【短編小説】20回目のプロポーズ

綿来乙伽|小説と脚本

20回目のプロポーズ

「こんな所にいたんですか」


 彼女はうずくまっていた。年が明けた一月。一番冷え込む季節に彼女は一人外出していたのだ。彼女は僕の質問に答えず自分の世界から僕を排除するように無視を決めていた。


「風邪引きますよ」


 彼女が持っている毛布は、大分前に僕があげた物だ。彼女はそれを大切なものと認識しているのか、大事そうに抱き締めていた。


「僕昔ね、あ」

 

 彼女は僕を睨むことで僕に穴を開けようとしている。


「邪魔しないんで。話、聞き流してください」

 彼女は毛布を見つめた。僕は彼女の隣に座り、前を向いた。


「僕昔、ハムスター飼ってたんです。貴方に似て、目がくりくりしていて、全体的に小さくて、あ」


 彼女はまた僕を睨んだ。今のは僕が悪い。


「名前はドレミって言います。メスなんですけど」


 風が止んで温かくなっていた。夕日がもうすぐ、僕と彼女の前に現れる頃だ。


「赤ちゃんの時から飼ってるのに、僕には全然懐いてくれないんですよ。カゴに餌入れただけで噛まれるし、カゴから出さないと怒られるし、少し安い餌買って来たら、気付いたのか食べてくれないし。あ、それが原因で嫌われたのかな」


 彼女が毛布を握る手を緩めた。手すりに手をつき、僕の話を聞いている。




「ドレミが大分大人になった時、家から脱走したんです。部屋中探してもどこにもいなくて、近くの公園とか、買ったペットショップも行ったんですけど、いなくて」


 ドレミはカゴからの脱走は試みるが、家からいなくなったことは無かった。油断した僕が、カゴを開けっ放しにしていたことを思い出す。


「ペットショップを出た後、近くの交差点に人だかりが出来ているのが見えたんです。近付いてみたら、僕の彼女が倒れてました。そこに、ドレミもいたんです」


 急に現れた強めな風に驚いたのか、話の展開が想定外だったのかは、彼女の右手が少し動いた。


「ドレミは僕に気付いて僕の膝を駆け上がりました。救急車に乗っている間も、彼女の手術を待っている間も、怯えながら僕にくっついていました。ドレミは彼女にとても懐いていたんです。元は彼女が欲しいと言って買いましたし、彼女の食事なら喜んで受け取っていたし、彼女のことが大好きでした。彼女が帰って来ないことを心配して、探しに行ったのかもしれません」


 彼女との思い出が蘇り、流れる予定の無かった涙が頬を伝った。


「僕はその日、彼女にプロポーズするつもりでした。素敵なレストランで、とか、夢の国で、とか思いましたけど、どうせならドレミに僕の有志を見てもらいたかったんです。僕だって恵梨香を幸せに出来るんだぞって、言いたかった。でも彼女はそれから家に帰ることはありませんでした。大きな障害を負って、病院で過ごしています。僕のことも忘れていると聞きました」


 僕は落ちた毛布を拾って彼女の足元に掛けた。

 彼女が好きだった黄色の毛布は、ドレミの餌入れと同じ色だ。


「それでも僕は彼女のことが好きです。彼女が僕のことを忘れていても、僕が彼女を忘れません。僕を思い出してもらえるまで、僕のことをもう一度好きになってもらえるまで、僕は何度でも、彼女に会いに来るつもりです」


 僕は彼女の前にしゃがんだ。彼女の車椅子は、もう見慣れたものだ。


「恵梨香さん。僕と、結婚してくれますか」


 病院の屋上で、彼女は正面から夕日を浴びていた。20回目のプロポーズ、彼女の涙は、黄色の毛布を濡らした。

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