第9話 再会

 雨宮の消息は依然として不明のままであった。

洋子は、夏合宿にしろ、今回の同窓会にせよ、自分の企画により何らかの事件が起きるようで居た堪れなかった。

洋子は、花金の職場の仲間達からの誘いを断り、真っ直ぐに帰宅すると、雨宮の失踪の事を思い悩んだ。そして、このところの疲労からベッドに横になると、そのまま眠ってしまった。


 夜の窓ガラスから白い靄のようなものが集まり、次第にそれは、人間の形になっていった。目を凝らすと、それは白い薄手のドレスを着た紗枝子であった。洋子は、驚いたが声が出ない。手招きする紗枝子の後ろでは、雨宮が微笑んでいる。洋子が、窓ガラスに近づくと一瞬のうちにガラスは砕け散った。


 電話が、鳴っていた。洋子は、不思議な夢から覚めた。

灯りが点けっぱなしの部屋の壁掛け時計を見ると、深夜の1時であった。受話器をとると、それは里奈からであった。里奈からの電話を受けたのは、学生のとき以来であった。しかし、受話器から聞こえてくる里奈の声は、恐怖に震える声だった。

 『先輩、ごめんなさい、夜遅く。今、村野先輩から電話がありました』

 「里奈ちゃん…… 何言っているの? 紗枝子は10年前に死んだのよ!」

 『でも、村野先輩が…… また、同窓会やろうねって』

 「そ、そんな馬鹿なことは無いわ。里奈ちゃん夢を見たんじゃない?」

 『違います。あの声は、村野先輩です。みんなの顔を見ることが出来て楽しかったわって、そう言って電話は切れたの。先輩、私、怖い』

 「うん、里奈ちゃん分かったわ。落ち着いて」

 『でもっ、先輩。死んだ人からの電話なんて、有り得ない』

 「とにかく、落ち着いて。私も落ち着くから。明日、里奈ちゃんのマンションにね。私、行ってあげるから」

 「でも……」

 「今夜は遅いから休みましょう」

洋子は、それ以外には、里奈に言ってあげられる言葉が無かった。里奈からの電話を切った後も洋子の心臓の動悸は激しいままであった。里奈は、実際に死んだ紗枝子からの電話を受けたのだろうか。最先端のコンピュータの仕事をしている洋子でありながら、霊現象的な思考を禁じ得なかった。

洋子は、その後、どうしても寝付けなかった。冷蔵庫に入っていた飲みかけの赤ワインをマグカップに注ぎ、ソファーに座った。

洋子は、里奈の電話を論理的に考え直してみた。死んだ人間が電話を使うことは有り得ない。だとすると、紗枝子では無い別の女の声である。しかも、同窓会が行われたのを知っている女である。洋子は、声を出していた。

 「私、里奈ちゃん、雨宮くんの奥さんである素子さん……」

里奈は、こんな作り話しをするような性格はしていないし、素子だって意味の無い行動はとらない筈だと洋子は思った。

あと、気になるのは里奈が言っていた紗枝子の電話の声だ。紗枝子には二つ歳下の妹がいると聞いていた。姉妹なら、きっと声も似ているに違いない。しかし、紗枝子の妹が紗枝子に成りすましたような電話を里奈にかけてくるとは思えなかった。

その時、マンションの玄関ドアをノックする音がした。

もう深夜2時である。洋子は、背筋が凍る想いだった。暫く身体を動かすことが出来なかったが、気を取り直すと、足音を立てないようにドアまでそっと歩いた。そしてドアの覗き穴から外の様子を恐る恐る伺った。

そこには、ビニール傘を持って今にも泣き出しそうな表情の里奈が立っていた。洋子はドアチェーンを外すと急いでドアを開けた。

 「里奈ちゃん!」

 「先輩、すみません泊めて下さい」

梅雨時の霧のような雨により、里奈の髪の毛は濡れていた。

 「さあ、とにかく入って」

 「おじゃまします」

里奈は、元気無く玄関を入った。脱いだ履物を見ると、相当慌てていたらしく、サンダルであった。大通りでタクシーを降りた里奈は、雨の中を歩いて来たのだった。洋子は、ソファーに里奈を座らせると、タオルで濡れた髪を拭いてあげた。

 「里奈ちゃんからの電話、驚いたわ。私、眠れなかったの」

洋子は、赤ワインをコップに注いで里奈に持たせた。

 「私、もう怖くって…… でも、あれは、確かに村野先輩の声でした」

 「紗枝子です とか、名のらなかったの?」

 「いいえ、全然」

里奈は、頭を横に振った。

 「電話の声の主は、紗枝子では無い筈よ。同窓会を知っている誰か、そして、女性」

 「先輩、同窓会を知っている人なんて限られていますよね」

 「そうね。雨宮くんの失踪に深く関わっている女性よ」

里奈は、小首を傾げて考えている様子である。

 「ねえ、里奈ちゃん」

 「はいっ」

 「うーん、元気になった?」

 「えへっ」

里奈に笑顔が戻った。

 「紗枝子の声の他に何か音とか、人の声は聞こえなかった?」

里奈は、唇に指をあてて思い出しているようだった。暫くすると花が開いたように大きな目を開いて言った。

 「あーっ、そう言えば、何かぶつぶつ言っている男の人の声が聞こえました」

 「なんて、言っていたのか分かる?」

 「それが、分からないんです」

洋子は、少し思案した。

 「いいわ、今夜はもう遅いから休みましょう」

洋子には、一つの推測が頭の中に閃いた。おかげで、ぐっすりと眠れそうだった。

そして、里奈が、洋子を頼って来てくれたことが、とても嬉しかった。一度は、諦めた里奈に対する気持ちが洋子の心の中に満ち溢れていた。

洋子は、里奈に洗い立てのパジャマを渡すと、寝室のベッドに案内した。

 「ちょっと狭いけど我慢してね」

と、洋子が言うと里奈は、

 「大丈夫です。私、前から先輩と二人で寝たかったんです」

と言って、首を傾けてにこりと微笑んだ。洋子は、そんな仕草をする里奈が昔から変わらずに可愛いと思った。

 「おやすみなさい」と言って里奈は、ベッドに潜り込んだ。

 「おやすみ」

と洋子は返し、電灯を消した。それから、洋子と里奈は、一つのベッドで寝た。洋子は、すぐに意識の遠のいていくのが分かった。

暫くすると、

 「先輩、先輩……」

遠くで里奈の声がした。

それは、懐かしい記憶の中の声だった。

里奈の柔らかな唇の感触が頭の中で駆け巡った。

 「ずっと前から、好きでした……」

里奈が、そう言って手を繋いできた。洋子が、振り向くと、里奈は、洋子を見つめて小さな声で言った。

 「お姉さんって、呼んでも、いいですか?」

洋子は、微笑むと、繋いだ里奈の手を握り返した。

 「うん、いいわよ」

洋子は、素直に里奈の願いを受け入れた。里奈は、安心したように瞼を閉じた。

いつしか雨粒は大きくなり、窓ガラスを叩く雨音が大きくなっていた。

洋子は、このような夜はいつも、一人でいることが寂しく思うのだった。しかし、今、すぐそばには里奈がいる。里奈は、洋子の手を握ったまま、静かな寝息を立てていた。

洋子は、雨音を聞きながら里奈がいる幸せを全身で感じていた。


 朝には、雨が上がった。

梅雨の中休みだろうか、カーテンの間からは、白い光が差し込んでいた。

里奈は、スヤスヤと寝ている。洋子は、閃いた推測をもう一度、頭の中で反芻した。何故か、久しぶりに充実した朝を迎えることが出来た洋子であった。

暫くすると、里奈が目覚めた。里奈は、洋子を見ると微笑んだ。

そして、上半身を起こすとペンダントを自分の首から外し、洋子の首に回した。それは、オリーブの葉と実がデザインされたペンダントであった。

 「これ、あの夏合宿で買ったお土産です。これ、お姉さんにあげるね」

 「ありがとう、里奈ちゃん。大切にするわね」

二人は、そのまま、洋子のマンションで週末を過ごしたのであった。


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