Play#34 最初のダンス
薔薇のような赤い髪、燃えるような赤い瞳。
そして唇に葡萄酒のように赤い紅をさした少女は、もう数年来の中となった筆頭侍女のレイに促され、鏡を見た。
「よくお似合いでございます、エンドローズお嬢様」
「そ、そうかな……?たぶん、レイが上手なだけだと思うよ」
「ご謙遜を」
謙遜じゃないんだけどなあ、とエンドローズは緩く首を傾げる。
レイは相変わらず表情の変化に乏しいが、何年も一緒にいれば細かな機微にも気付くものらしい。
化粧の終わったエンドローズを見るレイは、どこか満足そうに見えた。
「――失礼します。……お嬢、時間だ。そろそろ行くぞ」
ノックと共にエンドローズの部屋の扉が開く。
返事を待たずして開けるのは、もうとっくに見知った間柄となった証拠である。
子供用に特注された燕尾服に身を包み、エンドローズより少し背の高い緑髪の少年は、ドレッサーの前に座る主人を呼んだ。
「あ、うん!今行く!行こっか、レイ」
「どこまでもお供致します、お嬢様」
普段着として着ている普段の落ち着いたドレスに比べて、今日のドレスは歩きづらい。
薔薇の形の布飾りとキラキラのパールを上品にあしらい、煌びやかながらも子供らしいフリルをふんだんに使った、真っ赤なドレス。
わさわさとしてただでさえ歩きづらいのに、今日の靴は踵も高いのだから大変だった。
「お待たせ、ヒスイ」
「…………」
「ヒスイ……?ど、どこかへん……?」
「いや……」
特別な日に相応しいおめかしを施されたエンドローズを見て、護衛の少年は暫し沈黙する。
不安になってエンドローズが確認すると、ヒスイは努めて維持したポーカーフェイスをふわりと融解させて、慈しみの籠った顔で微笑んだ。
「馬子にも衣裳だな、思ってな」
「う……っ!」
「冗談だ、似合ってるよ」
「ほ、ほんと!?」
素直過ぎるくらいに落ち込んだり、逆に舞い上がったりする主人に、ヒスイは白い手袋に包まれた右手を差し出す。
五年前の怪我の後遺症で、未だに時々、その右腕は痺れを訴える。
それだけ当時食らった毒が悪い意味で優秀だったのだが、ヒスイはそれを嫌ってはいなかった。
それは幼稚であまりにも世界が狭かった己の過ちを忘れさせない為の咎であり、同時に守りたいと思える存在を見つけたコンパスなのだから。
ヒスイはもうとうに過ぎ去った記憶に想いを馳せて、すぐに振り払うように切り替えた。
今はそんなこと重要じゃない、今日は主人のハレの日なのだから、それだけに集中したかったのだ。
「お手をどうぞ」
「うん……じゃ、じゃなくて!ええ、ありがとう」
護衛と兼ねて、最近は側近としての役割もこなすようになったヒスイの手を取って、エンドローズはこの五年で習得した『上流階級敬語』を意識する。
本日は今までの己のイメージを払拭する数少ない機会なのだ。
令嬢として成長した姿を皆に覚えてもらわなきゃ!
エンドローズは、付き従うレイと、エスコートをするヒスイと共に、パレスフィア邸の大広間へと向かう。
今宵、エンドローズは12歳の誕生日を迎えた。
***
パレスフィア邸大広間では、招待された多くの賓客が、立食形式のパーティで主役を待っていた。
その胸の内には各々の思惑があり、今宵の宴で主役を含め最も品位の高い来賓である『彼』も、大扉が開くのを待っている。
彼は、エンドローズより一足はやく12歳を迎えた、プリマヴェーラの第一王子こと、リオンである。
7歳の時に出会った何よりも荒唐無稽な婚約者と最初に踊る権利を持つ彼は、12歳とは思えぬほどの大人びた雰囲気と、誰もが見惚れる甘いマスクであるのに、どこか近づきがたいオーラを放つ少年に成長していた。
彼を慕う令嬢の間では、そのオーラは『神域』と呼ばれている。
「皆さま、今宵は娘の為にお集り頂きありがとうございます」
公爵家現当主、ライラック・パレスフィアが挨拶をする。
いよいよ本日の主役が現れる、という雰囲気にだれもが大扉を窺い、リオンもまた変わらぬ微笑みを湛えてそちらを見た。
ライラックの短い挨拶と合図と共に、ついに扉はゆっくりと開かれる。
「……!」
それは薔薇だった。
可憐で、今まさに咲こうと首を擡げる、一輪の薔薇。
真っ赤なドレスの花びらのようなフリルを纏い、生来の吊り目を穏やかに細める彼女こそ、今宵12歳という節目を迎えた公爵令嬢、エンドローズ・パレスフィアである。
「……皆さま、本日はわたくしの為にお集り頂き、ありがとうございます。ご紹介に預かりました、エンドローズ・パレスフィア、ですわ」
エンドローズはエスコートしていた緑髪の少年から手を離し、そのまま流れるように右手でドレスの裾をつまむ。
そして行儀よく指を揃えた左手を胸にあて、お手本のようなお辞儀をした。
会場中は暖かな拍手で満たされ、意図的に人の払われた大広間の中央へ向かうエンドローズは注目の的となる。
それもそのはず、彼女が婚約者の手を取った瞬間がダンスパーティの幕開けであり、ファーストダンスを踊る主役とその婚約者は、未来の社交界を見据える者たちにとって最もホットな話題なのだから。
そんな値踏みのような視線に気圧されながらも、エンドローズはなんとか微笑みを保って大広間の中央へ辿りつく。
そこで待っていた現時点での婚約者であり、近い将来で婚約破棄に至る予定のリオンである。
それまでは第一王子のお相手に相応しい令嬢でなくては、とエンドローズは五年間研鑽を積み重ねた。
上流階級敬語も驚くほど上達したし、今だって第一王子相手に相応しいお辞儀をして見せている。
そんな可笑しな使命感のもと、恐ろしさや怯えを懸命に笑顔に隠しているであろう婚約者を、リオンはうっとりするような笑みで見つめた。
おかしくて、めずらしくて、己を飽きさせない珍獣――否、今の彼女なら珍しい植物と例えるべきか。
リオンはそんなエンドローズを、この五年間でますます気に入っていたし、故に婚約を解消するつもりなどさらさら無い。
エンドローズは、『リオンが運命の恋に落ちて己との婚約を解消する』という考えを当然のように信じていて、今までそれを覆す事なく、いつか袂を分かつらしいリオンの為に健気に努力を重ねていた。
一体いつまでそんな事を言い続けられるのか見物であるし、それを見届けるまでは婚約を解消するつもりはないのである。
犬や猫がたかが無機物な玩具に対して、無意味な努力や威嚇をする様を見るような、そんな支配者側の愉悦がこの天使のマスクの下にあるなどと、誰が想像できようか。
「今日の君は、本当に薔薇のようだ。……綺麗だよ、エンドローズ」
「お褒めいただき光栄ですわ、リオン王子殿下。……ぇっと……殿下もとても素敵ですわ、なんだか王子さまみたいで」
リオンは吹き出しそうになるのをぐっと堪える。
目の前にいるのは正真正銘の王子なのだが、我が婚約者ながら寝ぼけているのだろうか。
これに一切の含みや嫌味がなく、一生懸命褒め返そうとした結果だというのだから、相変わらずの思考回路だ。
全く飽きる気配が無くて、リオンすら時々困惑する。
「その『王子さま』としては、最初に君と踊る権利を頂きたいのだけれど。エンドローズ・パレスフィア様、僕と踊って頂けますか?」
「……はい!もちろんですわ……!」
優雅に左手を差し出したリオンに、エンドローズは覚悟を決める。
社交ダンスは今世が初めてであるし、体力がそれなりついて安心できるまで待っていた為に、ダンスのレッスンが始まったのは数ヶ月前であった。
七日のうちに1、2回、最近は少し増やして3、4回にして、今日に間に合うように特訓を積んできた。
前世譲りの決して悪くはない運動神経も相まって、お見せできないほど不格好、という出来ではないはずだ。
しかし、それでも大勢の前で踊るのは今夜が初めてであるため、エンドローズは昨日あたりからそれはもう緊張していた。
その現れか、エンドローズのぎりぎり保たれていた優雅な微笑みはぎくりと強張り、眉根にうっすら皺が寄ってしまっていたが、リオンはあえてそれを指摘しない。
その程度で幻滅するような神経は持ち合わせていないし、そもそもとして他人の表情の変化ひとつで感情に影響が出る事はほとんどない。
全ては客観的評価の材料でしかないのだ、エンドローズを除いては。
すっかりエンドローズが『興味関心』の対象となっているリオンからすれば、その変化すら微笑ましい観察対象である。
なので指摘するなどもっての外、ありのままの彼女を観察する事に意義があるのだから。
エンドローズがリオンの手をとり、リオンがエンドローズの腰に手を添えたのを合図に、音楽隊による演奏が始まった。
「あの方が噂に聞く公爵令嬢?何よ……大した事ないじゃない」
「忌み子って本当なの?リオン様、どうしてあんな厄介な子と婚約なんて……」
「聞けばあの子、お茶会でも問題児だそうよ。他の令嬢を立てずに知識をひけらかすんですって」
「このままではパレスフィアが更に力をつけてしまうな。あの忌み子の醜聞さえ掴めれば……」
「第一王子派にパレスフィアがつくのは厄介だ……いっそ第二王子と婚約させられれば我々も……」
会場の空気は二分していた。
一方は、エンドローズの見た目や所作、忌み子である事や社交界の噂を悪く捉え、邪魔な存在として都合良く扱う者たち。
そして他方は。
「見て……エンドローズさま、なんて素敵なの……まさに
「お噂によれば、かなり博識で勉強家なんだとか……」
「リオン様は優秀過ぎて高嶺の花でしたけれど、エンドローズ様でしたらもしかするとお釣り合いになるかも……」
「わたくし、茶会でお話したのですけれど……わたくしのような下級貴族にも分け隔てなく接して下さって……」
エンドローズを慕う者達である。
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