ヴァンパイア

カリーナ

第1話 ヴァンパイア

「えっ、それで吸わはるんですか?」

 妙な光景であった。

 とある都会のマンションの一室で、歳の頃にして17、8だろうか。腰までスラリと伸びた黒髪に、黒縁の際立つメガネをかけている。神経質そうに眉間に皺を寄せ、彼女はバルコニーを睨みつけていた。

 そこに立つのは……否、ふわりと浮いているようにも思う。暗くて足元は見えない。血色を感じさせない肌に緋色の唇。奇妙なほど整った顔立ちで、そのヴァンパイアは彼女を見つめていた。

「破傷風って知ってます?」

「破傷……」

「傷口から菌が入っておこる病気です。最悪の場合死に至るんですよ。ここまで聞いて、まだそれで吸おうと思ってはります?」

「あ、いや……」

 ヴァンパイアはタジタジである。整った顔を歪め、人間の彼女に言い負かされている。

 都会の夜陰を謳歌して、今夜も可哀想な犠牲をひとり増やそうとマンションのバルコニーに降り立ったら思わぬ反撃を食らったのだ。

「消毒とかちゃんとしました?コロナ後、学校でもスーパーでも、どこかしこで消毒消毒って……あれ程言われてたじゃないですか。その牙も、きっちり消毒してくれてますよね?」

「いや、それは……」

「いやいや、ね、だって考えてもみてくださいよ。去年だったかな、祖父がC型肝炎になったんです。あれだって注射器の使い回しが原因だとかなんとかって、問題視されてましたよね。ニュースとか見ないタイプですか?それに私、注射ってだいぶ嫌いなんですけど。どうしはるんですか?その、それで首の動脈かどっかに刺して、血、吸うんですか?」

「は、はあ……」

 たいていの人間は、恋を覚え始めた少女たちはこのヴァンパイアを見た時に2パターンの反応を取る。

 1つは異形のものに恐れ戦き、言葉も出なくなる。その間にゆっくりと、ヴァンパイアは部屋に入り込み、「あっ、」と思い、やや遅れてやっと脳に司令を送った危険信号は意味をなさず、刹那ヴァンパイアの餌食となる。

 もう1つは、あまりの美しさに息を飲むパターンである。なぜ、どうやって高層ビルの窓に入り込んだのか、この夜半に一体どこの誰なのか、そんなことは考える余地もなくただ、その美しさに目を、心を奪われるパターン。

 彼女はそのどちらでもなかった。

 無防備にリックスした部屋着を纏い、机に向かって本を読んでいた。

 バルコニーが開けられ、風が部屋に入り込む。

 読んでいた本をひっくり返し、窓に近づきヴァンパイアを見るや否や、「はあ。」とため息をついたのである。

「怖く……無いのか?」

 情けなくもヴァンパイアが発したのは、あまりに単純な、あまりに純粋な疑問だった。

「いやだから怖いですって。注射嫌いなんですよ。あの独特の感覚、うぅ、考えただけでも身震いがする」

 少女は心底嫌そうに自分の体を摩っている。

「痛くないんですか?」

「痛くは……無いと思うが。ヴァンパイアの牙には……」

 ヴァンパイアはここでハッとする。そうだ、ヴァンパイアの特性に、血を、特に若い女性の血を吸うこと以外に麻痺効果がある。体が痺れ、思考がトロくなる。牙に、そしてその眼に効果があり、この刃にかかった人間たちは忽ち何も考えられなくなる。

(それでこの少女も……)

 ようやく調子を取り戻してきた。

 ちょっとさっきまでは、予想外の反応に驚いてしまっていたが、まあ人間皆人それぞれなのだろう。

 昨晩の少女も美味かったな、年端も行かぬこの子だって……。

 妖艶に笑い、少女の部屋にゆっくりと入り込む。

 とびきりの美しい笑顔で彼女を見つめ、怪しく微笑みかける。

「さぁ、膝まづ、」

「牙には麻酔効果があるんですってね。ふふ、ヴァンパイアさんたち、痛くないなんて嘘言わないで。お医者さんもみんなそういうんだもの、注射は痛くないって。あれ、結構痛いんですよ」

「は?なに……」

 ヴァンパイアは後ずさろうとしたが体が動かない!

 この時初めて少女は笑った。

 白い毒牙を光らせて。

 少女は笑う、

「ヴァンパイアの血は、どんな味がするかしら?」

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