、刑の執行を待つのみ――となるはずだった。

しかしそこからたった数日、たった数日経っただけで、ヒスイとコハクを含めた大勢が捕らわれていた犯罪組織は全て捕まった。

そしてコハクが捕まっていた小綺麗な部屋よりももっと厳重で暗い部屋――独房に入った。

刑の執行を待つ羽目になったのは彼らの方で、自死対策程度のゆるい拘束でコハクが閉じ込められていたのは、軽犯罪者用の拘留所だったのだ。

あれだけの事をしでかしたにも拘わらず、保護された他の奴隷と同じように、コハクにも平等に自由へのチケットが渡された。

孤児院でしばらく過ごして、里親に引き取られるか卒院して働くか、何不自由無く生きて来た者にとっては制約の多い選択肢に聞こえるだろう。

しかしコハクたちにとっては夢にまで見たものだった。

殴られる事なく、罵られる事なく、足を止めた者から処分される地獄のような生活の終わり。

自分の力で稼いで、自分の足で好きな場所へ向かう権利。

そんな普通の生活を、彼らはこの上ない自由だと感じた。


しかしコハクに声を掛けたのは、里親候補の夫婦などでは無かった。


――・・・・・・

『君かね、儂の薬草園に入った泥棒と言うのは』

『だったらなに。おれアンタみたいなジジイにようないんだけど』

『はは、これは聞いた通り、元気の有り余った子だねぇ』

『は?アンタおれのことしってんの?』

『そりゃあもちろん。言ったろう?儂の薬草園だと。君が毒矢に使った植物は、君の標的のお父さんから儂が管理を任されていたものだよ』

『……ああ、アンタあのいえのひと?なに、セッキョウでもしにきたの?それともおれのことドロボウだってうったえるつもり?』

『……だったら、どうするかね?』

『…………はあ。ごめんなさい、もうしません、スゴクハンセイシテマス、コウカイデイッパイダァ』

『…………』

『……ちっ。ねえ、ほんとうにあやまるからさ。みのがしてよ……おれやっと、やっとじゆうになれるんだ。こじいんってとこはいれば、だれかひきとってくれるか、そのままそついん?してはたらけるんだって。だから、おねがい。おれをゆるしてよ』

『……うん、やっぱり君は利口な子だねぇ。今どうすれば一番望みに近づくのか、よく考えられる子だ』

『えんぎだっていいたいの?ほんとだよ、ほんとにはんせいしてる。しんじてよ……』

『うたがっちゃあいないさ。ただ、君はこの先どうしたいのかと思ってね』

『おれ?……はたらきたい。もうおとなにしたがうのは、イヤだ……』

『……薬草の知識を活かすのかい?』

『え……?いや、かんがえてない……だって、どくはころすためのものだし……』

『君の境遇は粗方聞かせて貰ったよ。儂には想像もできない毎日をおくってきたのだろう。それでもあえて聞きたい。……植物は、嫌いかね?』

『……わかんない……』

『そうか、ではひとまず、植物かれらを知ってみるのはどうだね?まずはあれらが毒であり――薬である事を知ってみるのは』

『……で、も……おれは……』

『大丈夫。儂の勘によれば、君には医師の素質がある。あの屋敷では儂の次に、薬草を的確に扱っていたからね』

――・・・・・・


当主もその娘も変わり者だが、屋敷ではそのふたりよりも古参である専属魔法医術師の老人は輪をかけて変わり者だった。

雇い主の娘を殺そうとしたコハクを、自ら弟子にしたいと進言したらしい。

彼は根拠として、植物だらけの温室において正しい植物を探しあて、目的の部位だけを正確に摘出ぬすみだし、他の薬草を荒らす事無く立ち去った事を挙げた。

彼は医者の卵として申し分無い薬草の知識を持ち、それがいかなる効果をもたらすかを毒に特化しつつも理解していた、あの齢で。

過酷な環境がそうせざるを得なくさせたとはいえ、ユーリックは痛く感心した。

何よりも、所狭しと育つ他の植物に、故意ではないものも含めて一切の危害を加えなかった点を評価していた。

その点に関しては『ただ興味が無かっただけでは』という意見もあったが、ユーリックは意見を曲げなかった。

そこに彼の本来の資質があると信じ、古株で国でもトップクラスの実力を持つ魔法医術師の意見を無碍にもできなかったライラック公爵――というよりサリエ――から、最終的にコハクとの面会及びスカウト権利を勝ち取ったのだった。


そしてコハクの承諾もグレーゾーンながら得る事に成功し、コハクははれてユーリックの弟子となった。

『コハク』という名前は、ユーリックが『ヒスイ』に倣ってつけたものだ。


ユーリックはあまり弟子をとるタイプではなく、教え子は数多くいるが、住み込みの愛弟子などいた事はない。

しかし、コハクは日を追う毎にユーリックに懐いた。

勉強を強要するわけでもなく、当然怒鳴る事もなく、ユーリックはひたすら、コハクに対して質問をした。

この植物はなんだと思う、と。

コハクが『こういうふう加工してどくにする』と答えれば、『そこでこうするとこんな症状を治せる』と答えた。

コハクの持つ毒の知識に頷きながら、己の持つ薬の知識を分け与えた。

同じ薬草を使用しているのに、全く違う効果がある事を知ったコハクは、どんどんその知識欲を膨らませていった。

そして『これは何か教えろ』、『この本が読みたいから文字を教えろ』、『この論文を書いた奴の他の論文を読ませろ』などと要求するようになった。

これでは直系の弟子というより乞食のようではないか、と不満を言ったところ、ユーリックは可笑しくてたまらないといった風に笑ってから、『君は私の一番の弟子さ』と言った。


懐かしいな、とコハクは想いにふける。

エンドローズは、今しがた見分け方を教えたそっくりな植物を見比べて、うんうんと唸っている。

彼女とは暫く、互いの安全を考えた上で会わないよう言われていた為、最初は面倒ながら逃げ隠れしたものだ。

いつも公爵の近くにいる薄紫の髪に眼鏡の、女のような男が師匠に釘をさしていたのを見たコハクは、師匠の困り顔に苛立って徹底的にエンドローズを避けてやった。

ただでさえ鈍い少女を、殺し屋として育てられたコハクが避けるなど容易い。

しかし段々と活発になり移動範囲の広がるエンドローズを避け続けるのも次第に工夫が必要となり、それを見かねたユーリックがコハクの離席中に勝手にサリエに話をつけたのだ。

敬語も問題なく使えるようになったし、要領が良いためか最低限の礼儀も知らぬ間に身につけていた、そろそろ問題はないんじゃないか、と。

サリエは苦言を呈したが、最終的には折れたらしい。

が、またしても師を困らせた事にはやはり苛立ちを覚えたので、コハクは未だにサリエとぎくしゃくしている。


「コハクくん!こっちがツキナシソウで、こっちが……ツキゲシソウ!どうかな?あってる?」


「……お嬢様……残念だけれど……」


「そんな……!?」


「……だーいせーかーい!おめでとう!」


悲し気な顔をして不安を煽り、それを裏切るように祝福したコハクに、エンドローズは一瞬呆気にとられる。

しかし状況を理解すると、一気に脱力した。


「な、なんだ……外れてたのかと……」


「いーえ?やっぱり記憶力いーですね、お嬢様。上出来ですよ」


「ほんとう?えへへ、ありがとう!」


コハクはかつて殺そうとした少女と、つかの間の団らんを過ごす。

歪んだ希望は潰え、命を奪う為に学んだ知識を、今は人を救う薬として学び直している。

自分で稼いでいる訳でもなければ、親ができた訳でもないが、コハクは今、己は自由なのだと心から実感していた。

良い師に出会い、勤勉な友人ができ、上司と不仲になる事ができる。

何より、もっとたくさん学びたいという欲求と……魔法医術師になるという夢もできた。

五年前、全てが変わったのだ。


「お嬢!?また来てたのか!?おいコハク、お嬢に手ぇ出してないだろうな!」


「今更来たの?ウワー、おじょーさまー!ヒスイがこわいよータスケテー!」


「ヒスイ、コハクくんが怖がってる!一番長いお友達なんだから仲良くしよう?」


「お嬢、」


「お嬢様、」


コハクとヒスイは神妙そうな顔で、同時にエンドローズへ向き直った。


「「友達ではない」よ」


息の合った友人二人に、エンドローズはにっこりと笑った。

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『神様!私原作未プレイですが!?~ガリ勉ぼっち優等生だった私ですが転生したので悪役令嬢?目指します~』 古雨 @hurusame

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