第10話 推理

 数日後、梅雨は明けた。

また、夏がやってくる。太陽は、容赦無く照り付けていた。アスファルトの熱気は、パンプスを通して足の裏にまで感じた。

洋子は、その日、会社に午後半休をとっていた。都営新宿線の菊川駅で降りて、両国に向かって歩いて行くと紗枝子の実家がある。『村野鉄工所』と書かれた看板が目印だった。紗枝子の葬儀以来だから10年ぶりの訪問であった。

洋子は、作業場の横にある鉄の階段を上がって、2階にある住居の玄関を入った。

すると、奥から前掛けを取りながら、紗枝子の母親が現れた。洋子が、名のると、

 「ああ、紗枝子の友達の……」

と言って黙った。居間の奥には、りっぱな仏壇があった。中には、紗枝子の位牌が写真とともに入っていた。洋子は、暫く合掌すると、紗枝子の母親の方へ、身体の向きを変えた。

 「今日は、突然おじゃまして申し訳ありません」

紗枝子の母親は、洋子を見つめていた。

 「大学で紗枝子さんとお付き合いしていた雨宮さんを、ご存知だと思いますが」

紗枝子の母親は、雨宮と聞くと、すぐに言葉を返した。

 「ああ、はい。雨宮さんは、紗枝子の七回忌に来て下さいました。それ以来、お目にかかっていませんが」

洋子は、考えた。3年前の七回忌、つまり、その前の年に雨宮は、素子と結婚したのだった。

洋子が、黙って考えていると、

 「雨宮さんが、どうかされたのですか?」

と、心配そうな顔で、紗枝子の母親は洋子に聞いた。

 「ええ、彼、失踪してしまいました」

 「ほんとうですか!」と、驚きを隠せないようだ。

 「彼の行方を知る手掛かりが、全くありません。それで、こうして伺ったしだいで……」

暫く沈黙が続いて、紗枝子の母親は、話を始めた。

 「雨宮さんは、自分の責任で紗枝子を死なせてしまったと自分を責めて、七回忌のときも泣いていました。だから、私は、もう紗枝子のことは、忘れて下さって良いのですよって言ったのです」

洋子は、静かに言った。

 「雨宮さんの奥さんも気の毒です」

 「雨宮さん、結婚されていたのですか!」

紗枝子の母親は、声を上げて驚いた。

 「ええ、4年前に結婚されました」

紗枝子の母親は、雨宮が結婚していることを知らなかった。

 「まさか、失踪は、紗枝子のことが原因では無いでしょうね?」

洋子は、何とも言えなかった。下の作業場から鉄骨を切断する音が、キーンと聞こえてきた。

 「でも、紗枝子は今、もう居りません。ここには、雨宮さんの消息を知る手掛かりなんて何も無い筈です」

紗枝子の母親は、そう言ったきり黙ってしまった。

 「紗枝子さんの妹さんは、こちらにいらっしゃいますか?」

洋子は、紗枝子の妹の村野由美(むらの ゆみ)のことをきり出した。

 「由美は、今、大阪におります」

 「ご結婚されたのですか?」

 「いいえ。由美は、仕事の関係で、今年の4月から大阪で暮らしています」

 「由美さんに伺ってみたいことがあります。電話番号を教えていただけないでしょうか?」

 「由美は、雨宮さんとは、何の関係もありません」

 「そうですが、七回忌のときに、彼と何かお話されているかもしれませんので……」

と、洋子が畳み掛けるように言うと、

 「分かりました」と、紗枝子の母親は諦めたように答え、由美のアパートの電話番号を洋子に教えた。

由美は、大手の事業所給食会社に勤務していた。そして、今年の春から大阪支社の商品開発部に転勤になったのであった。

洋子は、紗枝子の母親にお礼を言って、鉄の階段を下りた。作業場では、紗枝子の父親が、鉄骨の寸法を測っていた。洋子が、「おじゃましました」と言って、お辞儀をしても洋子に顔を向けることはなかった。


 洋子は、吉祥寺に帰る途中、新宿のデパートの地下食料品売り場に寄った。週末の食料品売り場は、活気に満ち溢れていた。二人分のローストビーフにビーンズサラダ、そして、バタールとワインを買った。今夜は、里奈が来る。

里奈は、あの紗枝子からの電話を受けた夜以来、毎週、金曜日の夜に洋子のマンションへ泊まりに来ることになっていた。


洋子は、帰宅すると、夜を待って大阪の由美のアパートに電話をかけた。

 「もしもし、村野さんのお宅でしょうか?」

 『はい』

 「私、大学時代に紗枝子さんの友達だった、沢田洋子と申します。10年前、お葬式で1度お会いしております」

 『あ、はい』

 「雨宮さんを、ご存知でいらっしゃいますよね?」

 『ええ』

 「実は、雨宮さんが失踪しました。由美さんは、何かお心当たりはありませんでしょうか?」

 『……』

由美は、電話の向こうで口を閉ざしてしまった。洋子は、思い切って言ってみた。

 「もしもし、渡瀬里奈さんに電話されたのは、由美さんですよね」

受話器を手で塞ぐ音がして、暫くすると再び由美の声が聞こえてきた。

 『はい、ただ今、信吾さんと代わります』

話し声は、紗枝子そっくりというよりは、同じであった。

 『もしもし、雨宮です』

意外に元気そうな雨宮の声であった。

 「やっぱり、雨宮くんは、由美さんのところにいたのね」

 『ああ、こういうことになったよ……』

 「素子さんが気の毒だわ!」

 『素子には、さっき電話で説明したよ』

 「これから、どうするつもりなの?」

 『それは、今考えているところだよ』

 「私、雨宮くんと由美さんに会って、話を聞きたい。そうしなければ、私自身、納得出来ないし、誰にも説明が出来ないわ」

 『分かったよ』

洋子は、居ても立ってもいられない心境だった。そして、雨宮に由美のアパートの住所を聞くと、明日、大阪に向かうことを告げた。

洋子は、重苦しい気持ちで電話を置いた。洋子の推測は当たっていた。しかし、明日、大阪に行って、二人を別れさせるつもりは無かった。


 すると、チャイムが鳴った。仕事を終えた里奈がやって来たのだった。里奈は、暑い暑いと言って、そのままバスルームに直行し、シャワーを浴びた。里奈は、何の気兼ねも無く、洋子のマンションを使っていた。

洋子は、そんな里奈が週末に来てくれるのを、嬉しく思っていた。

暫くすると、里奈がバスローブ姿でやって来て、ソファーに座っている洋子の隣に腰をおろした。

洋子は、早速、里奈に尋ねてみた。

 「里奈ちゃん、あなたは、私のことをお姉さんだと思ってくれている。私も、里奈ちゃんを、妹だと思っているわよ。どうかしら、もし私に好きな男性が出来たら……」

里奈の目が大きく見開いた。

 「お姉さん、好きな人出来たの?」

 「違うの、もしも、という話よ」

洋子は、笑顔で否定して、里奈を見つめた。

 「私は、きっと嬉しいわ。私のお兄さんになるのかな、その人」

 「それで、もし、私が死んだらどうだろう?」

 「ええっ? 何? その話!」

 「そのお兄さんが私の死を悲しんでばかりだったら、里奈ちゃん、お兄さんが可哀想だと思うよね」

 「うん」

 「里奈ちゃんは、お兄さんに対する同情が少しずつ、愛情に変わっていくかもしれない」

 「そうかもね」

 「そして、お兄さんも愛していた女性の妹に心が動かされる」

 「へえー」

 「さらに、姉と妹が双子のように瓜二つだったら……」

洋子は、そこまで言うと考えた。雨宮にとっては、紗枝子とそっくりな由美といっしょにいることで救われる想いがしたのではないだろうか?

 「なぜ、そんな話をするの?」

里奈が訝しげに言った。

 「これは、雨宮くんと紗枝子の妹さんの話よ」

洋子は、失踪している雨宮が見つかったこと、雨宮と由美のこと、そして、深夜に里奈にかかってきた紗枝子からの電話の声の主は、由美であったことを、里奈に説明した。

 「里奈ちゃん、明日、私、大阪に行くから、お留守番頼むわね」

洋子が言うと、里奈は、駄々っ子のように

 「えーっ、私もいっしょに行きたいっ」と言った。

里奈は、洋子とともに大阪へ行くことを譲らなかった。洋子は、休みの日に里奈一人で留守番させるのも可哀想だと思った。

結局、明日は、里奈といっしょに大阪に行くことになってしまったのだった。


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