Play#35 婚約者の特権なのだから
エンドローズは努力した。
公爵令嬢として恥じないマナーを覚え、茶会の招待にも積極的に応じた。
しかし前世での生涯友人数1という絶望的なスコアを持つエンドローズは、ただでさえコミュニケーションが達者ではないのに、上流階級特有の社交辞令を含めた暗黙の了解を察するなんて器用な事はできなかった。
故に、形だけ上品に扇で口元を隠して行われるような、貴族社会の醜聞や皮肉の応酬にめっぽう弱かった。
要するに、空気を読めなかったのである。
どこの貴族の嫡男が浮気したらしい、婚約者が可哀想、なんて言われれば、件の人物の名前と立場、お家柄を思い出すのに必死になって、『浮気相手に負けるような婚約者』を水面下で笑いものにしている事には一切気づけない。
『エンドローズ様もお気を付けになった方が良いかもしれませんよ』なんてクスクス笑われながら言われても、『お気遣い痛み入りますわ。恋愛というのは難しいのですね』なんて焦りつつものほほんと返してしまう始末。
周囲の視線が生暖かいのは己のマナーがまだ未熟だからだと解釈して焦り、より優雅な動作を意識する割には台詞が呑気過ぎて、周囲の立場が強い家の令嬢達は毒気を抜かれてしまうのだ。
故にからかいがいが無く、優秀なのに呑気で、他の令嬢に媚びる事も知らないエンドローズは、気位の高い令嬢やその周囲の女性ほど、『社交辞令もせず空気も読まないお高くとまったぶりっ子令嬢』だと、事実に尾ひれ背びれ足ひれをつけて噂されていた。
一方、エンドローズの優秀さは徐々に広まりつつある。
前世の記憶持ちというイレギュラーであるが為に、12歳とは思えぬ――実際に違う――優秀さを勉学で発揮していた。
エンドローズの前世と今世では、学力の水準が異なり、ただの令嬢くらいならそこまで勉強はできないもの。
前世と同じくらい発展している学問もあるが、それを専攻して職としている学者が知っているものであったりする。
つまりは、前世で少しやり過ぎなくらい勉学に励んでいたエンドローズは、12歳にして学者並の学問的知識を持つ神童とまで言われていた。
更にマナーや礼儀も兼ね備え、珍しいが美しい赤い髪と瞳を持ち、トップクラスのお家柄でありながら、それを驕らずに下級貴族の令嬢にもフラットに接するエンドローズは、身分が下の者にほど好かれる傾向にあった。
悩み相談を受けたり、勉学を共にしたり、それらにも嫌な顔ひとつせず笑顔で接してくれるエンドローズは、下級貴族家の令嬢の憧れとなりつつあったのだ。
以前まであった『引きこもりで我儘で情緒不安定の癇癪持ちで、物語ばかり読んでいる夢見がちな公爵令嬢』というイメージを、エンドローズは見事に努力で払拭しつつあった。
代わりに別の悪い噂が出回っているが、立場上やっかみをつけたがる輩は後を絶たないのだから、ある程度は仕方がない。
それでもエンドローズを好いてくれる人間がちらほら出始めたのは、大きな成果だった。
(……君は気づいていないのだろうけど)
リオンはワルツのステップを踏みながら、足元を見ないよう一生懸命顔を上げて笑顔を維持するエンドローズを見つめた。
エンドローズは足の動きに集中し過ぎていて、エンドローズより背の高いリオンの胸元の宝石をじっと見つめている為、リオンがずっと自分を見ている事には気づいていない。
そのシングルタスクぶりが可愛くて、リオンは周囲の
リオンの為に一生懸命覚えたダンスを失敗したくなくて、その一点にのみ集中するエンドローズの思考を遮りたくなかったからだ。
せっかくリオンの事で婚約者が頭をいっぱいにしているのだ、良い噂も悪い噂も邪魔でしかないだろう?
(……『応えろ、従え。氷の大精霊に連なる妖精たち。我が
「――『
「え?」
一瞬、ひやりとした感覚と共にリオンが何か呟いた気がして、エンドローズは足への集中を緩める。
「どうかした?ローズ」
「あ、いえ……」
「そっか。なら踊ろう。ほら、遅れてきているよ」
「!は、はい……っ」
リオンがそう言えば、エンドローズはあっさりとダンスに思考を費やす。
先程よりも周囲の声が遠くなった気がして、よりステップと表情管理に集中出来た気がした。
エンドローズが気のせい程度に思っているそれは、リオンの魔法である。
氷の大精霊たるウーラヌスから、五年前リオンが授かったのは『停滞』の祝福だった。
ウーラヌスはかつて一柱の創造神から別れた七柱の大精霊のひとつとされ、氷、酒、静寂など様々な概念を司ると言われているが、そのうちのひとつが『停滞』である。
神話上では神と同等の扱いをされる大精霊は、時たま御目見えの儀式で
それは並大抵の妖精が与えるバフ程度の加護と異なり、幸運な子供は『概念そのもの』の祝福を得る事ができた。
ウーラヌスを国をあげて信仰するインヴェルノ帝国では、かの神から概念の祝福を与えられたものほど、次の指導者として有力になるとか。
『概念』は『氷』や『火』といった純粋なものであればそれらの扱いに劇的に秀でる、といった単純なメカニズムで済むが、『停滞』や『静寂』といった複雑なものは扱いが難しいとされている。
その者がどのように解釈し、どれほど扱いきれるかによって魔法の質が異なるため、よく言えば無限の伸び代があり、悪く言えば手に余るのだ。
しかしリオンは、『停滞』を器用にオリジナルの魔法に昇華した。
神の子とまで言われるリオンの所以は、その見た目だけに留まらないという訳である。
(……風の妖精が少なくて良かったな)
リオンは上機嫌にワルツを踊る。
リオンの『
今はまだ研鑽中故に強大すぎるものにはあまり影響させられないが、イタズラ好きの弱い低級風妖精くらいなら、リオンを気に入ってついてまわる大勢の氷の妖精たちで制圧できた。
リオンによって『停滞』の概念が濃くなった氷の妖精たちが、風の妖精の動きを鈍らせる事で、必然的にリオンとエンドローズには風が届きにくくなり、風の大精霊と同じように『噂』好きな風の低級妖精たちの要らぬお節介は聞こえにくくなった。
リオンはエンドローズを引き寄せて、ふわりとターンをしてみせる。
完全に主導権をとられて優雅に振り回されたエンドローズは、自分を抱き寄せるようにして見下ろすリオンを見上げる。
というより、バランスを後ろ側に大きく崩した状態でリオンに支えられているので、必然的に彼の大きな空色の瞳が視界に入った。
燃ゆるような赤が真っ直ぐに自分を見た事に機嫌を良くして、リオンはうっそりと微笑む。
「君は、生涯僕だけを見ていればいい」
「?いえ、それは主じん……じゃなくて、将来のお妃様の役目ですので」
頑なに妃になる意志を示さないエンドローズに、愛しさに似た敗北感を感じて、リオンは
キザな暫定婚約者の素振りを遠くから見ていた筆頭侍女と護衛の少年は、互いに優秀故、面白くなさを器用に無表情の仮面の下に秘して、会場の隅に控えた。
普段は若干いがみ合う従者たちであるが、この時ばかりは内心で仲良く舌打ちをした。
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