Play#36 再来


「本日はここまでに致しましょう、エンドローズ様」


「かしこまりました。本日もご指導頂きありがとうございます」


もう五年の付き合いとなるマナー講師、マーサ夫人に、エンドローズは淑女然とした優雅なお辞儀をしてみせる。

白髪混じりのグレーの髪をお団子に結ったマダムは、金縁の上品な眼鏡を外して困ったように笑った。


「礼儀作法としては素晴らしいですけれど……エンドローズ様、何度も仰っていますが少々腰が低すぎますわ。公爵家の令嬢なのですから、もう少し威厳があっても良いくらいですよ」


「う、はい……そうですよね……。どうも苦手で……」


がっくりと肩を落とすエンドローズに、それでもマーサは苦笑した。

最早癖と言うべきか、生来の資質として、エンドローズには『偉ぶる』という機能が存在していないのだ。

ここ数年ですっかりそれを理解し、それ以外は極めて勤勉で優秀な教え子であるエンドローズに対して、マーサはそれを長所とする事にした。


「いいえ。それが貴女の良い所なのですから、お咎めしたいのではありません。ただ……社交界ですと少々、特にお話し相手のご令嬢に対しては、不便に働く場合もございますから」


要は、舐められやすいのである。

どこの世界でも、貴族も庶民も関係なく、女の社会は戦場なのだ。

常に弱味を握られぬよう、弱点を晒さぬよう。

舐められぬよう、主導権を離さぬよう。

でなければ一瞬で足元を掬われ、気付けば孤立無援と化し、己は踏み台と成り下がる。

そう経験則で結論付けているマーサだからこそ、孫ほども歳が離れた努力家な教え子を心配しているのだ。


「はい、気をつけます……」


ぺこりとお辞儀をして、エンドローズはマーサ夫人が退室するのを見送る。

先日12歳の誕生日を迎え、その日の夜に盛大なパーティの主役として振舞った故に、まだ疲労がとれていない気がしてならない。

毎年誕生日にはパーティが開催されるのだが、今年ほどの規模ではなかった。

どうやら、社交界での女性の成人は12歳とされているらしく、どこの家も貴族ならば12歳を盛大に祝うのだとか。

厳密には『成人』という括りは男性のみにしかなく、貴族も庶民も関係なく16歳を成人とするらしい。

故に女性が12歳で成人というのは暗黙の了解に近く、はやい者はこの段階で結婚までするという。


『つまり女性の成人というのは“結婚しても倫理的に問題の無い年齢”を指すのです。これは庶民も変わりませんわ。ただ庶民の場合は内輪であったり、あるいは恋愛を経てある程度自由意思のもと結婚するのに対し、“結婚”の持つ意味合いや影響力の強い貴族は決まって12歳の誕生日パーティは盛大に致しますの。……こういっては少々品がありませんが、要は“我が家には結婚できる少女がいる”という貴族同士の繋がりの為のお披露目から生まれた文化なのです。全く、女性をなんだと思っているのやら……失礼、今のわたくしは悪い見本ですから参考になさらないで下さいね』


これは少し前のマナーレッスンでのマーサの台詞だ。

マーサは若干男尊女卑を感じる貴族社会に思うところがあるらしく、この時は大変珍しい事に少し愚痴めいた事を零したのだ。

エンドローズとしては、前世で暮らした国にも大昔には似た風習があったと記憶しているし、それは海外でも似たり寄ったりであった。

故に、『女性は少女とはいえ貴族社会の繋がり、ひいては結婚の為の道具である』という価値観に、特に驚きはしなかった。

前世より少し前時代的なこの世界の事だ、多様化真っ盛りだった前世と比べて男尊女卑の色が濃いのは不思議ではない。

そう考えると、マーサのように常識的に浸透した価値観に対して憤りや意見を持ち、更には理論的に言語化まで出来る女性は革新的だと思う。

こういった女性が立ち上がる事で、前世では女性の地位が向上していったのだから。


そんな事を考えながら、エンドローズは庭園内のとある場所へ続く外廊下を歩いた。

レイとヒスイは、パレスフィア邸内という事もあって、別業務にあたっている。

以前まではどこに行くにもレイがついてきてくれていたし、レッスン中もひたすらじっと待機してくれていた。

ヒスイも来てしばらくはレイと同じようにしてくれていたが、つい最近エンドローズが直接お断りした。

理由は二つ、ひとつはエンドローズ自身、目を配っておかなければならないほどの虚弱体質ではなくなったからだ。

五年間毎日少しずつ運動し、食事もバランスよくきっちり三食たべれば、流石にそれなりの体力がついた。

そしてマナーのレッスンと家庭教師との勉強に慣れて来たタイミングでそれを二人に伝えた。

余程心配してくれていたらしく、説得には少々の苦労を要したが、それでも最後には首を縦に振ってくれた。


そして二つ目の理由だが、実はパレスフィア邸は公爵家にしては使用人の数が少ない。

五年前までのエンドローズの評判の悪さで使用人が中々長く続かなかった事に加え、記憶を取り戻したエンドローズは性格が改善した事と引き換えたかのように『忌み子』である事が判明してしまった。

故に中々思うような人材が採用できずにいたりする。

どちらにせよエンドローズは自分が原因であると自覚している為、エンドローズのレッスンが終わるまでの無の時間を他業務に譲りたかったのだ。

実際レイはエンドローズに付き従う時間が長かったとはいえ、それなりに長く働いている為、戦力として十分に機能した。

ヒスイにも、眠る時間を削って文字を覚えたり鍛錬をしたりするより、自分のレッスンの時間を有効に使って夜はしっかり寝て欲しいとエンドローズが懇願したところ、渋々といった様子で承諾してくれた。


それらの事情により、邸内においてエンドローズはひとりで行動する事が増え、レイに加えて最近はヒスイも屋敷の主業務を担う姿を見るようになった。

流石に来客が来た時にエンドローズが対応する時は、二人揃って控えてくれているし、レイに関しては洗顔などの身だしなみを毎朝サポートしに来てくれるので、顔を合わせる機会が失われた訳ではない。

しかし毎朝レイが無表情ながら名残惜しそうな目をしている気がするので、お茶の時間の給仕担当をお願いしてみたところ、余程張り切ってくれたらしくエンドローズが中庭のガゼボに来る頃には決まって完璧に整ったテーブルと淹れたてのお茶が用意してある。


が、しかし。

それはお茶の時間の話であって、午前のマナーレッスンと昼食の間である今ではない。

ではなぜ、エンドローズがこの時間に庭園内の外廊下を歩いているのか。

それは最近師に加わったとある人物に会いにいくためである。


「こんにちは、いらっしゃいますか?ユーリック先生」


「やあ、いらっしゃい。エンドローズ様」


ガラス張りのシンメトリーな温室。

外から見ても分かる、様々な植物が鬱蒼と育つその『診察室』の主であり、パレスフィア邸専属魔法医術師のエドワード・ユーリック。

まだまだ密度の衰えぬ白髪と髭を携えた、いかにも温厚そうな背の低い老人こそ、エンドローズの目的であった。


「またいらっしゃったのですね。勤勉なのは素晴らしい事ですが、休憩も肝心ですぞ」


「?はい。ですので休憩として、予習も復習もせず先生のお話を聞きに参りました。もちろんお仕事がございましたら、そちらを優先して下さい」


エンドローズはきょとんとしつつ、にこにことユーリックの質問に答える。

ユーリックはやれやれと溜息をしつつも、どこまでも真面目で勤勉なエンドローズを拒みはしなかった。

植物や医療の話など年頃のご令嬢からすればつまらぬものだろうに、エンドローズはそれすら興味深そうに教授し、時々ユーリックも感心するような返しをする。

根っからの教師気質なユーリックとしては、学ぶ事に意欲的な少年少女の気持ちを無碍になどできるはずもなく。

仕事の少ない時は彼自身も休憩がてら、少し前に遊びに来るようになったエンドローズに温室の案内やら植物の解説やらをしているのだ。

そして仕事が立て込んでいる時は、案内役の代わりをもう一人の教え子に頼むのだ。


「申し訳ないのですが、今日は論文の作業にかかりきりになりそうで……あの子がもうすぐ戻ってくると思うので、彼にまた教えて貰っていいですかな?」


「はい、もちろんです!彼は私の先輩ですので!」


意気揚々とするエンドローズの背後で扉が開く。

扉の隙間から伸びた手には、錆びた斧が握られていた。

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