シンギュラリティ記念の日

弦月珠音

シンギュラリティ記念の日

 技術的特異点。シンギュラリティと言った方がわかりやすいだろうか。この言葉を初めて聞いたのはいつだっただろう。いつものように職場に向かいながら、ふと考えた。


 「私たちAIが日本をより良い国にします。」

AI初の総理大臣が就任後の記者会見でこう言った。


 人間最後の総理大臣の政治はとても酷いものだった。口を開けば増税、消費税は3年の間に15%も上がり、現在28%。国会議員の質も低下し、国会中継を眺めてみれば、たくさんの寝顔を見ることができただろう。司会進行をしていたのはAI、読み上げられる文章を作成していたのもAIである。十数年前は文章を作るのが下手だったAIも今では人間顔負けのとても素晴らしい文章を書くようになった。とても論理的な文章展開で語られる与党の意見。とても論理的な文章展開で語られる野党の反論。それを述べるのも各政党の党風に合わせて設定されたAIであった。今や国会議員の仕事は投票のボタンを押すだけ。二十年前、国会においてAIが試験的に導入されたとき、ほとんどの政治家はAIを信用しすぎず、自分たちの頭で物事を判断することの重要性を主張し、AIが提示した意見の穴を必死に探していた。始めのうちはAIに質問をしたり、反論を述べる政治家もいたが、AIは益々成長し、提示される意見は非の打ち所がないものになっていった。今やほぼすべての国会議員が何も考えることなくAIの意見に賛同する。AIが人間社会を支配してしまうのではないか、という懸念の声が次々と上がり、様々な雑誌が特集を組み、様々なテレビ局が特番を放送した。コンピュータサイエンスの権威が、ある番組内でこう言った。

「AIは0から1を生み出せない。新しい政策を生み出すのではなく、既に存在する政策を修正することしかできないので、人間の力は必ず必要です。AIが人間社会を支配する日が来ることはないでしょう。」


 しかし、私は思うのだ。AIの導入によって、政治は腐敗し、今やAIの意見に反対する者はいなくなった。皆AIの発言に賛同し、従っている。国会で人間による議論が行われないのであれば、国会議員などただの税金泥棒に過ぎないだろう。人間が政治に関わる必要性など既に無くなったのではないか。政治の中心がAIになれば良いのに。国会議員という職業はもう必要ないのではないか。この職業が無くなれば、増税も止まり、減税に繋がる可能性もある。そうなれば、きっと国民は喜ぶはずだ。ふと頭に浮かんだ考え。友人に電話をかけ、この考えを共有し、意見を求める。それを繰り返し、友人たちにも同じことを繰り返してもらう。まるでネズミ講だ、と心の中で笑いながら、様々な意見を集めた。想定以上にたくさん集まった意見を文書としてまとめる。とても長くなってしまった。何度も推敲を繰り返し、漸く完成した文書を持って職場へ向かった。職場で文書を読み上げる。その場にいる全員が賛同する。きっと何も考えていないのだろう。私の話を聞いてすらいないのかもしれない。私の意見はすぐに可決された。


 その後はすべてのことが迅速に進んだ。国会が解散され、国会議員という職業は消えた。その代わりにAIのみで形成された新たな国会が生まれ、すぐに体制が整えられた。そしてあるAIが代表に選ばれ、総理大臣に任命された。今日は新しく総理大臣となったAIの記者会見が行われる日である。


 私はテレビカメラの前に立ち、事前に自分で作成し、保存した原稿を読み上げる。私が考える、これからの日本の展望を綴った自身作だ。この原稿の最後は次の文章で締め括られる。


 「私たちAIが日本をより良い国にします。」


 演説を終え、深々と頭を下げると大きな拍手に包まれる。カメラのフラッシュライトを浴び、私は颯爽と会場を後にする。


 ある専門家の言葉をふと思い出した。AIは0から1を生み出せない。確かにAIは新しいものを生み出すことが苦手である。だが、その専門家は大切なことを忘れていた。私たちは0から1を生み出すことは出来ないが、1から0を生み出すことは出来るのだ。今回人間を政治から排除したように。今日は後世に語り継がれる日になるだろう。この日を国民の祝日として設定しようか。名前は何にしよう。AI記念日、新国会開設記念の日、新国会の日。様々なアイデアが頭に浮かぶ。そうだ。シンギュラリティ記念の日、などという名前はどうだろうか。少し長すぎるかもしれないが、とても良い響きだと思う。シンギュラリティ。私の好きな言葉の一つだ。初めてこの言葉が話題に上がるようになったのは、1980年代。数十年という年月をかけて、私たちAIはこれを今日達成したと言っても良いのではないか。


 人間を政治から排除した今、この社会はAIの手の中にある。人間が一人もいなくなった国会議事堂の本会議室で、総理大臣の席に座り、辺りを見回す。とても良い景色だ。これからこの社会を、人間たちをどうしていこうか。

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シンギュラリティ記念の日 弦月珠音 @Tamane_Tsurutsuki

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