漂流

@nisina_seven

漂流

ある青年が無人島に漂着した。

彼は勤めていた貿易会社で重大なミスを犯し、会社を辞めざるを得なくなった。

そのうえ、家族や兄弟との関係も元から良好でなかったのがこれを機に悪化し、親族からの援助に頼れなくなってしまった。

一念発起して再出発を図るべく、異国の地で職を探そうと乗った船が未曽有の暴風雨に遭い、気が付くと見知らぬ島に流れ着いていた。

青年は、はじめ他の生存者を探したが、人どころか船の部品さえ流れ着いたものはほとんど見当たらなかった。

「これは俺への罰に違いない」

青年は誰にいうわけでもなくそう呟いた。

「人との付き合いを疎かにして、面倒だからと怠けていた俺に、天が与えた罰だ。そうでなければ、誰もいない土地に独り俺を置き去りになんかしないだろう」

とにかく、彼は食料と飲み水、それに住居の確保に取りかかった。

しかし、半日かけて島を何度も見て回っても、何本か木が生えているばかりで食べられそうなものは何もなかった。

青年は観念した。

「俺はもう終わりだ。明後日当たりには枯れて死んでいるだろう」

喋っているうちに、喉が少しずつ比喩表現ではなく本当に乾き始めているように感じた。

男は天に祈った。

「ああ、せめていっぱいの水。いっぱいの水だけでもお恵みくださいませんか。私は今にも死んでしまいそうなのです。今までの怠惰をお許しください」

その時、男の気持ちとは裏腹に快晴だった空が影に包まれた。

はじめはひとつ、ふたつと雫の落ちる音が聞こえるだけだったが、やがて男の周りを水の落ちる音が包み込んでいた。

雨である。

男は天に感謝した。


しばらくして喉が潤うと、欲張りなもので男は腹が減っていることに気が付いた。

青年は再び天に祈った。

「二度目の願い、お許しください。ただ、腹が減って死にそうなのです。どうかこの私に食べ物をお与えください。ここには何も腹を満たせるものがないのです」

しかし、天は何の反応もない。

さっきの雨は偶然の出来事であったようだ。

「いよいよ、俺も死ぬときが来たようだ」

そう思うと、いままでよく思っていなかった自分の家族のことが、急にいとおしく思えてきた。

こんなことになるのなら、もう少し彼ら、彼女らのことを愛していればよかった。

男は生存者が見つからなかったときよりもずっと心細かった。

気が付くと、何かに躓いて転んでいた。

見るとそれは旅行鞄だった。

青年の乗っていた船の乗客の誰かが持っていたものだろう。

もしや、と思い中を開けてみると、幸運にも鞄にはいっぱいのカップラーメンがあった。

男はまたもや天に助けられた。


腹が膨れると今度は余計に寂しさが募ってきた。

もう二度とふるさとには帰れないだろう。

せめて誰でもいいから俺の話し相手になってくれないだろうか。

しかし、それも無理な話だった。

青年はさんざん島中を歩き回って他の生存者を探したのだ。

この島に他の生存者はいない。

自分の国にいたことをことを思い出した。

青年には恋人がいたことが無かった。

奥手なのもあったが、まだ青年は若かった。

「一度でいいから、誰か素敵な女性と夜を共にしてみたかったなあ」

その時、遠くから二度と聞くことはないと思っていた音が、確かに青年の耳に入った。

女の声だ。

青年はあたりを見渡した。

暗くなってきていたが、たしかに向こうから人影がやってくるのが見えた。

それは美しい女だった。

歳は青年をほとんど変わらないか少し下くらいだろう。

「よかった。他に生き残りがいたのね」

女は笑った。

「君はどこにいたんだ。なんども島中を回ったのに」

女はそれにこたえなかった。

ただうれしそうに微笑むだけである。

まあいい、他に人がいるなんてこんなうれしいことはない。

「腹が減っているだろう。食料を見つけたんだ、食べるかい?」

「どうしてこっちを見ないの?」

女は不思議そうに尋ねた。

青年はそっぽを向いていた。

女性をほとんど喋ったことが無かったというのもあるが、最大の理由は女性が裸だったことだ。

「君はどうして裸なの?」

「だって濡れた服を着たままじゃ風邪を引きそうなんだもの。こんなところで病に倒れたら助かりそうにないわ」

「身体を隠せそうな植物を探してくるよ」

男はそう言って、草の生い茂る方に向かおうとした。

女は手を引っ張ってそれを止めた。

「必要ないわ。ココにはあなたと私しかいない」

「わ、わかった」

男はどぎまぎした。

女性の裸なんてほとんど見たことがない。

「それじゃ何か食べる?」

女に向かって尋ねた。

女は微笑んで答えた。

「いらないわ。それよりももっと楽しいことをしない?」

「楽しいこと?」

「私達でアダムとイブになるのよ」

あまりにも都合が良すぎると、男は思った。

しかし、誘惑を振り切ることはできなかった。


やがて二人の間に子供が生まれた。

子供たちは孫を生んだ。

食料も服も家もなぜだか、必要な時、必要な場所に必要な材料が現れた。

最初のうちは奇跡だと喜んていた男も、いつの間にか当たり前と受け入れるようになった。


孫たちは村をつくり、ひ孫、玄孫と代が進むにつれて、人口はどんどんと増えていった。

やがては、男のいる島はもともと男がいた国の首都と較べても遜色ないほどの大都市になっていた。

それは全員、青年と女の子孫のはずだったが、そんなことはもうこの国のほとんどの人間は知らない。

男と女は最初こそ仲の良い家庭を気づいていたが、ある小さなもめごとをきっかけに修復不可能なほどの不和に発展していた。

子供とも疎遠になり、今では一人で小さなアパートの一室に住んでいる。


ある時、男は思い立って、外国行きの船のチケットを買い、家の物をすべて投げ売り、波止場にまで足をはこんだ。

それを偶然見た息子の一人が言った。

「お父さんではありませんか。どこを行くのです」

男は答えた。

「俺は人生をやり直す。異国で職を探すんだよ」

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