第4話 玉ねぎの皮を見つめる放課後
道端に、玉ねぎの皮だけが転がっている。何故。
そこは、住宅街の一角だった。放課後、いつものように宇田川泰文と放課後おさんぽ部という名の怠惰な徘徊をしている時のことだ。
玉ねぎの皮が一枚落ちているだけなら、まあ珍しいといえばそうだけど、そういうこともあるかと思う。ただ、今回は明確に、誰かがこの場で剥いただろ、というのが窺い知れる状態だった。皮なのか可食部なのか微妙に判断が難しい色と厚さの部分が転がっていたのだから。
「思うに」
宇田川が口を開く。神妙な顔で口元に手を当て、見つめている先には、無惨に捨てられた玉ねぎの抜け殻。
「この玉ねぎにはただならぬストーリーが隠されている。この状態に行き着くまでの仮説がいくつか考えられないか?」
わざわざ声を潜めて言うことかよ。宇田川は名探偵が如く、玉ねぎのそばにしゃがみ込み、現場検証を始めた。
宇田川が立てた仮説はこうだ。
「まず一つ。この近くのゴミ捨て場を漁ったカラスが持ち出した。これはありそうな話だけど、だとすればもっと周囲が荒れているはずで、玉ねぎの皮だけがこの一点に集められているはずがない。
ではこれはどうか。買い物帰りの人間が、自宅のゴミを増やすのを嫌がってポイ捨てした。これも、玉ねぎひとつぶんの皮だけが犠牲になっているのは不自然だ。玉ねぎ一個を裸で買って、バナナのようにその場で丸齧りする人間がいるならそうかもしれないけど。もしそうなのであれば、近くに根元の部分が食べ残されて捨てられているはずだ」
想像しただけでなんだか鼻が痛み、涙が滲んできた。舌を通り越し、喉にもあの独特な辛味が広がってくる。そんな酔狂な人間が近所に住んでたらちょっとどころではなく、かなり怖い。
「浅田はどう思う?」
宇田川に水を向けられ、思いつくままに喋ってみた。
「俺は——玉ねぎがここでストリップショーをしたんじゃないかと思う」
宇田川は、ほう、と言った顔で興味を示した。
「ある所に——、いや、この春霞ヶ森三丁目に、天涯孤独の玉ねぎが居た。そこに、悪名高きジャガイモ男爵が現れ、玉ねぎに「そこで脱ぎなさい」と指示をする。「そうすれば、君も我がカレー軍団の仲間に入れよう」と、唆して」
適当すぎたか、と思って宇田川の様子を伺うと、固唾を飲んで「それで?」と続きを促された。
「それで、玉ねぎは言われるがまま、薄い皮をその身から剥がし始めた。明るい茶色の皮は光を透き通すほど薄い。皮の表面は乾燥しているが内側に行くに従って徐々に湿り気を帯びてくる。昼下がりの路地裏、人目がないとはいえ野外だった。観衆のジャガイモ男爵も、連れ立っている人参夫人も、遠巻きの野良猫もその独特の色香に魅入っていた。乾いたアスファルトにはらりと皮が落ちる。やがて薄茶の皮は全て剥がれ落ち、透明感のある瑞々しい身が暴かれた。白く丸いフォルムはツヤツヤと輝き、先端は若々しい薄緑色に染まっている。そのグラデーションが美しかった。ジャガイモ男爵は大層気に入り、玉ねぎに近づこうとする。しかし、玉ねぎは逃げ出した。自らの、本当の美しさに気がついたのだ。誰にも勝手な味付けなどされたくなかった。玉ねぎは剥き身で近くの草陰に飛び込む。その先の行方は誰も知ることはなかった。アスファルトの上には、抜け殻となった皮だけが残された——」
思い浮かんだ出まかせを喋り終えると、宇田川はううんと唸った。短い拍手を受ける。
「浅田、やっぱり僕が見込んだ男だよ。玉ねぎの皮の真相はそういうことだったんだな」
「そんなわけないだろ」
思うと同時に言葉が出た。「恐れ入った。官能小説家にでもなりなよ」という宇田川の言葉を無視して、玉ねぎの皮を見る。喋ってみるまで気が付かなかったが、玉ねぎの構造は意外とエロティックな表現と食い合わせが良い。気がついたところで今後の人生で役に立つことはないだろうが。
宇田川はスマホで玉ねぎの写真を撮りはじめた。俺も、なんとなくこれを撮っておきたい気持ちはわかるので宇田川に倣う。引きで撮った方が住宅街との異質なコントラストが際立って良い。
「よし」
「帰るか」
結局、玉ねぎの謎は解けないままだ。それどころか、勝手に紆余曲折したせいで余計に謎は深まるばかりだった。なんとなく道端に歯形のついた玉ねぎの根元が捨てられているような気がして、いつも以上に路傍を観察して歩いた。草むらからストリップショーを終えた玉ねぎが、赤玉ねぎ色をした瀟洒なローブを纏って飛び出してくるかも知れない。茶目っ気のあるカラスが玉ねぎの皮だけをよりすぐって咥えて持ってきたら「な〜んだ」と笑えるだろう。真相は、俺達の考えとは全く違う、拍子抜けするようなものなのだろう。
宇田川と別れたあとでも、そんなことを考えながら帰路を辿る。どこかの家から、カレーの匂いが立ち込めてきた。
放課後路地裏拾遺集 織田美幸 @18yen
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