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『拝啓
リリィ様、そちらはお体等、お変わりなくお過ごしでしょうか。
私の方は、とてもとても元気です。元気で困りすぎるぐらいです。
例のプランターのカワキドリ達ですが、見事に雛が孵りました。毎日ピーチクパーチクと、うるさく可愛らしく鳴いています。親は、そんな子供達を甲斐甲斐しくお世話しています。何と毛繕いのような事まで。鳥でもそんな事をするのですね。
そちらは今、お祭りの最中でしょうか。雨の都のお祭りって、どんな物なのでしょう。一度でいいから、自分の目で見てみたいものです。その時は案内を頼んでもいいですか。ああ、何と厚かましいお願いかしら。たった一人の血縁者だからって、私は最近、調子に乗りすぎているみたいです。すみません。
知り合いの事務をしている息子さんの事を覚えていますか。その方が、どうも今度転勤で、そちらの雨の都の方に行くらしいのです。そのせいで今は、毎日お通夜のような状態なのだそうです。こんなにも乾いた土地からそちらのような年中雨の降る土地へと行くのですから、カルチャアショックは物凄いものがあるのでしょうね。気持ちは分からなくもありませんが、でも、私からすれば、それって本当に不幸なことなのかしら? とも思っています。友達には言いませんけれども。
そちらでの暮らしは、今はどうですか? 楽しいですか? 嬉しいことはありますか? 毎日、ちゃんとご飯を食べて、時々は友達と息抜きをしたり、遊んだりしたりしているのかしら。そうであることを私は陰ながら祈っております。
最後に昔話を一つだけ。最近思い出した事です。
私、一度だけあなたと手を繋いだ事があるのです。あなたは小さかったから、覚えていないとは思いますが、あなたと、ご家族と、一緒にご飯を食べて、それからあなたとトイレの前で手を繋いでいたのです。何故トイレの前だったのかはあまりよく覚えていないのですが……それよりも、あなたの手が余りにも温かくて、柔らかかったのを覚えています。まるで太陽に触れているみたいな感覚でした。あなたは、私の掌をどのように感じてくれたのかしら? そんな栓のないことを考えたり考えなかったりして過ごしています。
あなたの幸せだけを、いつも願って。
遠くから。叔母より』
仕事は、結果から言えば失敗でもあり、成功でもあった。情報の入手には成功したが、幾らサイレンサーを付けたとはいえ、音に敏感な雨の都で、あの距離からライフルを撃てば、住民から気づかれないことなどあり得ないのだった。
あれからも、雨は緩慢に降り続いている。もう既に、温かかった古い雨はどこかへと消え去ろうとしている。別れを惜しむような、どこか静謐で寂しげな気配が都中を覆っており、沈んでいるようにも見えるが、だがその一方で、新しい雨が少しずつ降り始めていくのを住民達は歓迎しており、雨天祭はその気持ちの移り変わりの象徴のような催し物に見えた。
私の隣では、建設の終わった屋根のある祭りの舞台があり、その前には大きな広場。広場には列を為した屋台が並び、肉料理や砂糖菓子などを売っていて、カラフルな傘を帯びた人々で溢れかえっている。その端に私がいて、黒と白色の傘を差し、馬鹿みたいな顔で呆然と突っ立っている。
仕事がない日は、本当に何をして過ごしたらいいのかさっぱり分からない。
ゲームセンター。パブ。公園。小説。銃の手入れ。レコード。テレビ。頭を空っぽにしながら、ただ窓の向こうにある雨の音に耳を澄ませるような、何もないように感じられる時間。
「お待たせ」と彼女の声が聞こえる。あの日の化粧を完璧に落とした、普段の彼女の姿だった。
「いいや、待ってない」
私がそう言うと、彼女は頬を膨らませて言った。
「もう、そう言うのは雰囲気で、『今来たとこ』とか、『五分待った』とかって言うものなんだよ」
私は笑う。自然に。「誰が言うんだよ、そんなこと」
彼女は自慢げに胸を反らせながら言う。
「テレビとか、漫画とか、小説の人達」
「ふうん」
彼女は不満げに口を結ぶ。
「もう、リリィってば面白くない」
「君にだけは言われたくない」
「あはは」
確かに、彼女との約束には間に合っていた。古い雨が終わりを告げ、これからは新しい雨がこの雨の都に降り注ぎ、都を色々な意味で潤していく。私の部屋のタービンはこれからも回り続けるだろうし、二日酔いもまた続いていくことだろう。
そして隣に立つ、他でもない彼女とのかけがえのない日々も。
「ねえ」彼女が何気なさそうに言う。
傘を差しているせいで、彼女の顔は見えずらかった。彼女は顔を下げて、私の顔を下から見上げてくる。私も自然と、彼女と視線を合わせた。
私は何も言わない。言うつもりもなかった。言いたいことは数え切れない程胸の中にあって、窒息してしまいそうだったけれど、それを自分の中の何処かが強い力で必死に押し留めていた。そして、そういう『本当に言いたいこと』は、今は別の形を取らざるを得ないのだった。例えば、理由のない微笑みとかに。
なんで笑ってるの、と彼女は言う。この都の、唯一の妖精。汚れを知らなかった、そして、今は汚れとは何かということも知っている、唯一の友達が。
気づけば、私は彼女の手を取っていて、それは彼女が先に触れたのか、私からだったのかは分からなかった。でも、その手はとても温かかった。
私はこれからも、この雨の降る都で生き続けていくのだろう。この排他的で、魅力的な世界の中で。そして、時々叔母を名乗る人からの手紙を読み、頭をペンで擦りながら、悩み抜いて拙い手紙を書き連ねて送ったりもするのだろう。
そして、いつの日か、傍の彼女と共に、彼女の元を訪れたりもするのかもしれない。この都に一本だけ通っている、外の国と繋がっている小さな鉄道で。その時は彼女も、一緒に来てくれるのだろうか。彼女は多分、断らないだろうな、と私は思う。
彼女の横顔を見る。素朴で、色白の、どこにでもいそうな彼女のありふれた横顔を。都の天使の横顔を。
「何見てるの?」
彼女が微笑み、私を見ている。私は理由のない微笑みを浮かべ、彼女から目を逸らした。
目の前の屋台を行き交う無数のパラソル達は、私たちのいる場所からは、まるで一つの花畑であるかのように見える。
引き金を引き続けてきた、私の血に塗れた指を、彼女は温かく、包み込むように握ってくれている。
私はその温もりを裏切らないように、そっと握り返す。
雨は今も降り続いている。
今日も都には雨が降る。
了
今日も都には雨が降る 幽々 @pallahaxi
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