第7話 失踪

 雨宮の自宅は、グリーンガーデンというマンションにあった。

新宿から小田急線の急行に約1時間乗り、さらに、路線バスで5分ぐらい揺られると到着した。その名の通り、緑の木々に囲まれた生活環境の良いマンションであった。303号室が雨宮の自宅であった。ワープロの拡大文字で『雨宮』と印刷してあるプレートを確認した洋子は、インターフォンのボタンを押した。

 「はい」

素子の声がスピーカーから聞こえた。その向こうでワンッワンッと小型犬の鳴き声がした。

 「沢田です。こんにちは」

 「お待ちしておりました」

鉄のドアが開くと、やつれ顔の素子が現れた。

洋子が、リビングに案内されると、小さな白い犬が尻尾を振って近づいて来た。洋子は、屈むと犬を撫でた。

 「大きな耳ですね。パピヨンですね。可愛い」

 「パピちゃん。ハウス。ハウスに入っていてね。子供の代わりです」と、素子は寂しそうに言った。

そして、おそらく雨宮が座っていたと思われる籐椅子を勧められた。素子は、緑茶を用意すると、話を始めた。

 「全く考えられないんです。仕事関係のトラブルかなと思いまして、会社の上司にも聞いてみたんですけど、何もないんです。会社での主人の様子も特に変わったことは無かったようですし……」

そう言って、湯呑み茶碗を見つめた。

雨宮と素子は、社内結婚だったから素子も会社の友人にいろいろと聞き回ったようであった。素子は、雨宮より2歳年上ということもあり、落ち着いた印象を受けた。

 「同窓会でも、別に変わったところは、ありませんでした。ただ、ご存知でしょうか? 夏合宿の海で亡くなられた村野さんのこと…… 彼は、自分の責任のように感じていました」

 「はい。聞いておりました。紗枝子さんのことは……」

素子は、眉をひそめた。洋子は、同窓会を開いた意義を語った。

 「私も、この10年間、忘れられませんでした。でも、この10年を区切りにみんなに会うことによって、気持ちを楽にしたかったんです。私たち、お互いにそうだったと思います」

素子は、とつとつと話しを始めた。

 「お恥ずかしい話ですが、私は、結婚式には妊娠しておりました。でも、その後流産した私は、子供の産めない身体になってしまいました。私が塞ぎ込んでいると、主人は、私をいたわり、優しくしてくれました。

子供がいてくれたら、主人も違っていたのではないかと思うのですが。主人は、夏が来る度に、その紗枝子さんのことで思いつめたようになります。

私は、主人が過去の女性、それも、この世にはいない女性のことをいつまでも思っていることに耐えられなくなっていました。

結局、私の身体もどうにもならないし、主人の引き摺っている世界にも立ち入ることができません」

そこまで言うと、素子は、持っていたハンカチで涙を拭いた。

 「雨宮くんと紗枝子さんは、当時、深い関係にあったと思います。そして、2人の感情が高まった真っ只中で死別したのが事実です」

と、洋子は、自分の記憶を言葉にした。

素子は気を取り直すと、

 「やはり、紗枝子さんのことに、主人の失踪は、関係しているんでしょうか?」

素子から、失踪という言葉を聞き洋子も只ならぬ状況をあらためて認識した。

 「奥さん、映画サークルの仲間は、雨宮くんと同級だった男性と後輩の女性がいます。彼らにも連絡をとってみます」

 「よろしくお願いします」

素子は、頭を下げると再び茶碗を見つめていた。

雨宮は、素子といっしょになった後も紗枝子のことが忘れられずにいた。それは、素子には辛いことだろうと思った。

そして、雨宮と素子との味気ない夫婦生活も想像できた。


 その日の夜、洋子は、岡部と里奈に電話した。

しかし、二人とも、洋子と同様に心当たりは全く無かった。ただ、雨宮があの同窓会の後に失踪したのは、紗枝子に関係しているのではないかという疑念を持ったようだった。

そして、死んだ紗枝子とどうなる訳も無いのだから、雨宮の失踪は、依然として謎のままであった。


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